俳句とからだ

2017年1月14日 (土)

俳句とからだ 122

連載俳句と“からだ” 122

 

 

愛知 三島広志

 

シン・ゴジラと狂言

 初代ゴジラへのオマージュとして創られた庵野秀明監督による映画シン・ゴジラ」が話題になっている。第一作は戦後間もない昭和29年に公開されている。観客はゴジラの来襲を米軍による空襲の印象を抱いて観たという。確かに戦後9年しか経っていない。更にその少し前にビキニ環礁で第五福竜丸が核実験に遭遇し犠牲者が出た。ゴジラはそれらを踏まえて制作されたので単なる娯楽作品の域を出て世相や人心に深い思いを抱かせた。本多猪四郎監督も「戦後の暗い社会を尽く破壊、無秩序に陥らせる映画を作りたかった。原爆というものに対する憎しみ、恐怖心を忘れないように作ろう」としたと述べている。シン・ゴジラも同様に東北の大震災や原発事故をモチーフに創られている。その結果、怪獣映画の範疇を逸脱し、超絶的な困難に対応する政府へのアイロニーとして興味深い作品となっている。

 

はこべらや焦土のいろの雀ども

石田波郷

 

 この映画で興味を抱いたのは内容だけではない。ゴジラはずっと着ぐるみで演じられたが今回は初めてCGで制作された。その動きのモデルとなったのが狂言師野村萬斎だったのだ。彼の幼少から鍛えられた動きの美しさは誰もが認めるところだろう。ゴジラの動きも彼が演じることでゴジラの存在の根幹が表現されている。シン・ゴジラのシンは新、真、神などが想像できる。英語表記のGodzillaGodが含まれていることは以前から言われていたことだが、今回の映画のゴジラにはとりわけ神性が感じられた。ただ歩く姿にある種の神々しさを感じたのだ。これは野村萬斎と彼を育んだ能や狂言の伝統的な歩行技能が関与しているに違いない。野村萬斎自身、マスコミでゴジラの神性をどう表現するか、悩んだことを告白している。単なる恐竜になってはつまらない。そこで彼の提案で掌を上に向けたそうだ。それは玉を抱く龍や仏の手の有り様に似てくる。そして摺り足で重厚に歩む。その結果、古典的な歩みの「型」の存在感が際立つことになった。野村萬斎は自身の著書『狂言サイボーグ』で「人体は一種のハードウエアのようなものだ。知識ではなく身体で『型』や『カマエ』といったソフトウエアを体得させた精巧なコンピュータを持っていれば、実はそれだけ個性を発揮する力にもなる」「自由を求める自我と伝統という強大な枠組みの葛藤。しかし囲いがあるからこそそこに遊戯の精神が生まれ、逆に自由に表現できることを修行が終わる頃になってやっと知る」と記している。これは伝統的な形式をもつ俳句にもそのまま当てはまることだと驚嘆した。

 

 稽古とは一より習ひ十を知り十よりかへるもとのその一       千利休

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俳句とからだ 121

連載俳句と“からだ” 121

 

 

愛知 三島広志

 

オリンピック

 リオデジャネイロで開催されたオリンピックは成功裡に終わった。この稿を書いている現在はパラリンピックで盛り上がっている。現地の治安の悪さや不況、テロの問題が懸念されたが今のところ順調に運営されている。既に終わったオリンピックで日本はメダル獲得数が過去最高となり、次回東京では更に上を目指そうと盛り上がっている。しかし元来オリンピックの目的はそうした国威発揚の場ではあるまい。

 

 オリンピックは古代と近代に分かれ、近代は古代の理念に感銘したクーベルタン男爵の提唱から始まる。第一回は1896年のギリシャ、アテネで開催された。そもそも古代オリンピックはギリシャで四年に一回行われ、その期間及び前後を含めて三ヶ月休戦するというものであった。それは戦争や伝染病の蔓延に困窮した王が神託によって「休戦せよ、競技会を行え」と言う啓示に従ったものとされる。まさに「聖なる休戦」と呼ばれるにふさわしい平和の祭典である。

 

マラソン一群英霊の来る如く

今坂柳二

 

 「オリンピックは、勝つことでではなく参加することにこそ意義がある」という知られた言葉がある。これはイギリスのタルボット大主教の説教で当時イギリスと関係の悪かったアメリカ選手へ贈られたものである。それに感銘したクーベルタン男爵が演説で語ったところ彼の言葉として広く喧伝されたという。古代オリンピックの理念と照らし合わせれば誠に的を射る言葉であろう。

古代オリンピックが戦争の代替であることは競技から想像できる。何故ならその種目は多くが戦いであるからだ。砲丸投げ、槍投げ、円盤投げ、ハンマー投げは全て武器の投擲だ。ボクシングやレスリングも格闘である。パンクラチオンという何でもありの格闘技もあった。現代でも射撃や弓がある。

 

つなげ来し燃ゆる聖火や原爆忌 

山本正晴

 

 現在のオリンピックは拝金主義に陥り本来の世界平和の祭典という目的を失しているという指摘がある。実は古代オリンピックも同様に様々な問題を派生し、次第に娯楽化、宗教的意義を見失うと同時にローマ帝国となりキリスト教の繁栄によりオリンピア信仰は消滅する。再びオリンピックが日の目を見るのはクーベルタン男爵登場まで1000年以上の空白を要したのだ。

 

「自己を知る、自己を律する、自己に打ち克つ、これこそがアスリートの義務であり、最も大切なことである」これがクーベルタン男爵の言葉、至言である。

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俳句とからだ 120

連載俳句と“からだ” 120

 

 

愛知 三島広志

 

距離

鶺鴒の人を恐れぬ距離保ち 

三島広志

 

人は他人との距離を学習することで人間として成長する。新生児は母子一体で母の存在即世界であるが、成長とともに幼子は対象を手や唇で触れることによって自分とは異なる世界の存在を確認する。さらに指さし言葉という動作を用いた言語以前の言語で世界を分節していく。

 

佐渡ヶ島ほどに布団を離しけり

櫂 未知子

 

その後、育つ過程で次第に対象と自分との距離感を学んでいく。人と人との距離を上手く制御できることは大人の条件であり、そうして成長した人を「人間」と言う。人間は時間的(歴史)、空間的(社会)距離感を教育によって学んだ動物だ。時間、空間、世間、人間。それらの言葉にある「間」とはそうした関係性に他ならない。その関係性が理解できないのが子どもであり、年齢を重ねていてもそこが理解できない人は子どもじみていると評価されてしまう。

 

人と人との距離は相対的に決定されるものだ。絶対的に規定されるとしたらそれは封建時代のような自由のない社会である。本来関係性は自由なものだ。恋人達のように身体が触れ合う関係もあれば、握手程度の触れ合い、触れることのない間合い。激しく対立し相容れることのない距離。これらの距離感を理解し、受容すると同時に能動的に駆使することで人間関係は成立している。自然や環境、道具などとの関係も同様である。

 

薄氷や触れてあやふき人の距離 

金子恵美

 

この句、距離感を誤り、うっかり触れるまで近づいてしまった思いを詠んでいる。その先は危うい関係となる。それは抜き差しならない親密な関係となるのか、あるいは敵対することになるのか。作者は具体的に述べてはいないが薄氷という儚い季語を上五におくことでその危うさが具体的な手応えをもって示唆されていると同時に、この先は鑑賞者が自由に想像できる余白が与えられている。

 

もう逢えぬ距離なり釣瓶落しかな

中村克子

 

 こちらは親しい関係が疎遠になったことを示唆している。なぜ逢えなくなったのか理由は分からない。具体的なことは全く述べられていないからだ。しかし、その思いの切なさを釣瓶落としという季語に託して言外に表現している。井戸水を汲む釣瓶が一気に落ちていくように暮れていく秋の夕暮れの状況が作者の距離感を雄弁に語っているのだ。

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俳句とからだ 119

連載俳句と“からだ” 119

 

 

愛知 三島広志

 

時代の俳句

 201675日発刊『俳句文学館』の「的」というコーナーに中山奈々という若手俳人が興味深い文章を寄せている。「突然だが質問である。俳人協会の皆さんは、若手俳人の名を一人でも挙げることが出来るだろうか?出来なかった方は残念だが、この世に若手俳人は居ないものと思って貰いたい(後略)」。過激な冒頭だが若手もベテランも互いに歩み寄り吸収しあって俳句の世界を築いていこうというものだ。

この著者中山さんは五月に愛知県の明治村で行われた俳句対局で活躍された。その対局相手が同じく若手の工藤恵さん。俳句対局は松山市とその観光大使夏井いつきさんが各地で試みているイベントである。囲碁の対局のように大衆の前で次々に即吟するという過酷なものだ。発想がすぐに俳句化しなければならない上にややこしいルールもある。お二人は見事に対局され観客の度肝を抜いた。その数日後、工藤恵さんから産まれたての『雲ぷかり』(本阿弥書店)という句集が届いた。跋は彼女の師である坪内稔典氏。

  一読して気づくこと、それはカタカナ語の食品が多く登場することだ。アンティパスト、カレーのルー、チャーハン、ツナ缶、キャベツ、ブロッコリー、チョコボール、キューピーマヨネーズ、カゴメケチャップ、ピーマン、ハイボール等。勿論日本語の食品も出てくる。鶏そぼろ、豆腐、みそ汁、丸美屋のふりかけ、さくらんぼ。これらはそのまま今の日本の食卓あるいは家庭を表現している。工藤さんは眼前の日常をそのまま素材として句に仕立てているのだ。気負いも衒いもなく素直な日常スケッチをしているように見える。つまり彼女の日常から現代が読み取れるのだ。そのための装置がこれらの言葉であり俳句という形式である。従ってカタカナが多いのは極めて今日的で当然のことである。まだ俳句の言葉として練られていないなどと俳句オヤジが意見を言う隙を与えることなく易々と使いこなしている。

 だが、彼女の俳句はそれだけではない。簡素な表現の奥に現代も過去もない普遍的な本質を覗かせている。敢えて似た句を並べてみるとその世界が垣間見える。鑑賞してみて欲しい

 

草の花見つけてくれないかくれんぼ

曼珠沙華かくれんぼから帰らねば

天道虫飛んでった日の石ころ

心がこわれた天道虫が飛ぶ

天道虫空の泪の形して

かき氷泣けば許してくれますか

かき氷前髪切った顔同士

空蝉をいくつ覗いても空っぽ

空蝉を零して歩く少年ら

 

以下の句にも惹かれた。軽いが深い。

 

団栗をポッケに入れしまま大人

凩の中のきりんへひとりごと

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俳句とからだ 118

連載俳句と“からだ” 118

 

 

愛知 三島広志

 

19回俳句甲子園地区大会

 俳句甲子園東海地区大会の審査をさせて頂いた。俳句甲子園との縁はすでに十年近くなるだろうか。審査委員長という立場だったので初めの挨拶と最後のまとめ、それ以外にも度々マイクを向けられることとなった。

 俳句甲子園は五名で構成されるチーム同士が戦う形式である。前もって提出してある題詠作品の絶対評価と、当日、ディベートによる鑑賞の相対評価によって勝負が決まる。句と鑑賞の評価の全てが五人の審査員に委ねられるのであるからその責任で胃がキリキリ痛むほどである。

 

 山頂に流星触れたのだろうか

清家由香里

 

初めて審査員を受けたとき、マイクを手にした生徒が相手の句の問題点に対し糾弾するかのごとく畳みかける点に違和感を抱いた。そこで次の様に語った。

「俳句を読むためには解釈と鑑賞の二段階がある。まず相手の俳句をリスペクトして文字通り読み、そこから映像を描く。これが解釈。その映像に自分の知識や体験、想像を加えて発展させる。それが鑑賞。作者と鑑賞者の両者によって俳句は完成する。まず相手の句からどんな映像を読み取ったか述べてから鑑賞へ入ろう。

言葉は真実を正確に描く自立とそれを読み手が再現できるように伝えるための伝達から構成される。犬といっても自分の思っている犬と相手が想像する犬は異なる。そこが面白い」

こうした問題点を折々混ぜながら審査をした。すると高校生たちはすぐそれに反応して見事な鑑賞を始めた。その柔軟性には驚いた。

 

湧き水は生きてゐる水桃洗ふ

大橋佳歩

 

 今回は大会の最初の挨拶として

「鑑賞は貶し合いではない。お互いの句がより素晴らしい作品となるためのディベート、それを期待したい」

 

最後のまとめとして

「私たちは俳句を通じて場を共有した。場とは時間と空間だ。俳句はメディアとして私たちにそれを与えてくれた。俳句甲子園は我々が高校生に俳句を指導する場ではない。行き場を失って閉塞した俳句に新しい風を入れるために君たちを必要としている。俳句は君たちが巻き起こしてくれる風を求めているのだ。これから就職したり進学したり環境は変わっても俳句という杖を一本持っているときっと辛いとき、寂しいとき俳句が君たちを助けてくれる。どうかずっと続けていって下さい」

 

掲出句は愛知県幸田高等学校の生徒作品で第10回と第17回の全国最優秀作品。

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俳句とからだ 117

連載俳句と“からだ” 117

 

 

愛知 三島広志

 

しなやかと堅牢

 熊本県で激烈な地震があり、多くの家屋が倒壊してしまった。それは神戸の地震と同じく活断層による直下型地震であった。神戸の地震の後、倒壊した家屋の多くが日本的な建築であったため、その後外来の建築法が注目されることになる。

日本の伝統的な建築法は木造軸組構法である。さらにそれは伝統工法と在来工法に分類できる。伝統工法は柱と桁で組まれる構造で原点は竪穴式住居に繋がるとされる。その特徴は柔構造で揺れを粘りで吸収することだ。それに対して在来工法は昭和に入って考案された技法で、伝統工法をさらに筋交いなどで補強し揺れを木組みの粘りで吸収するのではなく堅牢に受け止める構造になっている。

 

 すみれ踏みしなやかに行く牛の足

秋元不死男

 

 外来の建築法で多く用いられているのは木造枠組壁構法(2×4工法)である。19世紀に北米で発展し世界に広がった建築で原型は開拓時代に遡る。壁で衝撃に対応する構造である。開拓者は自分で家を建てる必要があり、素人が建築するためのキットが存在していたようである。

 

 今日の建築現場を見ると、日本的家屋は在来工法で大工さんが器用に柱や梁を組み上げて丁寧に建築している。それに対して今風の家は外来工法で板を釘で打ち込んで大雑把に作っているように思える。ところが地震や台風に対して外来工法が意外に強いのである。建築関係者によると外来工法は壁で頑健に受け止めるから頑丈なのだそうだ。それに対して日本家屋は技術が物を言う。匠がきちんと組み上げれば相当丈夫であるとのこと。

 

金剛の露ひとつぶや石の上

川端茅舎

 

 どちらの建築法が優れているのかはこの文の主題では無い。ただこの柔と剛の存在には興味が湧く。大相撲の横綱白鵬は好調時、柔軟に相手の攻撃を吸収しながら勝利をものにする。伝統工法の様な粘りの相撲だ。大関琴奨菊は剛直に直進し一気に勝負をつける。壁で耐震する外来工法のような強さだ。ただ強い反面脆さも目立つ。

 

 俳句には五七五という形式がある。これを堅牢な器として用いるか、しなやかに利用するか。その扱いは俳人に委ねられる。外見上は同じ俳句でも内面に柔構造を持つか堅牢な俳を目指すか。ここに俳人の俳句観が見て取れることだろう。さて次の名句は柔か剛か。

 

くろがねの秋の風鈴鳴りにけり

飯田蛇笏

泉への道後れゆく安けさよ

石田波郷

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俳句とからだ 116

連載俳句と“からだ” 116

 

 

愛知 三島広志

 

「に」と「へ」

俳句初学の人との交流は愉しい。俳句の常識に対して率直に疑問をぶつけてくる。俳人は螢を「ほうたる」と呼ぶがこれは辞書を探しても見つからない。俳句に親しんだ人は何気なく用いているが、俳句に縁の無い多くの人にとって「ほうたる」は初めて聴く言葉だ。

 

また、文法においても俳句ならではの用法があり、一般の日本語とは異なる用い方をするので戸惑うことがある。それは俳句独特の「切れ」や「省略」があるからだ。日常語のように見えて微妙に屈折するのでまともに読んでいると意味不明となる。または様々な解釈を呼ぶこととなる。次の句はその代表であろう。

 

田一枚植て立去る柳かな  芭蕉

 

そのまま読めば田を植えて立ち去ったのは柳となる。しかし柳が田を植えるのは妙だと考えると芭蕉か村人が田を植えて立ち去る、そこに柳の木があったと鑑賞することも可能だ。「立ち去る」は連体形であるから柳に掛かるが「立ち去る/柳」と軽く切るという読み方もあるからだ。同じことは現代俳人の句でも見られる。

 

 手をつけて海のつめたき桜かな

岸本尚毅

 

「つめたき/桜」とこの連体形も掛かると同時に軽く切れている。どちらも重層的に鑑賞できるので十七音が複雑に広がって深く大きな世界を産んでいる。しかし俳句初学の人には解釈が難しい句だ。

 

 また同じ初学の人から

 

 ひとづまにゑんどうやはらかく煮えぬ

桂信子

 

の格助詞「に」が分からないと聞かれた。豌豆が人妻のために自主的に煮えるとは思えないからだ。そこで中岡毅雄著『俳句文法心得帖(NHK出版)』で調べたところ「本来、『に』は、動作や作用の帰着点を表します。(中略)それに対し、『へ』は、体言の『辺』から助詞へ転化したもの」と説明してある。しかしこの説明では「ひとづまに」の説明ができない。そこでmailで中岡氏に直接尋ねたところ前掲書では「に」「へ」の比較をしたのみで「に」の他の用法には触れていないこと、さらに辞典に基づいた丁寧な回答を頂いた。氏に習って辞書を引くと「動作・作用の及ぶ所・方向を指示する」(広辞苑)とある。豌豆が煮えるという作用が人妻という対象に対して及んだということだ。

 

省略の利いた俳句が初学者に読みにくいは仕方が無いが、実は長年やっている者も意外と分からないまま俳句と接していると反省する次第である。

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俳句とからだ 115

連載俳句と“からだ” 115

 

 

愛知 三島広志

 

バイタルサイン

 医療の現場で重視される生命指標としてバイタルサイン(vital signs)がある。vitalは「生きている」、sign は「兆候」という意味で、つまり人間が生きている兆候を意味する。具体的には心臓が拍動し血圧が保たれ、呼吸をし、体温が維持され、排尿・排便し、意識状態に応じて反応があり、脳波が特定パターンを示すことと言われる。

バイタルサインの測定は数値化される。一般的にバイタルサインは血圧・脈拍数・呼吸速度・体温を示す。近年は計器の発達からパルスオキシメーターによる動脈血酸素飽和度(SpO2)の測定値も含めることが多い。バイタルサインは医療・看護・介護の共通言語として極めて重要であり、それが示すものは患者の客観的事実である。患者の客観的事実を多くの人間が共有するために数値化されたバイタルサインが必要となるのだ。

 

米飾るわが血脈は無頼なり

角川春樹

 

しかし果たして物事は客観的に存在するだろうか。決してそうではあるまい。私が見ているものはあくまでも私化された事実であって他人とは本質的に共有することは叶わない。ある人の状態を多くのワーカーが共有するために数値化されたバイタルサインを用いるがそれはその人のある側面であり全体を示すものでは無い。それを理解した上で医療行為が行われるのだ。

 

あやまちはくりかへします秋の暮

三橋敏雄

 

俳句もまた同じだろう。作者が見て感じた事実を言語化しても決してそのまま伝達できるわけでは無い。バイタルサインのように数値化すら出来ない。それでも俳句を創るのは自他の間に共通の認識を期待するからだ。そこに物事を正しく表現したいという「言語の自立」と物事を正しく伝えたいという「言語の伝達」という矛盾が生じてくる。

 

 薪能光と闇を分かつ笛  福田泉

 

私たちは俳句という表現を通じて、詠み手と読み手の間に初めから存在する共有不可能な客観的事実を共有するために、伝達的事実を言語化する。しかしそこに立ち上がってくるのは共有では無く共感なのだ。詠み手と読み手、詠まれる対象と詠み手はそれぞれが対立しているが共感という昇華によって作品が成立する。

これら不可避の対立を相互浸透する行為(共感)が観賞だ。虚子の「選は創作なり」とはまさにこのことを簡潔に言い表しているに違いない。

 

一対か一対一か枯野人

鷹羽狩行

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俳句とからだ 114

連載俳句と“からだ” 114

 

 

愛知 三島広志

 

天才ピカソ

 愛知県美術館で「ピカソ、天才の秘密」が開催されている(201613日から321日)。ピカソの知られた「青の時代」と「バラ色の時代」に焦点を当て、彼の創始となるキュビズムまでの前半生を集めた催しだ。ピカソは1881年に生まれ1973年に没した。天才の多くは夭折するとされるが彼は91歳という長寿を得、生前から天才の名声を欲しいままにした希有の存在だ。ある評論家が「ピカソは天才として生まれ生涯をかけて子どもになった」と言うようなことを述べているがこれはピカソの有名な言葉「ようやく子どものような絵が描けるようになった。ここまで来るのにずいぶん時間がかかったものだ」を踏まえているのだろう。私はこの言葉から寺山修司の晩年の詩『懐かしのわが家』の「ぼくは不完全な死体として生まれ/何十年かかゝって/完全な死体となるのである」を思い出す。人は天才であろうと無かろうと生涯という過渡期を生きながら何かを求めそれを埋め込むように生きていくのだ。

 

 蒼鉛いろの暗い雲から

みぞれはびちょびちょ沈んでくる

宮澤賢治「永訣の朝」より

 

ピカソは幼少期から美術教師である父親から絵画を習ったが十代の習作がすでに絵画の歴史を凌駕するほどの出来映えである。上手に描くことは彼にとって退屈なものであったに違いない。その後、「青の時代」「バラ色の時代」「アフリカ彫刻の時代」を経てキュビズム、新典主義、シュールレアリスムへと目まぐるしく変転した後、ドイツ空軍によるスペインのゲルニカ地方無差別空爆を非難した大作『ゲルニカ』(1937)に至る。晩年になっても創作欲は衰えず、生涯の芸術家として生き抜いた。

 

 私は絵画には全く無知である。したがって今回の美術展では幾つかの初歩的な学びがあった。あの有名な「青の時代」が20歳から23歳、「バラ色の時代」が23歳から26歳とどちらも若く、しかも長寿のピカソから鑑みて時代と呼ばれるには期間が大変短いことである。しかしそれこそが天才の証だろう。ピカソは変転したそれぞれの時代の内の一つだけを実現していたとしても天才と呼べる存在なのだ。さらにピカソと言えど孤高の存在では無かったことだ。彼は過去のゴッホやセザンヌなどの作品、あるいはアフリカの芸術に学ぶと同時に、同時代のマティスやブラックなどの多くの友人と積極的に交流し影響を与え合っていた。また、多くの女性との関係もあり、それらの要素が複雑に絡み、深まりついにピカソの身体を通してキュビズムが生まれてきたと考えられる。

 

春遅々とゲルニカの灯に色なきよ

窪田英治

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俳句とからだ 113

連載俳句と“からだ” 113

 

 

愛知 三島広志

 

器という宇宙

 藍生の会員には一芸を確立した素晴らしい人が大勢いらっしゃる。塗師小森邦衞氏もその一人だ。何しろ人間国宝として漆という伝統工芸を担っておられる。昨年、名古屋のタカシマヤで個展を開催されたので短時間であったが訪問して作品を鑑賞し、お話を聞く機会を得た。氏の佇まい、醸し出す雰囲気は工芸家というより品のいい学者という感じだ。

 

 一言の人殺めしか曼珠沙華 邦衞

 

 漆は縄文時代から作られているという伝統工芸だ。西洋では磁器をChina、漆をJapanと呼ぶと言われる。それ程日本の漆が海外で評価されているということだ。漆器は元々陶磁器と共に各家にあって毎日使用されていたことだろう。私の母の実家は酒の醸造と販売を家業としていた商家である。漆の膳と器が数十客あり、来客時はそれを使用していた。つまり漆の器は工芸品であると同時に日用品だったのだ。小森氏も漆の器を日常使用して貰いたいと言われていた。これは瀬戸の本業窯水野半次郎七代目が陶器は飾る物でなく日用使いすることで器として育っていくという言葉に近いと思われる。

 

ひよんの笛心の丈を音にして 邦衞

 

 小森氏は輪島塗が大勢の専門職の共同で完成させるという一般工程をほとんど独りでされる。竹籤を緻密な幾何学模様の網代に編み、固定する枠を作り、漆を繰り返し繰り返し塗る。この気の遠くなる工程を強い気息を保ったまま成し遂げられるのだ。拝見した氏の器は端然と、屹然とそこにあり、妥協のない形の厳しさと塗りの温かさが一つの宇宙を形成していると感じた。

 器は空間を押しのけ自己の存在位置を確立している。しかし見方を変えると空間が圧力をもって器をその形に押し留めているとも考えられる。内から外へ膨張しようとする力と外から押し込めようとする力のバランスが器を器たらしめているのだ。そこに器の宇宙が存在する。

 

氏の作品は氏の思いを見事に具現化し、完成した宇宙を創出している。竹を緻密に編んだ網代の文様に塗られた漆があるところでは深く沈殿し、あるとこでは明るく竹籤を浮かび上がらせる様子は宇宙が時間と空間の変化途上、闇と光の醸し出す流れを想像させてくれる。そして氏の作品は作品のみで完成するのではない、作品とそれを置く空間との共同で完成に至るのだ。それを手にする日常の豊かさ。

漆器は竹や木で出来た素材の自己主張を漆が宥めるように、抑制するように塗られることで角の取れた穏やかで暖かみのある主張が立ち上がってくるようだ。その器は使い手を閑かに待っている。

 

 夏椿ことばつくせば汚れゆく 邦衞 

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