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2020年7月 2日 (木)

俳舞 金利惠、名古屋に降臨

金利惠、名古屋に降臨

愛知 三島広志

 

二つの国を、二つの言葉を自在に行き来する舞姫。彼女がひとたび身を翻せば舞となり、地を這う風が空へと駆け巡る。思慮深く声を発すれば口唇から言葉が俳句となって零れ散る。彼女の身体は二つの国の歴史を個人史として受け止めつつ未来へと開く。舞と言葉は彼女の魂の、そしてもっと大きな何かの化身なのである。

(「俳舞」パンフレットより 三島広志)

 

プロローグ

二〇二〇年一月十六日。ついにこの日が来た。

金利惠さんの「俳舞」の名古屋での公演を支えるため、前年十月、名古屋在住で金利惠さん旧知の張・李夫妻、韓国古典芸能団主宰の蔡さんと酒向さん、韓国語学校経営の韓さんにより「ゆるやかな応援団」が結成され、俳句仲間として著者も加わった。月に一度集まり集客や当日の運営手伝いの相談をしてきた。

 

『俳舞』、それは俳句と韓国伝統舞踊のコラボレーションという雲を掴むような企画だった。人に紹介するにも難渋した。金利惠さんも一度話合いに参加し、その構想を語ってくれたが、具体的なものが想像できず、拝聴していたメンバーも些か困惑した表情だった。いたずらに日々が過ぎていく。うまくいくのか、開催できるのか。日韓の関係も戦後最悪と言われている。

そんな心配をよそに民族の団結や民族を超えた友情が作用した。チケットの売れ行きが上々であることが分かった時は全員ほっと胸をなで下ろした。最終的にチケットはほぼ完売。あとは当日混乱無く運営できれば大成功。

 

当日午後、無事この日を迎え心からの安寧を得た。開場前、期待と安堵の混じった気持ちで、会場のロビーから外を眺める。ホールのある九階の窓からは寒晴れの空のかなたに雪の御嶽山が輝いている。少し東に木曽の山脈。こちらも真っ白だ。普段はビルに埋もれてこうした山々を見ることはできない。

本番前、最後の打ち合わせで各自の役割などを確認しているうちに、寒晴れの空は徐々に暮れ、淡い闇が名古屋市千種区今池を包み始めた。ここ今池は戦後、焼け跡に闇市が立ち、民族が入り乱れるというカオスの中から出立した町だ。東西の交通の拠点として昼は会社や商店で賑わい、夜はやや癖のある飲み屋やライブハウスが林立する。この地で金利惠さんが舞うことの意味は、偶然の経緯ではあるが意味深い。いつしか窓外の白い山脈は漆黒の闇に沈み、ビルの灯りやネオンが瞬き始めた。

ロビーに溢れる開場を待つ人々を見ながら気を引き締める。人生初めてのチケットもぎりを担当することとなる。

 

開演

観客全員が席に着いたあと、密やかにロビーに現れた金利惠さん。客席後方のドアから入場するサプライズ演出のようだ。暗い会場に一条の光が舞手を射すと、会場には動揺と響めきが起こった。

 

杖鼓 (チャンゴ)は金利惠さんのご主人金德洙氏。韓国を代表するアーティストで、彼のことを知らない人は韓国にはいないという。時に優しく、時に激しく、舞に合わせ、舞を支え、舞と一体になって世界を構築していく。眼差しは慈愛一杯に舞手を見つめつつも厳しい。

「ぽんっ!」と空気を柔らかく切り裂く鼓の音。歌舞伎の囃子方仙波清彦氏の変幻自在な鼓が会場の空気をどんどん耕していく。太鼓の音が会場を一気に晴れの舞台に一変させる。金氏と仙波氏が互いの出方を見つつ緊迫感のあるジャズセッションを奏で舞台を盛り上げる。

柔和で上品な顔立ちの笛方、若い福原寛氏の澄んだ音色が会場に響き、その息吹が場内隅々まで染み通ってゆく。笛は呼吸そのものだ。聴く者の身体にイキを吹き込んでくる。

正歌(チョンガ)の女性は姜権洵さん。初めて聴く唱法だ。鈴を転がすソプラノのように美しい発声からさりげなくタンゴのカンテの嗚咽へシフト、一転してモンゴルのホーミーのような高声と低声を自在に操る力強く野太い声。実に不思議な発声であり、場内を感嘆させていた。

 

ユネスコ・アジア文化センター (ACCU)によると、韓国伝統舞踊サルプリチュムの動きには、オルヌムヒョン(控え目に緊張を解くこと)、メズムヒョン(感情を放出する前に一時的に呼吸を停止すること)、そしてプヌムヒョン(感情を放出して完全に緊張を解くこと)という三つの基本要素がある。また静中動(チョンジュンドン)すなわち静の全体環境の中に動がある。抑制された動作は、内なる感情や強い意志を反映し、その起源は古代に遡るとされる。

 

金利惠さんの舞。その身体は広く長い袂を広げると立方体(四角)、両手を天に伸ばすと円錐(三角)、回転すると球()になる。四角の安定、三角の方向、球の運動。視覚を通して観衆の気持ちを変転させる。音楽と伴に幾何学模様が会場を引き締め、観衆の感情を鼓舞する。美、哀切、喜び。間、静謐、豊穣。一挙手一投足が観客の身体に投影され細胞に漣が立つ。

 

 語るとき語らぬときも花の下

 ひらひらと夢に火照りぬ酔芙蓉

 鷄頭花胸の高さに佇ち炎ゆる

 旅人に風の峠の飛花落花

 

これら自作の俳句を朗詠し舞で表現する。言葉で世界を招聘し舞で世界を構築していく。

 

当夜の舞台で金利惠さんは胸の高さに抱いた深紅の鶏頭花を槌に持ち替えて砧を打った。砧は本来楽器ではない。洗濯物を鎚や棒で打って乾かしたり伸ばしたりする道具だ。衣板(きぬいた)が砧(きぬた)となったもので、鎚ではなく板のことである。

 

声澄みて北斗に響く砧かな 芭蕉

 

砧は秋の季語。古く前漢の蘇武の故事に繋がる。匈奴に捕われの身となった前漢(紀元前一〇〇年頃)の蘇武を心配する妻が夫の身の上を思いやり、砧を打って慰めたところ、その音が蘇武に届いたという中国の故事である。この故事は有名なもので、蘇武が雁の脚に手紙をつけて漢帝に送ったところから雁書の由来ともなっている。

 

 この故事に影響を受けたかどうか明確ではないが、藤原公任編集の「和漢朗詠集(一〇一三年頃)」に白居易の詩「聞夜砧」が掲載されている。

 

誰家思婦秋擣帛 月苦風凄砧杵悲

八月九月正長夜 千聲萬聲無了時

應到天明頭盡白 一聲添得一莖絲

 

秋の夜に女性が戦争に行った夫を思って砧を打つという漢詩である。この詩が蘇武の故事と結びつき、それを世阿弥が「砧」という能に仕立て上げたと言われている。

 

西より来る秋の風の吹き送れと間遠の衣打たうよ

夜嵐 悲しみの声、蟲の音、まじりておつる露涙、ほろほろはらはらはらといづれ砧の音やらん

 

 砧は韓国では一九七〇年代まで利用されていたようだ。中国、朝鮮半島、日本を繋ぐこの道具とそれに込められた思い。このテーマは金利惠さんの長年の課題だ。彼女の中には韓国と日本の歴史、社会、文化が混在している。さらにそれらを包摂するアジア文化圏。これらの象徴として砧は今後も表現されることだろう。

 

「俳舞」

「俳舞」は俳句の韻律や内容と舞や音楽とのコラボレーションという全く新しい試みだ。俳句は歌の一種である。歌は「(神に)訴う」が語源という説がある。感情や意思を言語にして訴えた。同様に、喜び、悲しみ、愛憎、祈りなどから自ずと身が動き出す。これが洗練され宗教儀式や芸術となったものがである。俳句も舞も、内面の感情や意思を言語あるいは身体動作として表現する。

金利惠さんは上演後のアフタートークで興味深いことを語っていた。「ひらひらと」は三拍子なのだという。あえて記述すれば「ひらひら○○」というリズムだろうか。それは韓国のリズムであり、伝統舞踊のリズムでもあるという。なるほど、言葉(俳句)も動作(舞)も彼女の内なるリズムから湧き上がってくるのか。だとすれば、言葉と動作を改めて融合させて「俳舞」としたのではなく、そもそも彼女の中で両者は本来一つのものなのかもしれない。

 

金利惠さんの企図はいったい何だったのだろうか、そしてそれはどこまで観衆に伝わっただろうか。俳句、舞、音楽全て完成されたレベルの高いものであったことは言うまでもない。洗練された舞や音楽が表現する美しさや切々たる思いは存分に伝わった。しかし、俳句朗詠と舞が生み出す重奏は内面世界の深みを十分表現しえただろうかと些かの疑問は残った。今回の目的はまさにここにあったはずだ。詩と異なり一瞬で終わる俳句朗詠。その言語世界と舞の綾なす世界、展開する美があるはずだ。そこが私には十分に見えなかった。しかし「俳舞」は端緒についたばかりの試みである。この新たな表現形態はさらに熟成していくことだろう。

 

エピローグ

慰労会はサービス精神旺盛で闊達なオモニの店で盛り上がった。

当夜を楽しみにしていた高校の後輩である観世流能楽師は最近俳句を始めたという。彼は賢治や中也をテーマにした新作能も創る精鋭である。賢治の「ひかりの素足」は死の世界と現世が交錯するまさに能の世界観に繋がる。彼は自らの世界を深め開拓しようという思いが金利惠さんと相通じたのだろう、すっかり俳舞の醸し出す世界と酒興に浸っていた。近い将来「俳能」などという試みも生まれるかもしれない。ここにもまた大きな世界が待ち受けている予感がある。私も酒杯を傾けながら様々な熾火の仄めきを確信して長い一日を終えた。

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