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2020年1月22日 (水)

連載俳句と“からだ” 141

連載俳句と“からだ” 141
愛知 三島広志
詩と俳
 若い頃故平井照敏の『槇』に参加して
いた。氏の評論に感銘を受けたからだ。
一つは沈黙の詩ということ。俳句の魅力
は「語らないところに、おのずから満ち
てくるものが、短詩型のいのちなのだ」
という短さの恩恵への共感。ことばを用
いないからこそ「水墨画の大きな余白」
が生じ「無限の読みの可能性」が生まれ
ると俳句の短さの深さを解いた。(カギ
括弧内は『有季定型 現代俳句作法』飯
塚書店より)
 今一つは俳句の中に潜む詩と俳(新と
旧)という相反する二つの要素を用いた
弁証法的俳句史観だ。「子規は新を求め
、俳句を文学にしようとしたが、俳句分
類を続け、俳を理解するバランスのとれ
た革新者であった。(中略)子規の新追求
の面のみを求めて急進し(中略)自爆する
のが碧梧桐であった。(中略)俳の方向に
ひきもどしたのが虚子で、その指導力に
よって、俳壇を『ホトトギス』一色に染
めるにいたるが、それが停滞保守化する
と、俳句に芸術性を求めて『ホトトギス
』を離脱するのが秋桜子であった。(『
蛇笏と楸邨』永田書房」より)。
これらの俳論に共感して平井門下に入
門。だが自分自身の中で俳句へ向かうベ
クトルが低下し、仕事の多忙も加わって
二年ほどで退会してしまったのだった。
平井の言う詩と俳は一人の作家の中に
もある。同時期に存在することもあれば
年齢と共に変化することもある。
雪の日のそれは小さなラシャ鋏 
中岡毅雄
 これは中岡の代表作だ。雪と鋏で何故
これほどの静謐で深みのある世界が描け
るのだろう。冷え冷えとした中にも温か
みのある雪と極限まで冷徹な鉄。あるい
はラシャ鋏を包む深い雪の闇。あらゆる
説明を拒絶したこの句に俳の極致を見る
。氏には以下の句もある。こちらは文面
通りのみずみずしい詩の世界と思う。
水馬いのちみづみづしくあれよ
 能村登四郎という魅力的な俳人がいる
。没後ますます光を増す作家だ。若いと
き青春の孤独やアンニュイを現代詩のよ
うな色合いで詠んだ句が有名な

春ひとり槍投げて槍に歩み寄る
だ。中七の字余りが若者の鬱屈した心情
を余すところ無く表現している。
霜掃きし箒しばらくして倒る
この俳の句を散文で説明することは無意
味だ。俳は冒頭に述べた「水墨画の大き
な余白」にあり、読者の心に湧き上がる
もの。十七文字の中には無いのだから。

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