« 俳句とからだ 163 The War of the Worlds | トップページ | 俳句とからだ 165 K高校文芸部へ »

2020年7月 2日 (木)

俳句とからだ 164 千秋楽

連載俳句と“からだ” 164

 

愛知 三島広志

 

千秋楽

2019年末、世界は新型コロナウイルスに襲われた。

社会の基盤をなすessential business(必須業務)である交通・流通、医療機関、食料品店、薬局などと、それ以外のnonessentialな業務が峻別された。たとえば飲食業、芸術・芸能の公演、スポーツ大会、遊園地などは業務を停止した。

私が参加を予定していた勉強会や会合なども全て取り止めとなった。私自身も仕事を完全に休むことにした。鍼や指圧などの施術は長時間密接することとなる上、自分も含めて対象には高齢者や疾患のある方が多い。このような非常時、医業類似行為とはいえ救命に直結しない分野なのだからessentialではなかろう。他国もほぼ同様の見解である。

ヒトという生物を生息させるために最低限必要な業務がessential businessである。対してヒトを人たらしめるのが不要不急の文化的業務だろうか。

 

生物内でしか棲息できないウイルスの感染を防止するには、人との接触を避けざるを得ないが、それは不可能だ。そこで感染予防措置としてマスク、手洗いやうがいが重要となる。そのため世の中からあっという間にマスクや消毒液が消えていった。

暗い世相を元気づけようと、歌手や俳優などが手洗いの啓蒙のためインターネット上に動画を盛んに流し始めた。

高校の後輩で観世流能楽師の中所宣夫氏。この連載の第53回に彼の創作能『光の素足』について書いた。金利恵さんの俳舞の鑑賞にも来ていた。そんな彼がSNSに愉快な動画を上げていた。

「娘から来たネタ。手洗い20秒の目安に『高砂』の「千秋楽」が良いというのでやってみました。悪魔を祓い寿福を招きます。皆さんも是非やってください。」というコメントがある。

 

千秋楽は民を撫で 万歳楽には命を延ぶ 相生の松風 颯々の声ぞ楽しむ 颯々の声ぞ楽しむ

 

ほぼ30秒、石鹸で手を洗いながら謡っている。動画を観ながら「誰が謡えるかい!」と爆笑した。

 

 時代劇の祝言で必ず謡われる『高砂』は、「高砂や この浦舟に帆を上げて 月もろともに出潮の 波の淡路の島影や 遠く鳴尾の沖過ぎて はや住吉に着きにけり」が有名だが、これは五つの小謡の四番目だ。そして五番目がこの「千秋楽」である。付祝言として用いられることも多く、相撲や演劇の「千秋楽」の由来とされる。

 

この「千秋楽」を謡いながら手を洗う映像は文化のもつessentialな何かを届けてくれた。逃れるべくもない世界的な艱難の中にありながら、彼は自身を以て、ヒトを人となす文化の底力を示していた。

 

蟻地獄ただ松風を聞くばかり

 高野素十

 

|

« 俳句とからだ 163 The War of the Worlds | トップページ | 俳句とからだ 165 K高校文芸部へ »

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)


コメントは記事投稿者が公開するまで表示されません。



« 俳句とからだ 163 The War of the Worlds | トップページ | 俳句とからだ 165 K高校文芸部へ »