連載俳句と“からだ” 136
連載俳句と“からだ” 136
愛知 三島広志
雲なつかし
『雲なつかし』は『春望』『夏安』『
花束』に継ぐ岩田由美の第四句集である
。岸本尚毅による帯文「いい句もある
。」は簡潔で話題となった。
岩田由美は角川俳句賞、俳人協会新人
賞など華麗な受賞歴を誇っているがその
句の印象は極めて平明静謐である。何気
ない日常を素直な言葉で奇を衒うことな
く詠み上げる。何より世界と対峙する姿
勢が静謐である。深見けん二は『花束』
の栞で「めつむればくまなく春の水の音
」という句を例に挙げ「日常の非凡」と
評し、それが可能なのは「季題の無限の
力に託し」ているからだと述べている。
岩田由美の世界は平明静謐なだけでは
ない。何故なら深見の言うように「日常
の非凡」が詠まれているからだ。
青簾かけてこの世に内と外
日常の光景、普段の窓に日除けの青簾を
かける。しかし青簾をかけた瞬間、窓の
内と外、家の内と外に結界が生じる。作
者はこの時この世に内外の境あることを
発見する。日常が孕む恐ろしい一瞬を素
早く書き留めるところに彼女の怜悧な眼
差しが見て取れる。
世界を閑かに丁寧に眺める姿勢は時間
の経過の中に思いを留め続けることにも
なる。
花見より帰る近所の夕桜
花見から日常に戻ったある種の安堵感が
伝わる句だがこの桜は『花束』所収の
家からも見ゆる桜に歩み出づ
と同じ樹ではないかと気にかかる。
蚊柱のそのまま風にさらはるる
蚊柱を一塊のものと把握する捉え方がお
もしろい。これは『花束』の
春なれや水の厚みの中に魚
で水を厚みのある一塊のものとして大掴
みした有り様と近似している。作者の認
識力に潜む意外な骨太さを感じさせる。
前句集『花束』との比較に終始してし
まうが前句集の
緑蔭の幹といふ幹濡れてをり
に対して『雲なつかし』にも
緑蔭や梢つぶさに水鏡
という類似句がある。両句の間には数年
という時が流れているだろう。時を超え
て本質に迫ろうと緑蔭に佇む作者の執念
が伝わってくるようだ。ここに作者の非
凡な深層が見え隠れする。
夫岸本の帯文「いい句もある。」の「
も」は岩田由美の日常心の深奥に潜む非
凡性をさりげなく突いているのではない
かと筆者は勝手に頷くのである。
「あとがき」が胸を打つ。「さまざまな
ことで限界を感じることも多くなった。
しかしなお、伸びていくもの、深まって
いくものを身の内に感じる。俳句もその
一つだ」。蓋し名文であろう。
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