連載俳句と“からだ” 148
連載俳句と“からだ” 148
愛知 三島広志
香りと記憶
街をゆき子供の傍を通る時
蜜柑の香せり冬がまた来る
木下利玄の人口に膾炙した短歌だ。
平易で理解しやすい上に誰もが共感で
きる内容ではないだろうか。街角でた
またま出会った子どもから蜜柑の香り
が漂ってきた。その香りからまた冬が
来る。もう一年が過ぎたのだなあとい
う感慨と、正月などへの期待が呼び起
こされる。それと同時に街の子の蜜柑
の香りは自分の幼かった頃の記憶も想
起させる。
このように香りが幼少時の記憶を甦
らせる現象をプルースト現象と呼ぶ。
プルースト現象とは「あるにおいとの
遭遇を契機としてそのにおいと関連し
た幼少期の自伝的記憶がありありと想
起される現象である(山本晃輔博士)
」。
その呼称はフランスの文豪マルセル・
プルーストの代表作『失われた時を求
めて』の主人公が作中で同様の体験を
したことに由来するという。
この現象は心理学的、生理学的に研
究され脳内の活動や身体への影響が少
しずつ解明されてきている。プルース
ト現象を喚起する香りは脳の快感に関
わる大脳前部や、記憶に関係する大脳
内側の働きを活性化させることが分か
ったという。さらに炎症を起こす血液
中の体内物質を減少させ、体調をよく
することも確認されている。
風下に来て臘梅と気付くまで
稲畑廣太郎
前出の山本博士によると「匂い手が
かりによって自伝的記憶を喚起する場
合」視覚的手がかりよりも扁桃体や海
馬が賦活されるという。扁桃体も海馬
も記憶に関係する中枢である。また「
言語手がかりの場合に比べて、情動的
処理を行う辺縁系と共に言語等の意味
的な処理と関係した」部分が賦活され
るという。つまり嗅覚刺激は、自伝的
な記憶を喚起するとき、視覚刺激より
も記憶中枢を賦活し、言語情報による
言語的意味処理に加えて情動的処理も
行うことが分かってきた。香りが記憶
を甦らせることは単なる思い込みでは
なく、明確な脳内メカニズムに基づい
ているのだ。
もしかしたら逆に私たちはある記憶
を想起したいがために知らず知らずの
うちに香りを求めることがあるのかも
知れない。脳裏に引っかかっていなが
ら思い出せない幼い頃の記憶を何かの
香りが鮮明に甦らせてくれるトリガー
となることを期待して。
栗食むや想ひ出したきことありて
三島広志
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