連載俳句と“からだ” 132
連載俳句と“からだ” 132
愛知 三島広志
お盆
お盆は仏教に基づく祖先の恩や霊に感
謝し供養する国民的行事である。神道の
神に感謝する正月と対をなす重要な年中
行事の一つだ。しかしお盆は中国で作ら
れた『盂蘭盆経』を由来とするもので親
孝行を説く儒教の教えでもある。
日本では推古天皇(606年)が斎会を
設けたのが初めてとされている。次いで
斉明天皇(657年)が盂蘭盆会を設けた
と記されている。
女童らお盆うれしき帯を垂れ
富安風生
冒頭お盆が単なる先祖供養ではなく親
孝行を説くものと書いたがそれは『盂蘭
盆経』、『報恩奉盆経』などに説かれる
目連尊者の餓鬼道に堕ちた亡母への供養
の伝説に由来する。安居の最中、過去現
在未来を見通す神通力を持つ目連尊者が
亡くなった母親の姿を探すと、餓鬼道に
堕ち飢餓に苦しんでいたので、水や食べ
物を差し出したが、口に入る直前に炎と
なって、母親をより苦しめた。釈尊に教
えを乞うと安居の最後の日に比丘に食べ
物を施せば、母親にも届くだろうとのこ
とだった。比丘に布施を行うとその喜び
が餓鬼道に堕ちている者たちにも伝わり
、母親の口にも入ったという説話による
。そこでお盆を施餓鬼と呼ぶ。我欲に生
きた人が死後落ちる地獄、それが餓鬼道
だ。子どものことを餓鬼と呼ぶのはいつ
もおなかを空かせて食べ物を乞うからだ
。
新盆や死者みな海を歩みくる
小原啄葉
死後の世界を想定するのは様々な宗教
や民族を超える普遍的な考えだ。実際に
死後の世界があるかどうか、それはここ
では問わない。しかしそうした世界を想
像したい気持ちは分かる。人間は身体と
精神が直接している存在だ。心と体が不
即不離、一如として存在している。その
一方である身体が亡くなったあと、その
心、精神はどうなるのか。これは重要な
問題だ。死ねば無に帰すと結論づけるこ
ともできるがそこまであっさりと割り切
れないのが心である。宗教や芸術はその
心の惑いを埋める、あるいは意味づける
精神的営為だ。
先祖を供養し謝するという行為が今の
自分を肯定することになり、自他共に許
すという大らかな社会を産むとすればお
盆は偉大な装置となる。今年も大勢の人
が車や新幹線などを利用して故郷へ帰る
。帰郷を心待ちする親と、数日故郷で寛
ぐ子どもや孫、それを彩る高校野球。さ
らに終戦の鎮魂。かくして日本の夏はお
盆を中心に感謝、陳謝、反省など魂を見
つめる偉大な営為となっているのだ。
またひとり顔なき男あらはれて暗き踊
りの輪をひろげゆく 岡野弘彦
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