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2020年1月23日 (木)

連載俳句と“からだ” 158

連載俳句と“からだ” 158
愛知 三島広志
河辺克美句集『ポケットに凍蝶』
 藍生俳句会を代表する作家河辺克美の第
二句集である。河辺は藍生俳句賞と宗左近
俳句大賞を受賞している。
 河辺の句には「読みしろ」がある。厳選
された素材が、静謐な器に並べられている
。そこから何を読み取るか、何を感じ取る
か、ほとんどが読み手に任せられている。
論文が100%述べ尽くすものだとすれば、
河辺の句はいかほど述べているのだろうか

 河辺の作品はその奔放な表現からいわゆ
る俳句らしさから超越した句が多い。ポエ
ジーの風に乗って自在に詠まれている。俳
句は創作として独自の世界を創出すること
で成立している。しかしそれと同時に自己
の世界観を伝達し共感を得ることで作品と
して完成する。自立した世界を表白しつつ
、伝達によって読み手との共感する世界を
構築するという矛盾を抱えている。言い換
えると、俳句は解釈され鑑賞されることに
よって作品世界が完結するのだ。
作品を見てみよう。
竹林の泉に貌を置いてきし
師の黒田杏子は、この句を「鮮やかな一行
」と絶賛している。確かに印象は鮮やかの
一言である。句を言葉通り読むならば、竹
林の泉に貌を置くことは不可能であり現実
では有り得無い。敢えて散文的に解釈する
なら「爽やかな竹林の中に湧き出る涼しげ
な泉の水面に私の顔が映っている。私は戻
ってきたが映った顔はそのままそこに漂っ
ている。私の思いはまだ泉の中にある」と
でもなるだろうか。そこからの鑑賞は読者
に委ねられている。
河辺の句は読者に多くの鑑賞を委ねるこ
とで句の世界を広げている。芭蕉の「言ひ

おほせて何かある」に寄った作風だろう。
 押入れの冬の夜空へ抜ける道
言葉は易しいが、額面通り読めば意味は不
明である。しかしそれぞれの言葉が暗喩と
して刺激し合っていると考えると広大な世
界が見えてくる。押入は生活の中で隔絶し
た空間、日常から閉ざされ普段は中を意識
しない場所だ。作者は日常から非日常へ飛
躍する詩的昇華のための小道具として押入
を覗く。そこは広大な冬空へ続く抜け道な
のだ。生活の場が一気にコスモスへ展開す
る。それはあたかも押入に住むドラえもん
の四次元ポケットではないか。俳句は日常
にあって精神を再生する装置となるのだ。
しかし夫の入院から逝去までの連作は現
実的な絶唱であり、技巧を越えて作者の思
いが吐露されている。
 病床のをとこに石蕗の花あかり
 春暁の呼べど呼べども朝のいろ
 春雪の空をひとりで逝けますか
(作品は全て河辺克美句集から)

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