« 俳句とからだ 178 DNAとワクチン | トップページ | 俳句とからだ 180 言葉と身体感覚 »

2022年8月25日 (木)

俳句とからだ 179 オリンピックとオリンピズム

連載 俳句と“からだ” 179

 

三島広志(愛知県)

 

オリンピックとオリンピズム

 東京オリンピックはCOVID-19の影響で一年延期し、2021年夏、ほぼ無観客で開催される。そこまでして開催する必要はあるのか。古代オリンピックは紀元前776年の第1回大会から紀元後393年の第293回大会まで約1200年にわたって四年に一度、ギリシアのオリンピアで行われた。競技種目は第1回から第17回まで192m(この距離をスタディオンといい、スタディアムの語源)の徒競走のみだったが、第18回以降、レスリング、ボクシング、パンクラティオン(総合格闘技)、長距離走、五種競技、円盤投、やり投、戦車競走などが増えた。実は古代オリンピックはスポーツ大会ではなく全能の神ゼウスを祀る祭典だった。祭典の間、休戦(エケケイリア)をしたので平和の祭典と呼ばれる。しかし皮肉なことにローマ帝国の征服によって終焉を迎えることとなる。

 

 1896年、近代オリンピック第一回アテネ大会が開催された。中心になったのはピエール・ド・クーベルタン男爵(18632004)である。古代オリンピックに影響されたスポーツ大会は世界のあちこちで実施されていたが、国際的な活動になったのはこの大会だけであった。クーベルタンはスポーツの教育や心理に果たす役割に関心を抱いていた。自らの理想を実現するため社会啓蒙も行い、オリンピックとして結実した。彼は「スポーツを通して心身を向上させ、さらには文化・国籍など様々な差異を超え、友情、連帯感、フェアプレーの精神をもって理解し合うことで、平和でよりよい世界の実現に貢献する」というオリンピズムを提唱した。「教育者としてスポーツによる人間陶冶と社会改革という二つの思想(参照:田原)」が生み出したものだ。しかし「帝国主義的植民地政策に加担する言説や社会不平等論(参照:清水)」を唱えたこともあり、先のオリンピズムと矛盾するところもある。

 

仮にコロナ禍でないとしても、果たしてオリンピックに今日的意味はあるのだろうか。1896年に近代オリンピックが始まって二度の大きな世界大戦があった。その後は国威発揚、代替戦争の場となり、現在IOCは興業主として選手の存在を全く無視、深夜の試合や真夏のマラソンを組む。古代オリンピックは神事だった。現在も各地に祭典があり、純粋なスポーツ大会も開催される。利権者の手遊びに付き合う必要など全くない。

 

 湾曲し火傷し爆心地のマラソン

金子兜太

参照

「古代オリンピア祭典の起源とその周辺」加藤元和

「オリンピックと教育­-オリンピック競技大会誕生の背景とその今日的意義-」田原淳子

「古代オリンピックの知られざるリアル」橋場弦

「クーベルタン、その虚像と実像」清水重勇

|

« 俳句とからだ 178 DNAとワクチン | トップページ | 俳句とからだ 180 言葉と身体感覚 »

俳句とからだ」カテゴリの記事

コメント

この記事へのコメントは終了しました。