連載俳句と“からだ” 138
連載俳句と“からだ” 138
愛知 三島広志
盃と味覚
近所に開店したビストロで面白いグラ
スに出会った。オーナー曰く「飲み口が
楕円形で口を当てる位置によって味が変
わるのです」。なるほどカーブの鋭いと
ころと緩やかなところではワインの味が
異なる。その理由はよく分からない。味
は味蕾を通じて脳へ伝えられるが、その
メカニズムはなかなか複雑である。しか
し経験的に器で酒の味が変化することは
実感できる。ワイングラスに様々な形が
あるのも、そのワインを味わうために最
適な形状を色々と考慮した結果だろう。
うつしみは涙の器鳥帰る
西村和子
日本酒を飲む器には平盃、ぐい飲み、
お猪口などがある。店によっては好きな
器を選ぶことができる。しかし逆に一刻
な店主は同じ器を推奨する。何故かとい
うと器で味が変わることを体験的に知っ
ており敢えて同じ器を用いて酒自体の味
を確認して欲しいと言うのだ。確かに利
き酒では一般に白い磁器の猪口で底に青
い丸が二重に描かれた器を共通に用いる
。同じ器で酒の味と色を利くためだ。
様々な形の器を用いて酒を嗜んでいる
時ふとあることに気づいた。猪口で呑む
ときは器を持つ腕の肘はほぼ真下に垂れ
る。腋を自然に締めた姿勢となる。見て
いて行儀が宜しい。ワイングラスも同様
で、脚を持ってもボディを持っても腋は
自然に締まる。それに対して平盃は酒を
零さないように飲み口に対して腕が平行
に位置する、即ち腋を大きく開く姿勢と
なる。戦国武将が酒を飲み交わすように
堂々とした風情だ。しかし婚礼の三三九
度の場合、平盃を両手で捧げるように頂
くので腋が締まり上品だ。
ことほぐに古酒も新酒もなかりけり
上田五千石
飲み口の形状、厚みだけでなくこうし
た姿勢も味覚へ影響を与えることは想像
に難くない。酒の栄養学的、化学的分析
が一定の数値を出したとしてもさらに器
の物理的形状や素材の質感、それを持つ
手の感覚、姿勢、呑むときの首の角度な
どさらに複雑な要素が味覚に影響を与え
ることだろう。その上に誰とどこで呑む
かも大きなファクターとなる。これは酒
に留まらない。栄養のある美味しい料理
があったとしてそれを子どもが一人で淋
しく摂取するのと、粗末な惣菜でも家族
との語らいの中で食すのでは味わいが異
なる。何故なら人は社会的人間という関
係性の中で生きている生物だからである
。
酒を嗜みながらこんなことを考えてい
てはなかなか酩酊できないが、実は私は
酒の味覚が好みで、本当は酔わない酒を
求めているのだ。
酒のめばいとど寝られぬ夜の雪 芭蕉
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