俳句

2009年6月13日 (土)

俳句甲子園 名古屋大会終了

本日、午後12時半から6時まで、俳句甲子園名古屋大会の審査員をしてきました。

今年は参加三校4チーム。

初参加の岐阜の飛騨神岡高校は眼前のアルプスを句にするという地の利を生かして活躍。
最優秀作品賞をゲット。

昨年から参加の静岡暁秀高校も大変なレベルアップで参戦。
OBが二人ボランティアで会を支えてくれました。

常連のの幸田高校はA・B二チーム。
同校対戦を制したAチームが優勝し、松山への切符を掌中にしました。

俳句のレベルは確実に上がっています。
ディベートは瑣末にこだわる傾向があり、季語を大づかみに体感する習慣が必要でしょう。
それでも解釈と鑑賞をきちんとこなしながら盛り上がりました。

一昨年の幸田高校は松山の本選で準優勝という活躍でした。
最優秀俳句賞も受賞。
今年のメンバーも頑張って青春を俳句で燃やして来てください。

http://h-mishima.cocolog-nifty.com/yukijuku/2008/09/post-d6d8.html#search_word=俳句甲子園

http://h-mishima.cocolog-nifty.com/yukijuku/2007/08/post_8578.html#search_word=俳句甲子園

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2009年6月 9日 (火)

芋の露

Imonotuyu_2

ベランダから見る景色はビルと空ばかり。
しかし、サトイモの葉にころがる大きな露は

 芋の露連山影を正しうす 飯田蛇笏

という俳句を連想させてくれます。

Imonotuyu

途端に風景は開け、遠くの山々の姿さえ見えるではありませんか。

蛇笏は大正時代に活躍した俳人。甲斐の山に囲まれた山村で立ち姿美しい俳句を詠みました。
掲句は教科書にも掲載されている有名な作品。
芋の露と山々を並列して表現しています。
この芋の露の存在感は決して南アルプスの山脈に引けを取るものではありません。
眼前の露に宇宙を感じ取るのです。

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2009年6月 6日 (土)

俳句甲子園「名古屋大会」

俳句甲子園の名古屋地区の予選大会の日程が決定しました。

開催日 6月13日土曜日
時間  午後12時集合 12時半開始 18時終了予定
会場  中産連ビル本館 2A

出場校
加藤学園暁秀高等学校 岐阜県立飛騨神岡高等学校
愛知県立幸田高等学校A B
以上4チーム


一昨年は幸田高校のAB2チームでした。
昨年は暁秀高校が加わり、今年は飛騨神岡高校の参戦。
少しずつすそ野が広がっているようです。

今年はどんな俳句と出合えることでしょうか。
楽しみにしています。

俳句甲子園

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2009年4月 6日 (月)

俳句甲子園

昨夜、愛媛の村重さんから電話があり、今年も俳句甲子園の審査員を依頼されました。

今年で三回目になります。

俳句甲子園は高校生による俳句の創作、鑑賞、ディベートの大会です。

一昨年は愛知代表の幸田高校が準優勝しました。

今年も高校生から勢いと鮮度を頂けると楽しみにしています。

日程は6月13日土曜日、詳細は不明。

俳句甲子園のHPは

http://www.haikukoushien.com/

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2009年3月27日 (金)

鷹 四月号

俳句結社誌『鷹』が送られてきました。
『鷹』は先年亡くなった藤田湘子という方が創刊された歴史ある俳句雑誌です。2009年四月号で第46巻第4号だそうですから50年近い年月を刻んだ雑誌ということになります。
藤田先生は水原秋桜子の下で勉強された方で、指導力に定評がありました。現在は若い小川軽舟という方が主宰を受け継がれている精鋭集団です。
しかしわたしは『鷹』とは何の御縁もありません。
どうして郵送されてきたのか訝りながら封を開けました。
すると付箋が貼ってあります。
開くとそこは「俳壇の諸作」というページ。筆者は辻内京子さん。
驚いたことにわたしの俳句が鑑賞文とともに紹介されています。

    ☆

 山彦が山彦を呼ぶ冬日かな 三島広志
 「藍生」一月号より。山に向かって「やっほう」と叫んだ子供のころの思い出は誰にでもあるだろう。「やっほう」と山彦が返ってくると嬉しくてまた「やっほう」と繰り返した楽しい経験だ。
 掲出の句は山彦が再びエコーする現象を詠んだものである。「山彦は山の神が答える声」というアニミズム的な発想や、自然の深遠な息づかいがこの句から感じられるのは、「山彦が山彦を呼ぶ」という措辞の手柄であろう。日本の原風景の持つ時間と空間の広がりを味わいたい句である。

   ☆

身に余る高邁な鑑賞です。読み手がいいと詠み手が救われる実例。成程そんな読みもできるかと感心しきり。
 
この句はわたしが所属している俳句結社「藍生」の一月号に特別作品として巻頭に掲載された十句のうちの一つです。句の舞台は猿投山。名古屋の東郊外にある猿投山はオウスノミコトという大和武尊の双子の兄の墳墓が祭られていることで知られています。しかし現実に山彦を聞いた訳ではありません。現実に登った山での想像です。俳句は日常存問で日記のように詠むという人もいますが、創作ですから空想や捏造もあります。

そういえば『鷹』創刊の藤田先生の先生である水原秋桜子の句に
 
 高嶺星蚕飼の村は寝静まり 秋桜子

という高名な作品があります。これは信州と群馬の県境で作られた作品。蚕を飼っている村が深夜、寝静まっているという静謐な名句ですが、作者の解説によると作ったのは昼間。この句で作者は写生から創造へのきっかけを掴んだと書いていたはずです。手元に資料がないのでうろ覚え。俳句の表記も違っている可能性がありますがご容赦。

ともかくわたしの句が思わぬところで読まれ、掲載されていることに驚きました。文章を書く人は広く眼を光らせているものです。また、きちんと送って下さった『鷹』編集部の良識にも感謝します。

筆者の辻内京子さんは句集『蝶生る』で今年の俳人協会新人賞を受賞されました。これからが期待される方です。その句集から

 硝子戸は海の入口春の暮
 炎昼の階段掴むところなし
 大切な人の掌蝶生る

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2008年10月11日 (土)

後の月

今日は旧暦九月十三日。

いわゆる「後の月」とか「十三夜」、あるいは「栗名月」と呼ばれる月見の日です。

午前中、雨が降っていたので月は無理かと思っていました。

ところが午後からは晴天。期待できます。

旧暦八月十五日は「名月」「満月」「お月見」「十五夜」「芋名月」などと称されることで有名です。その名月を愛でるのは中国から伝わった習慣。それに対して十三夜の月を愛でる「後の月」は919年、醍醐天皇から始まるとの言い伝えがあります。

十五夜の頃はまだ辺りに熱気がありますが、十三夜になれば秋風が吹き、月見も心地良くできます。しかも、真丸ではなく、少し欠けた十三夜月を見るのは詫びにつながる日本的抒情でしょう。

十五夜は芋を、十三夜は栗を供えます。

ということでお気に入りの梅屋光で栗のお菓子を買ってきました。

  水の音さぶしかりけり後の月  日野草城

  

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2008年10月 4日 (土)

ダチュラ

道端で ダチュラの花を見かけました。

不思議な形に虫に食われています。

それともこういう種類なのでしょうか。

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つぼみの段階で食われたのかもしれません。

実も付けていました。

写真はぷれていますSbsh000209

ナスの仲間ですが毒があるそうです。

食さないように。

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2008年9月16日 (火)

俳句甲子園結果報告書

俳句甲子園結果報告書が届きました。

本戦は8月15日から17日まで四国松山で行われ、私はそれに先立つ愛知県予選の審査を担当しました。

昨年は愛知県の幸田高校が見事準優勝。最優秀句も幸田高校の清家由香里さんの「山頂に流星触れたのだろうか」が選ばれるなど大活躍でした。

今年は惜しくも一回戦で姿を消しましたが、昨年と今年、チームを率いて活躍した金田文香さんが特別賞を受賞されました。

俳句甲子園は年々参加校が増え、全国71チームがエントリー、決勝大会参加はそのうちの33校36チーム。なかなかの激戦となりました。優勝した開成高校は二年連続4回目と大健闘です。

俳句甲子園は「俳句を創作すること」と「鑑賞すること」、そして互いの俳句を通じて「意見を交わすこと」。これらを主体に行われています。

昨年、予選の審査をした時、その論戦がやや相手の俳句の揚げ足取り、ともすればケチのつけ合いに感じられたので最初の論評の際、

「まず相手の句を素直に読んで解釈し、自分の世界と擦り合わせて鑑賞すること。俳句をリスペクトすことが大事で、そこから論を戦わせるべきだ」

と述べました。

すると次の戦いからは早速共感するべきところははっきり共感し、そこから疑問点などをぶつけるというやり方に修正してきました。畏るべし、高校生。

その子たちがそのまま準優勝してくれたので大変うれしかったです。

高校生の熱気に触れると、惰性で俳句を作っている自分がさもしくなります。もう一度俳句を見直すありがたい機会でした。

来年も審査員を依頼されたらもちろん即答で受諾いたします。

今年の最優秀句は優勝した開成高校の村越敦君。

  それぞれに花火を待つてゐる呼吸 敦

でした。

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2008年9月 4日 (木)

ススキ

街の真ん中でススキを発見しました。

雑草の生命力はわずかの隙も見逃しません。

087

ススキは秋の季語。

薄とか芒と書きます。どちらの字も、いかにもそれらしい風情を漂わせています。

別名尾花。動物の尾に似ているからです。

 をりとりてはらりとおもきすすきかな 飯田蛇笏

 この道の富士になり行く芒かな 河東碧梧桐

写真のススキはまだ穂がしっかりしています。

青く高々と風に吹かれている夏の間の穂は「青薄」、冬になって枯れると「枯薄」。

 如何な日もひとりはさびし青芒 中村汀女

 枯芒ただ輝きぬ風の中 中村汀女

夕日に輝いている「穂薄」は美しいものです。

 金の芒はるかなる母禱りをり 石田波郷

同じススキでも時期によって、時刻によって、受ける印象がまるで異なります。

 

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朝顔

七月、盛んに咲いていた朝顔が、暑い盛りには勢いを無くしていました。

もう終わりかなと思っていたら、ここへきてまた元気に咲き出しました。

患者の杉浦さんからいただいた種を播いたものです。

小ぶりな青い花が毎日ぽつぽつと咲いています。

088

 朝顔や濁り初めたる市の空 杉田久女

朝顔は秋の季語。確かに咲くのは盛夏ですが、本意としては秋の爽やかさが似合う花です。

089

 

 朝顔の紺のかなたの月日かな 石田波郷

ビルの空にも秋の気配が・・・・。

写真の赤いビルはパチンコ屋。

あの辺りを中心に東西南北それぞれ数百メートルに渡って今池祭が行われます。

日程は9月20日(土)と21日(日)。

道は歩行者天国となってフリーマーケット。

ところどころの拠点で屋外ライブ。

プロレスやリング上での公開結婚式もあります。

それからわたしの所属していた名古屋中央支部の空手演武も日曜昼頃行われます。

前極真空手世界チャンピン木山仁師範の演武があるかもしれません。

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2008年5月27日 (火)

深津健司句集

所属している藍生俳句会の重鎮、深津健司氏から句集が届きました。

氏は、サラリーマンを勤め上げた後、俳句三昧の日々を送られ、このたび古希となられたようです。

句集のタイトルは『切火』。

銭形平次が出かける時、おかみさんが背中で火打石をカチカチ鳴らして火花を飛ばす。あれが切火です。なんと深津さん、今でもお出かけの際、奥さんが切火を切るのだそうです。

 ひひらぎの花つめたしやにほひまた

 ゆふぐれの野に虫籠の置かれたる

 霜柱妻の切火を背に受くる

ひひらぎは柊。匂いも冷たいと把握したところに詩情があります。

虫籠の句は俳人好み。何でもない事の中に俳味があるのですが、俳句に関心のない人には分かり難いかもしれません。

三句目は句集のタイトルになった「切火」の句です。切火が作者とその家族、そして個人史を象徴するものとして大切にされていることが分かります。

不熱心なわたしは俳句の会に全く参加していません。したがって深津さんとも久しくお会いしていません。

6月14日に藍生俳句会の全国の集いがあります。そこでお会いすることでしょう。それまでに一冊を味読しておきます。 

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2008年4月16日 (水)

俳句二題

俳句甲子園

昨年、地区予選の審査を依頼された俳句甲子園。

今年も愛媛から依頼の電話がありました。

愛知予選は6月21日土曜日です。

俳句甲子園は高校生の俳句イベント。

高校生が俳句創作と鑑賞をディベートで競うものです。

(HPはhttp://www.haikukoushien.com/

愛知県では幸田高校が熱心です。

昨年も予選は幸田高校の二つのチームでした。

我々三名の審査員によって後輩チームが優勝し、上級生チームは別枠で本戦参加。

しかし上級生チームが全国二位の活躍。しかも個人賞で

 山頂に流星触れたのだろうか 清家由香里

という最優秀賞に輝きました。

この句は俳壇でも話題になり、その場に合ったものとしてもうれしい限りです(予選で二位にしてしまったことはともかく(^_^;))。

今年はどんな句と出会えるか楽しみにしています。

藍生全国のつどい

同じ6月の14.15日。土日です。この両日は所属している俳句会「藍生(あおい)」の全国の集いが兵庫の須磨の浦で行われます。

第一回が桑名で、この時は地元ということでわたしも主催者として参加しました。その後一度比叡山に参加したのみ。なんと今回は第十五回になるそうで年の流れに驚いています。

こちらの会も主催者である兵庫の会員からちょっとした頼まれごとがあり、いささか緊張しての参加となります。

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2007年8月20日 (月)

俳句甲子園 結果

今朝の毎日新聞にわたしが地区大会の審査を担当した俳句甲子園の結果が出ていました。

俳句甲子園のホームページは

http://www.haikukoushien.com/

です。

なんと愛知県の幸田高校翡翠チームが準優勝。優勝は東京の開成高校。3回目の優勝という強豪校でした。

しかもうれしいことに幸田高校の清家由香里さんが最優勝。句は

  山頂に流星ふれたのだろうか 由香里

来年は優勝を目指して頑張ってください。

そして、卒業しても俳句を続けてください。

PS

今回準優勝したのは地区大会では二位の翡翠チームで、一位は同じ高校の後輩チーム目白でした。投句審査という方法で大会出場権を得ての栄誉です。ご苦労様。

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2007年6月26日 (火)

俳句甲子園

6月23日土曜日、俳句甲子園の名古屋予選、審査のために行ってきました。

俳句甲子園は平成10年から始まった高校生のための俳句イベントで四国の松山青年会議所が母体となり、NPO法人俳句甲子園実行委員会が行うものです。

当日、全国13会場で予選がおこなわれたようです。

本大会の詳細はhttp://www.haikukoushien.com/をご覧下さい。

名古屋予選には同じ高校の2チームが参加。

1チーム5名で三試合を行いました。

私たち審査員は三名で、俳句の出来と鑑賞力という二つの視点で評定しましたが、真剣な高校生を前にしてこんな審査でよかったのかと少々心配でもありました。

本大会は夏休みに行われます。

予選で勝ったチームのみなさん、頑張ってくださいね。

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2006年5月11日 (木)

吟遊

そのメールは唐突にやってきました。もっともあらゆるメールは唐突に来るものですが・・・。

メールの主は国際俳句季刊誌『吟遊』(吟遊社)を発行している俳人にして明治大学教授の夏石番矢さんでした。しかもその内容は驚くべきことにわたしのHP『游』と『吟遊』のHPを相互リンクしたいというものでした。

片や著名な俳人で俳句研究家の夏石さんと、その奥さんの、これまた知られた鎌倉佐弓さんの発行されている国際的な『吟遊』、対してこちらは一個人の趣味的なHP。釣り合いが取れない組み合わせです。

それでもこんな光栄なことはないと素直にリンクさせていただきました。

『吟遊』

http://www.geocities.jp/ginyu_haiku/index.html

夏石番矢という俳人は、東大のフランス文学で学びつつ俳句を創作・研究され、現在は明治大学教授を務めておられます。氏の研究を強引にまとめるなら俳句を旧弊な日本趣味から解き放ち、言語装置としての可能性を見出していくということでしょうか。その可能性は日本語を超えて存在するというご意見です。

氏は十代から既に頭角を現していた前衛俳句(正確な表現ではありませんが)の期待の星でした。わたしと同年ということもあって長年注目もしていました。しかし、大学で教鞭をとりながら国際的に活躍されている夏石さんと、趣味でひとりこつこつと俳句を作ってきたわたしの間には直接の出会いはありません。ただ、ちょっとした機縁はありました。それはもう随分前のことです。

わたしが所属している俳句結社『藍生(あおい)』(黒田杏子主宰)で第一回の新人賞をいただいた後、一年間「現代の俳句」というテーマで原稿を掲載しました。そのとき夏石さんを取り上げたのです。

http://homepage3.nifty.com/yukijuku/haikuron/g04.htm

そしてその論が夏石さんの目に止まり、編集部気付でお葉書をくださったのです。たったそれだけのご縁でした。

わたしはその文をHPに掲載しています。おそらくそれがたまたま氏の検索にかかってリンクということになったのでしょう。不思議なものです。と同時にインターネットの面白さです。

当時、同世代の旗手として古典的要素を深める方向に向いていた長谷川櫂(「古志」主宰)さんと俳句を解体再構築しようと邁進していた夏石さんは好敵手として何かと比較されました。それはぶれながら歩んできた俳句の歴史そのものでもありました。両者はそれを意志的に具現していたからこそ時代の寵児足りえたのです。

わたしの拙文「現代の俳句」でも両者を比較して紹介してあります。当時も今も、わたしは両者の言い分のそれぞれに共振しつつ、わが道をつかめないまま何とか俳句を継続して来ました。

これからも迷いつつ俳句を作っていくことでしょう。人生は振り返れば畢竟迷いの跡ではないでしょうか。俳句もまた同様に迷いの表白でしかないのです。

夏石さんの季刊誌の名前が『吟遊』であり、わたしのHPが『游』。「遊」も「游」も漂泊することです。一方は陸路、もう一方は水路。シンニュウとサンズイという偏の違いでしかありません。強いて上げるなら両者の共通点はそこだけしょう。

是非一度『吟遊』を覗いてみてください。

吟遊

http://www.geocities.jp/ginyu_haiku/index.html

夏石さんの著書には句集以外に、たくさんの評論集があります。入手しやすいものとしては『俳句 百年の問い』(講談社学術文庫)という俳句評論を一望したアンソロジーの編集もありますが、『ちびまる子ちゃんの俳句教室』(集英社)というタイトルからして楽しい本もありますから、是非書店で手にとってみてください。

http://homepage3.nifty.com/yukijuku/

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2006年4月13日 (木)

黄砂

8日の昼、治療に来られた方が窓から空を指差して

「今日は随分埃っぽいですよ。黄砂ですかね」

とおっしゃいました。

確かに指された空は霞というよりどんよりと埃っぽい感じです。

「中国奥地の乱開発が余計影響してるらしいですね」

などとことばを継がれました。

春は雪が溶けて地面が露出するので埃が舞う季節です。海からの東風が強いので机の上などがどことなく砂っぽくなります。これを俳句の季語では春塵といいます。しかし、同時に偏西風に乗ってやってくるゴビやモンゴル、チベットなどの砂漠からの砂も侮れません。

黄砂は季節感ある風情としてそれなりに愛されても来ましたが、近年は砂だけでなく公害物質も飛んでくると言うことで迷惑千万な存在になりつつあります。

黄砂は気象用語です。昔は「土降り」とか「霾(ばい)」と呼んだようです。

  つちふるや大和の寺の太柱  大峯あきら

  鳥影も霾る淡き仏訪ふ  大岳水一路

  黄砂ふる日を曼荼羅にぬかづきぬ  吉田汀史

角川の歳時記から引いてみましたが、驚くほど仏教に関連します。やはり多くの日本人には西域への羨望が遺伝子のごとくあるのでしょうか。西遊記の三蔵法師、あるいは正倉院からシルクロードへつながる夢。

そんなところから黄砂はさほど嫌われてはいなかったのでしょう。洗濯物が汚れることを除いては。

歳時記の解説には「春、モンゴルや中国北部で強風のために吹き上げられた大量の砂塵が、偏西風に乗って日本に飛来する現象」とあります。

詩人でもある俳人平井照敏の編集した河出文庫の歳時記はもう少し新しい感覚の俳句が掲載されていました。

  喪の列や娶りの列や霾る街  大橋越央子

  〈余談ですが、娶り(めとり)とは妻(め)取る、つまり妻を迎えることですが、「娶」とはずばり「女を取る」ですごい漢字ですね〉 

  真円き夕日霾なかに落つ  中村汀女

  つちふりしきのうふのけふを吹雪くなり  大橋桜坡子

  黄塵のくらき空より鳩の列  鈴木元

これらは霾(つちふり)という現象を背景に様々な実景を置くことで風情を際立たせています。

公害物質が飛んでくるのは困りものですが、黄砂とか黄塵、霾などと言う現象が春の味付けをしてくれているのは確かです。日本も公害を撒き散らしていた時代を乗り越えました。これから発展する国にもその経験を伝えて、一刻も早く、飛んでくるのは砂漠の土だけになって欲しいものです。

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2006年3月18日 (土)

三寒四温

三日寒い日が続いた後、四日温かい日に恵まれる。その繰り返しを三寒四温といいます。もともとは朝鮮や中国東北部辺りの冬の気候全体を表すものだったらしいのですが、日本では一般に冬から春の端境期に用いられます。

この現象は高気圧と低気圧の交互の通過によるものです。

三寒四温という寒暖の繰り返しから、次第に温かくなる時候。まさに三寒四温は春の訪れを心待ちにする今頃の気持ちに溢れた言葉です。もちろん歳時記にも冬の季語として掲載されています。

  三寒の四温を待てる机かな 石川桂郎

  三寒のくらがりを負ふ臼一つ 八重津苳二

  塩あてし鯖しまりゆく四温の夜 伊藤いと子

             ☆

このところ気候がとても不安定です。

十三日の月曜日には雪が激しく降りました。しかし翌日はケロッと晴れて温かい。こうした不安定さこそ季節の変わり目なのでしょう。

近在の桜並木の花芽が日ごとに太っています。 その下にいつのまにか沈丁花が開いています。

  沈丁の香をのせて風素直なる  嶋田一歩

本当に春はすぐそこまで来ています。

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2006年2月 8日 (水)

追悼 小川双々子先生

迂闊にも気づかなかったのですが、1月の17日、一宮市在で現代俳句協会の重鎮小川双々子先生がお亡くなりになっておられました。
毎日インタラクティヴより
「訃報:小川双々子さん83歳=俳人
 小川双々子さん83歳(おがわ・そうそうし<本名・二郎=じろう>俳人)17日、心不全のため死去。葬儀は親族のみで行う。お別れの会の日取りは未定。自宅は非公表。喪主はおい、中島富士雄(なかしま・ふじお)さん。

 名古屋を中心とする東海俳壇の指導的存在。05年、現代俳句大賞を受賞した。」

先生の逝去は、今朝の読売新聞に3月16日にお別れ会があるという小さな記事を見つけて知ったのです。

ネットで調べたら上記のような記事をいくつか見つけました。

東海俳壇の指導的存在とありますが、現今の俳句界になくてはならない楔のような方でした。俳句の世界においてすらそれほど著名ではありませんでしたが、先生の時代を見る目の厳しさはまさに詩人のそれでした。

先生の俳句や文章はとっつき難く一般受けはしませんでしたが、氏もその主宰される結社『地表』も、常に批評精神を研磨し続けています。

20代の終りから30代の前半、わたしは俳句における詩精神を学ぶべく『地表』に属していました。しかし率直に言うとわたしはその余りの詰屈さに結局は距離を置いたというのが本音です。

もう少し俳句としてのゆとりも欲しいと感じて伝統回帰、今の『藍生』に移ったのでした。

それでも『地表』のことは常に頭の中に響いており、今でも安易な俳句を作ろうとする気持ちを叱咤してくれます。

一昨年にはその前に属していた結社『槙』の平井照敏先生も亡くなられました。そこでは俳と詩の弁証性を学びました。ここでの体験も身中に息づいています。

今は『藍生』(黒田杏子主宰)の自由な海で泳いでいます。

それでもなかなか俳句は上達しません。

そもそも俳句とは何か。

わたしにとって俳句とは何か。

そんな問題も解答も当然のことながら見えてきません。

先達が次々なくなる中、模索の旅はまだまだ続きます。

ともかく小川先生、お疲れ様でした。ゆっくりお休みください。

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2005年10月15日 (土)

長生きの杖

所属している藍生俳句会(黒田杏子主宰)の重鎮・藤平寂信さんが本を出されました。

『長生きの杖・・・俳句とともに・・・』(小学館スクエア)

これは俳句結社誌『藍生』誌上に足掛け7年にわたって連載された70歳以上の投句欄「鶴亀くらぶ」に寄せられた俳句と選者藤平さんのコメントをまとめたものです。

藤平寂信さんは大正11年生まれ。毎日新聞の編集局長、副社長、大阪本社代表を歴任。退職後、瀬戸内寂聴さんの元で得度という変わった経歴の方。今年は齢84歳でピースボートに乗船、世界一周を果たしました。

この本には藍生会員で70歳以上の方の句が紹介され、そこに寂信さんの軽妙なコメントが載っています。例えば寂信さんと同い年の寂聴さんの作品とそれへのコメント。

銀漢や孤愁の果の金島書   瀬戸内寂聴(京都府 八十二歳)

 庵主さまは、いま能の台本を書いていなさるそうだ。物語はこの句のとおり、佐渡に流された世阿弥が孤独の寂しさに耐えながら「金島書」という名の能楽の教本を書き上げる苦節の一編である。(中略)誰だって、もう年だからってあきらめちゃだめよ、とおっしゃる。そうかなあ、と思って聞いている。」

長生きすれば誰もが避けられない「老い」といかに駆け引きしながら生きていくか。味わい深い作品が溢れています。たまたま著名な瀬戸内さんを紹介しましたが、全て巷の普通の方の作品です。ぜひ一読をお勧めします。

けふあるもいのちたふとしからすうり  松浦千種(71歳)

佳きことのありてパラソルくるくると  羽生瑞枝(98歳)

戦中派逝けり枯野の月明り  岡崎さぶろう(74歳)

わが余生あといくばくやとろろ汁  中谷さと(91歳)

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2005年4月19日 (火)

俳句雑学小事典

『游氣風信』最新号に「惜しむべき俳人たち」という文章を書きました。

その折に「俳句雑学小事典」というサイトを参考にさせていただいたのでお礼を兼ねて連絡したところ、主の北川光春さんから相互リンクのご提案。早速リンクし合いました。

「俳句雑学小事典」にはさまざまな俳句を中心に北川さんの関心事がきちんと出典付で掲載されています。読み物として興味深いですし、安心して参考にできます。

ぜひ一度訪れてみてください。

俳句雑学小事典

http://www5e.biglobe.ne.jp/~haijiten/index.htm

游のページ

http://homepage3.nifty.com/yukijuku/

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2005年4月 7日 (木)

惜しむべき俳人たち

HPに『游氣風信』最新号を掲載しました。
題して「惜しむべき俳人たち」。
昨年暮れ、著名な俳人が多く亡くなられました。
その中の三名を取り上げました。

鈴木六林男
桂信子
田中裕明

以上の方々です。

鈴木・桂両氏は大正生まれで90歳前後。
今日の俳句の礎を作られた偉大な人生でした。

田中氏は45歳。
これからの方でした。
俳句の未来の損失です。

ご関心ある方はご笑覧ください。
発行年月日が昨年の12月になっていますが、お気になさらないように。

http://homepage3.nifty.com/yukijuku/yuki/y180.htm

游のページ
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2005年3月 6日 (日)

俳句の読み

俳句は五七五という定型であり、歴史的仮名遣いという古い表記をしますから、馴染みのない方には読みにくい部分があります。
先だって、わたしが所属している『藍生』の結社誌を手にした知人が面白い読みをされました。

 木枯の鴉はぐれたらしく啼く 磯部まさる

作者は東京在住の編集者です。

この句を知人は

 木枯の鴉は ぐれたらしく 啼く
 
と読みました。
鴉がグレた?
これは面白い解釈です。

しかし、作者の思いは

 木枯の鴉 はぐれたらしく 啼く

つまり 木枯しが吹きすさぶ中、一羽の鴉が啼いている。きっと仲間からはぐれて淋しく啼いているのだろう。
ということです。

しかし、俳句になじみの無い知人は鴉がぐれた、つまり不良になったと理解したのです。
作者の意図とは違いますが面白い解釈です。
ちなみに「ぐれる」には「予期したこととくいちがう」という意味があります。
まさに知人の解釈は「ぐれ」たものでした。

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2004年9月17日 (金)

愛知便り

所属している俳句結社『藍生俳句会』(黒田杏子主宰)のHPに「愛知便り」を掲載しました。
なんと初めての写真入の文章と俳句です。
レイアウトは会員でその道のプロがやってくださいました。
ネット管理者は地元紹介の紀行文を期待されたようですが、あちこちでかける余裕がないので、仕事のことに終始し、そのご近所のちょっとした名刹やなんでもないけど魅力的な自然などを取り上げています。
一度ご笑覧ください。
藍生俳句会
http://www.mmjp.or.jp/aoi/2004/kakuchi.html

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2004年5月18日 (火)

五月雨 五月晴れ

今年の五月の天気はぱっとしません。
通常なら爽やかな薫風の五月晴れといきたいところですが、
今年は雨が多く、もう梅雨に入ったかのよう。

ところで
昔は梅雨のことを五月雨(さみだれ)と呼んでいました。
その晴れ間のことを五月晴れ。
ですから今の感覚とはかなりかけ離れています。

梅雨の晴れ間を五月晴れ(さつきばれ)
五月の爽やかな晴れ間なら五月晴れ(ごがつばれ)
と使い分けたいところですね。

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2004年5月 6日 (木)

桐の花

心待ちにしていた連休もさっさと通り過ぎていきました。
わたしは特に休みは取らず、毎日ぼちぼちと仕事をしていました。

江南市のある工場脇に桐の高木があります。
曼陀羅寺の藤で賑わう近くです。
以前そこで

  いつからを夕空といふ桐の花 広志

という句を詠んだことがありました。
この句はめずらしく評判が良かったので思い入れの深い句のひとつです。
ところが最近その桐の木の近くを通りましたらばっさりと切られておりました。
見事な高木で空の高いところにびっしりと花をつけてそれはすばらしい木だったのです。
しばらく呆然と空を見上げ、見えない枝葉を思い描いておりました。
初夏の空一杯に渾身の枝を広げ、吹き抜ける風に花を咲かせていたのに・・・・。

その近辺にあるコンビニエンス・ストアも閉じていました。
諸行の無常をひっしと受け止めて次なる在宅ケアのお宅に向かったのでした。
連休のさびしい思い出です。

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2004年4月29日 (木)

中日新聞28日夕刊

中日新聞の12面に矢島渚男さんが「俳句時評」を書いておられます。
昨夜の新聞には、この前ここに書いた「二十世紀の名句手帖」が紹介されていました。
編集者斎藤慎爾氏の大変な努力による壮大な企てだそうです。
掲載されているのは秀句だそうですから、わたしの句もちょっとは自慢できそうですね。

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