連載俳句と“からだ” 139
連載俳句と“からだ” 139
愛知 三島広志
敵わない俳句
俳句は共通言語で書かれることで保存
され、伝達される。Aの創造した俳句の
世界をBは言語に即して解釈し映像を描
く。さらにBはその映像から新たなBの
世界を想像する。これが鑑賞だ。しかし
実際には両者の描く世界は似て非なるも
のである。同じ林檎を見ても林檎への思
いは両者の体験や知識によって異なる。
こうした齟齬は正確に伝えることを旨
とする論文でさえも生じる。ましてや俳
句のような短詩では両者間によい意味で
の齟齬が生じそれが鑑賞を豊かにしてく
れる。まさに虚子の言う「選は創作なり
」である。
さらに俳句は意図的に日常語を用いな
がら日常語とは異なる俳句独自の表現を
試みる。言語を非日常的にずらすことで
詠み手と読み手の間の振幅を拡げる。そ
れによって鮮度を保っている敵わない俳
句が幾つもある。例えば以下の句達。
冬の水一枝の影も欺かず 中村草田男
冬の水の堅い透明度を「欺かず」という
擬人化一言で書き尽くしてある。
谺して山ほととぎすほしいまま
杉田久女
ほととぎすの激しく啼く様を「ほしいま
ま」と表現することで臨場感が生じる。
バスを待ち大路の春をうたがはず
石田波郷
「うたがはず」によって春の到来の喜び
、驚きが身をもって感じられる。
緋連雀一斉に立つてもれもなし
阿波野青畝
緋連雀が去ったあとの空白を「もれもな
し」と示すことで緋連雀がより一層鮮明
になる。
鳩踏む地かたくすこやか聖五月
平畑静塔
地面を「かたく」は常套だが「すこやか
」とはなかなか言えない。聖五月の心地
よさが足下から伝わってくる。
鶫死して翅擴ぐるに任せたり
山口誓子
昔、鳥を飼っていた。数羽の落鳥を経験
した身にはこの「任せたり」のリアリズ
ムが強烈である。
先達の駆使した表現は俳句の生命力を
鮮やかに維持している。後に続く俳句作
家の手本となる。しかし、二度と用いる
ことを許さない屹立した山となって「敵
わない」と感服する他はないのである。
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