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2020年7月 2日 (木)

俳句とからだ 160 羅須地人協会

連載俳句と“からだ” 160

 

愛知 三島広志

 

羅須地人協会

NHKの人気番組「ブラタモリ」でタモリさん達が岩手県花巻市をブラブラしていた。花巻農業高校で微笑んでいる。黒板には「下ノ畑ニ居リマス 賢治」と書かれている。

 

45年ほど前になるだろうか、二度その地を訪れたことがある。一度目は電車で訪ねた。その黒板と対峙し静かで豊穣な時間を過ごした。  

その建物は元々宮澤家の別宅で、宮沢家から2キロほど離れた地にあった。花巻農学校の教師を辞した賢治は、農村の若者を対象に科学や芸術などを指導する私塾として、そこで羅須地人協会を開始した。30歳の時である。1926(大正15)8月から翌年3月という予想外に短い期間だったのは、時局柄活動が社会主義ではないかと警察が入ったからだ。1928年に賢治が病に倒れ実家で療養に入ったため、以後活動は途絶した。

賢治の父は、賢治没後この別宅を売却した。早世した賢治や「永訣の朝」の詩で知られる妹トシの思い出が辛かったのかも知れない。その建物は移築されたが、後に花巻農学校は花巻農業高校となり、その新設時に偶然にも、その敷地内となった。少なからず因縁話めいている。

 

元々この別宅のあった場所には、高村光太郎揮毫による「雨ニモマケズ」詩碑が建立されている。私はこの詩碑の辺りを散策した後、花巻農業高校へ移動し、黒板に書かれた賢治の実弟清六氏が書いた「下ノ畑ニ居リマス 賢治」という字を眺めていた。風の透明感と緑が印象的だった。そこで以下の句を詠んだ。19歳の夏。

 

蝉時雨詩の碑の冷たさよ

岩手には岩手の言葉閑古鳥

 

 二度目は3年後、単車で向かった。交通の便が余りにも悪く行動が制約されたからだ。かつて別宅のあった近くに「民宿わらべ」という宿が出来ていた。宿泊を乞うと満室だと言う。するとその宿の子どもが終業式を終えて帰宅した。「あのバイク、お兄ちゃんの?泊まる部屋が無いなら僕の部屋に泊まれば」。人懐こい少年の機転で宿を得ることができた。「何しに来たの?賢治先生の勉強?だったら清六さんに会えばいいよ。仲良しだよ」何たる幸運。宿の主から清六氏を紹介されて賢治の実家を訪問し、仏壇へ参り、胡桃の化石など貴重な資料を見せて頂いた。

出立の朝、色紙を書いたから取りに来いとのこと。色紙には「原体剣舞連」とあった。出会いの妙とはこういうことなのだろう。先の因縁話を引き継ぐならまさに賢治の導きとも思える。清六氏とは、それから亡くなられるまで年賀状や手紙のやり取りをしていただいた。

 

 花はみな四方に贈りて菊日和 風耿

(風耿は賢治の俳号)

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