連載俳句と“からだ” 154
連載俳句と“からだ” 154
愛知 三島広志
檸檬とLemon
米津玄師というシンガーソングライターが
いる。イラストレーターや映像作家としても
活動するというマルチプレイヤーだ。昨年
(2018)テレビドラマの主題歌として提供され
た彼の「Lemon」という曲は、世代を超えて
広く受け入れられた。
そのすべてを愛してた あなたとともに/胸に
残り離れない 苦いレモンの匂い/雨が降り
止むまでは帰れない/切り分けた果実の片
方の様に/今でもあなたはわたしの光
Kenshi Yonezu
レモンが愛する人の死のメタファーとなっ
ている。そこでこの歌詞からおそらく多くの
人は高村光太郎の「レモン哀歌」を連想する
だろう。末尾の「光」もそれを促す。「レモン
哀歌」(1939)は高村の詩集『智恵子抄
』(1941)に収められている。
そんなにもあなたはレモンを待ってゐた/か
なしく白くあかるい死の床で/わたしの手か
らとつた一つのレモンを/あなたのきれいな
歯ががりりと噛んだ/トパアズ色の香気が立
つ/(中略)/あなたの機関はそれなり止まつ
た/写真の前に挿した桜の花かげに/すずし
く光るレモンを今日も置かう
高村光太郎
「レモン哀歌」では二人の関係を結ぶ象徴
としてレモンが登場する。この死はある意味
で受け入れられたものだ。米津の歌詞のレ
モンは「切り分けた果実の片方」として未だ
受容できていない死として表現されている。
レモンは明治になって日本に入ってきた。
瀬戸内などで栽培もされた。鮮烈な香りと酸
味、整った形と色彩はおそらくそれまでの日
本にはなかった食物だ。西洋を感じさせる
にあまりある存在だったろう。ゲーテの『ヴィ
ルヘルム・マイスターの修業時代』の中で薄
幸の少女ミニヨンが歌う「君知るや南の国
レモンの木は花咲き(1889森鴎外訳)」も知ら
れていたが、おそらくもっとも強い印象を与
えたのは梶井基次郎の「檸檬」(1925)ではな
いだろうか。
梶井の作品で死は扱われていない。ただ「
えたいの知れない不吉な塊」に心を圧えつ
けられ、焦燥や嫌悪に苛まれた主人公が書
店の棚に檸檬を置いてくるだけという小説で
ある。しかし、書店の棚から抜き出された画
本の「ガチャガチャした色の諧調をひっそり
と紡錘形の中へ吸収して」檸檬は「黄金色
に輝く恐ろしい爆弾」となると、極めて印象
深く描写されている。
「Lemon」から「檸檬」や「レモン哀歌」を想
起するのは身勝手な連想かと思ったが、米
津は自ら梶井や高村からの無意識的な影
響の可能性について語っている。言葉は人
々の心の中に実態を超えた想像を沸き立た
せる。誰もが精神の深層に比喩としてのレ
モンを抱いているのだ。
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