連載俳句と“からだ” 129
連載俳句と“からだ” 129
愛知 三島広志
言葉の力
二年ほど前、初めての蕎麦屋へ行くた
めに知らない町をうろついていた。ある
寺院の前を通ると塀越しに大きな木札が
見え、そこに次の言葉が書かれていた。
人生は倒れたところからしか立ち上が
れない 市堀玉宗
言葉の重みに深く感銘、共感すると同時
にその名前に驚いた。市堀玉宗師は禅僧
であるが高名な俳人でもある。しかもお
会いしたことはないがFacebookで繋がっ
ている。そこで早速mailをして木札のこ
とをご存じか、市堀師ゆかりの寺か尋ね
てみた。その返事はご自身には面識のな
い寺であること、その言葉はブログに書
いた文章の中の一説であり、おそらくそ
の寺の住職がそれを何か読んで書いたの
だろうということだった。
ネットで調べてみると師は度々この言
葉を書かれている。ご自身の能登での震
災体験、およびそこから思いを寄せる東
北の被災者への心からのエール。いくつ
かの文章の中に「倒れたところからしか
立ち上がれない」と書かれている。これ
は師の到達した境地から生まれた言葉か
、禅宗に伝わる言葉なのかは門外漢の私
には分からない。しかし、言葉を用いる
にはそれだけの格が必要だろう。金言を
ちらつかせてもそこに経験から湧き上が
る重みが乗らないと薄っぺらい話となる
。言葉を書いた市堀師もたまたま通りか
かったお寺の住職も言葉の重さに深く共
感したからこそ言語として世に発してい
る。そしてそれを感銘して受け取る衆生
が居るわけだ。
実はこの言葉のことはすっかり忘れて
いた。ところが先の件を知っている知人
が最近急にこの言葉ことを語り出したの
で私も改めて思い出したのだ。
知人曰く、「あの言葉に出会った頃、
家族である問題があった。辛かった。し
かしどう足掻こうと誰かがどこか楽なと
ころへ連れて行ってくれて、そこで立ち
上がるなんてことは出来ない、やはり倒
れてところからしか立ち上がるしかない
んだと思った。そして今、自分の健康問
題で苦しんでいる。でもやはり同じこと
。倒れたところからしか立ち上がれない
。そう考えると諦めるというか仕方ない
というか、やはり倒れた今、此処から頑
張って立ち上がるしかないんだよね」。
この吐露を聞いて私も深く思い至ること
があった。
市堀師は今年の3月10日、東北に思い
を馳せやはりこの言葉を述べておられる
。「地に倒れ、空に倒れ、海に倒れ、自
に倒れ、他に倒れ、生に倒れ、死に倒れ
る人間。そしてその倒れたところからし
か立ち上がれない人間」
http://72463743.at.webry.info/201703
/article_4.html
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