連載俳句と“からだ” 147
連載俳句と“からだ” 147
愛知 三島広志
トマトと唐辛子
トマトは栄養豊富なこととその愛らし
い姿、味覚から世界中で食されている。
とりわけ今最も健康的として注目されて
いるイタリア料理やスペイン料理などに
代表される地中海料理では欠かせない素
材だ。しかしその歴史は浅い上に、長い
間毒があるとして敬遠されていた。
蕃茄食ひ今過ぎし駅名を忘る
加藤秋邨
トマトはアンデス山脈原産のナス科の
植物であり、1519年にコルテスによって
持ち込まれるまで西欧諸国で知られるこ
とは無かった。つまりそれ以前の地中海
料理にトマトは使用されていなかったの
だ。しかも当初ヨーロッパではトマトを
poison apple(毒林檎)と呼んで食すこ
とは無くあくまでも観葉植物として愛で
たのだ。毒の由来には諸説ありトマトの
酸が食器の鉛を溶解したため、一緒に持
ち込まれたジャガイモの芽を食して中毒
になったため敬遠された、ヨーロッパに
自生する有毒植物ベラドンナ(ナス科)に
似ているからなどとされている。
日本には江戸中期に伝来したがやはり
観賞用で唐柿とか赤茄子と呼ばれ、食し
始めたのは明治になってから、盛んに食
されるようになったのは昭和になってか
らのようである。
では何故食するようになったのか。こ
れも諸説あり、食糧難になったときどう
せ飢え死にするならトマトを食べてみよ
うと試みたとか、イタリアの貧困層が食
したという説、アメリカでも最初は黒人
奴隷がトマトを食したという。
18世紀になってトマトは食材の地位を
築いた。今日ではトマトの無いイタリア
料理やスペイン料理は想像できない。む
しろトマトの存在がそれらの料理を一変
したと言っても良いだろう。
同じような食材に唐辛子がある。唐辛
子も中南米を原産としコロンブスが1493
年にスペインへ持ち帰ったとされる。日
本には1542年にポルトガル人によって大
友義鎮に献上されたという記録がある。
日本ではトマトと同様観賞用か足袋の先
に入れて霜焼け止めとして使用された。
朝鮮半島へは日本を通過して広がったと
いうのが定説のようである。つまりそれ
以前の韓国料理もキムチも唐辛子が使用
されていなかったということになる。同
様に中国に唐辛子が伝わったのは17世紀
でありそれまでの四川料理は赤くなかっ
たと想像できる。
トマトや唐辛子など一つの切っ掛けが
その国の料理つまり文化を一変させるこ
ととなった経緯は示唆的で興味深い。
うつくしや野分の後のたうがらし
蕪村
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