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2020年1月22日 (水)

連載俳句と“からだ” 145

連載俳句と“からだ” 145
愛知 三島広志
イレーヌ嬢
 中学生の頃、学年別の学習雑誌があっ
た。勉強と教養、娯楽を網羅した雑誌で
多くの級友が購読していた。勉強に対す
る興味の薄かった私が楽しみにしていた
のが付録の絵画だった。ゴッホの「アル
ルのはね橋」や「ひまわり」、ミレーの
「落ち穂拾い」や「晩鐘」などの名画が
厚紙に絵の具の質感豊かに印刷されてい
た。当時としては額に入れて飾っても違
和感のない出来映えだったと記憶する。
その中で一際印象的だったのがルノアー
ルの「イレーヌ・カーン・ダンヴェール
嬢の肖像」であった。少女の美しさと柔
らかな筆致にやんちゃな中学生も疑似恋
愛かと思うほどに圧倒されたのだ。
 岩肌へ夏の少女の力こぶ  三島広志
 先日、名古屋市美術館で開催されてい
るビュールレ・コレクション展でその現
物に対面してきた。館内は人で溢れてい
たが、しっかり見ることができた。しか
し何故かさほどの感激は無かった。その
理由は駅から会場まで街灯や電柱にくま
なくこの肖像が飾られており、食傷気味
であったこと、あまりの人の多さに思い
出がかき消されていたことなどが考えら
れる。だがそれよりイレーヌ・カーン・
ダンヴェール嬢の数奇で悲劇的な人生を
知ってしまったため、中学生の時に抱い
た純粋に可愛いという印象が大幅に修正
されていたからだろう。
無患子の青実や悲恋物語  佐藤鬼房
ルノアールの描いた当時8歳だったカ
ーン・ダンヴェール家の長女イレーヌ
(1872-1963)の肖像画は数奇な運命を辿
る。第二次世界大戦の最中、ナチス・ド
イツに没収されたが戦後、74歳のイレー
ヌに返還される。しかし何故か三年後、
死の商人で印象派のコレクター、ビュー
ルレ(ドイツからスイスに帰化)が競売で
入手しビュールレ・コレクションに収め
られている。現在日本で公開されている
のはこのコレクションの一部だ。
カーン・ダンヴェール家はユダヤ系で
あった。そのためイレーヌの娘ベアトリ
スも二人の孫もアウシュビッツで悲惨な
最期を遂げている。またイレーヌ自身離
婚を繰り返しており、端から見て決して
幸福とは言えない人生を送っている。こ

うした無駄な情報を知ってしまった以上
、あどけないイレーヌの横顔を中学生と
同じ純粋な気持ちで正視できないのは無
理の無いことであろう。
純粋に作品自体を鑑賞するのは実に困
難なことだ。純粋経験と言う哲学用語が
ある。これは反省を含まず主観と客観が
区別される以前の直接的な経験のことだ

今回、思っていたほど感動しなかった
のはイレーヌに純粋に向かい合えなかっ
た自分自身への寂しさでもあったのだ。

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