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2020年7月 2日 (木)

俳句とからだ 161 銀輪随想

連載俳句と“からだ” 161

 

愛知 三島広志

 

銀輪随想

 自転車を籠や泥よけの無いものに換えた。速度は出るが路面が汚れていると泥が背中に降りかかるし、リュックを背負わないと荷物が運べない。しかし、自転車にはそうした不便さを超える楽しさがある。そもそも自転車は筋力を最も有効利用する移動手段だ。速度も運搬力も歩行より遙かに優れている。自動車など動力を用いる移動体と比較すれば劣るがそれとは異なる魅力がある。まず筋力を使う。自分の脚を軋ませ、腕でハンドルを引き寄せながら移動する身体的快感がある。また身体が剥き出しなので常に季節を感じることが可能だ。春風を喜び、夏の熱気に生命を感じる。秋風が身体を通り抜け、凩に闘志を燃やす。

 さらに自転車は曲がるとき車体と身体を傾ける。その時、重力を味わうことが出来る。コーナーリングで傾く(Lean)乗り物は二輪車と飛行機だけだ。自転車は季節と重力を感じながら町を移動できる実に楽しい乗り物なのだ。

 

 自転車は銀輪ともいう。この輪を外して転がす遊びを輪回しと呼ぶ。私が子どもの頃、安全な道で輪回しをして遊んだことがある。タイヤを外した金属の輪(Rim)に棒を当てて転がして走るのだ。この遊びの原点は知らないがイタリアの画家ジョルジョ・デ・キリコの有名な『通りの神秘と憂愁』という絵画の中で少女のシルエットが輪回しをしている。左半分は明るいギリシャ的建物、右側は暗い影の建物と空の運搬車。その間の明るい道の果てに待ち受ける怪しい人と棒の影。光と影からなる印象的な抽象画だ。鑑賞者には輪回しをしている少女の未来に対する不安が伝わってくる。

 また小川未明に『金の輪』という小品がある。太郎という病弱な子が道ばたに立っていると見知らぬ少年が輪回しをしながら走って行く。輪は光を受けて金色に輝き触れ合うとき良い音を立てる。太郎は少年から輪を一つ貰って一緒に走る夢を見るが程なく死んでしまうという暗い物語だ。

 

キリコも未明も何故輪回しなのか。キリコの絵は未来に暗い影が待ち受け、太郎はあっさりと死んでしまう。しかし輪は転がる。転がるとは死と再生の象徴でもある。釈迦の教えは法輪と呼ばれ後世に伝えられ、チベットでは経典の書かれたマニ車(転経器)を回転させ釈迦の教えに迫ろうとする。寺や墓地などには車卒婆や地蔵車と呼ばれる回転体があり、これを回すことで祈り、祖先を偲ぶ。回転とは永遠に対する畏敬なのだ。古代エジプトの人々が神聖視したスカラベ(フンコロガシ)もまた糞を丸めて転がす様が生成や再生のシンポルとされた。

 自転車を漕ぐ行為にそのような意味付けは無用だが、車輪を回転することで移動し、常に生成、創造、再生の輪の中にあるという深層的な感覚はあるのだ。

 

 銀輪を駆るや耳介の虎落笛 広志

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