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2020年1月22日 (水)

連載俳句と“からだ” 140

連載俳句と“からだ” 140
愛知 三島広志
出会い
 極論を述べると人は出会った時、関心
を抱くか無関心かに大別される。そして
関心は究極には戦うか愛するかである。
『日本書紀』によると相撲の起源は垂
仁七年(紀元前23年)旧暦七月七日、天
皇の命で出雲の野見宿禰と大和の當麻蹶
速が戦ったものとされている。「朕聞
當麻蹶速者天下之力士也」ということで
野見宿禰を招いて戦わせた結果「各擧足
相蹶則蹶折當麻蹶速之脇骨亦蹈折其腰而
殺之」と残酷ながら野見宿禰の勝利とな
った。今日の組み合う相撲ではなく、殴
る蹴るも認められた何でもありというル
ールだろう。古代オリンピックにパンク
ラチオンという競技があった。打撃技と
組技を組み合わせた格闘技で、試合の勝
敗は相手がギブアップすることだが、多
くの場合それは死亡を意味したという。
相撲の起源と酷似している。いずれにし
ても人は出会うと究極には死を賭して戦
わねばならないこともあるのだ。しかし
勿論正反対の出会いもある。
逢ひ見てののちの心にくらぶれば昔は
ものを思はざりけり   権中納言敦忠
人を恋する心だ。恋愛的出会いをすると
人は至高の喜びに支配され、生まれてき
たことや出会いの縁に驚喜する。この悠
久の宇宙の中で奇跡的な時間軸と空間軸
の交錯があって二人は出会う。当然恋愛
は古今東西様々な芸術のモチーフとなっ
た。だが同時に恋愛は苦しさも伴う。相
手がある上に自分の周囲との関係性も桎
梏となる。そのままならない深い感情が
胸を締め付け食事も摂れないほどの苦し
さに支配される。それは喜びであると同
時に某かの罪悪感まで伴う。
恋は愛とは異なる。愛はアガペのよう
に万人を等しく愛する感情だが、恋は深
層にエロスやリビドーを有し生への根源
的な力であると同時に奪いたい、独占し
たいという欲の感情でもあるからだ。そ
して激しい恋愛感情はときに死への願望
であるタナトスに支配される。このアン
ビバレントの中でもがくのが恋愛とも言
えるだろう。恋の最も歪な行動がストー
カー行為となりしばしば悲惨な結末を招
くことは知られている。
出会いは喜びと破滅を内包している困
難な事象なのだ。なお冒頭の野見宿禰は

後年残酷な殉死に代わり埴輪を祀ること
を創案し、土師臣(はじのおみ)の姓を
与えられとされている。ちなみに相撲が
秋の季語となるのは野見宿禰と當麻蹶速
の天覧相撲が旧暦七月に行われたことに
由来する。無論これらは伝説である。
やはらかに人分わけゆくや勝角力
高井几董
逢ふことも過失のひとつ薄暑光
大高翔

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