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2020年1月23日 (木)

連載俳句と“からだ” 152

連載俳句と“からだ” 152
愛知 三島広志
兜太Tota Vol.2
『兜太Tota Vol.2』 が出た。藤原書店か
ら出版された本書の表紙には、名誉顧問金
子兜太、編集長筑紫磐井、編集主幹黒田杏
子とある。特集は「現役大往生」。まさに
「存在者」金子兜太に相応しい編集だ。書
き手は兜太縁の錚々たる面々である。この
類の雑誌は、偲ぶ人々の盛り上がりによっ
て一度は日の目を見るものの後が続かない
ことが多い。二号目が無事に上梓されたの
は兜太の魅力によるものであろう。その存
在が人を魅了し人を動かす。〔後記〕には
「この売れない出版事情の中で、天からの
贈り物」であり、二号が出たのは編集主幹
黒田杏子さんのお蔭でもあると記されてい
る。「存在者」兜太の魅力と、それを顕彰
して後世に遺そうと奔走する人々の協働が
、この雑誌の出版を継続せしめている。
 原爆許すまじ蟹かつかつと瓦礫歩む
兜太

 かつかつと蟹の渉れる能舞台

黒田杏子
 今から三十数年前、名古屋で超結社短歌
集団「中の会」(春日井建、岡井隆、斉藤
すみ子ら)による大きなイベントがあった
。岡井隆や塚本邦雄など短歌界を牽引する
歌人や小池光など当時の精鋭が壇上に立っ
た。隣接するジャンルを代表して俳人金子
兜太が登壇し佐佐木幸綱と対談した。豪放
磊落、自由奔放な兜太節に、さすがの佐佐
木幸綱もたじたじで、場内は爆笑の渦に包
まれた。筆者がナマ兜太を見たのはこの時
が最初で最後である。
 兜太の魅力の源とは何だろう。兜太は「
存在者」と呼ばれる。『兜太Tota』創刊号
の特集は「私が俳句」だった。兜太の存在
が俳句そのものなのだ。優れた才能が俳句
を創作しているのではなく、兜太即俳句と
いう希有の存在なのである。俳句を体現し
て生き抜いたからこそ多くの人々の心を掴

んで離さない。
合歓の花君と別れてうろつくよ 兜太
 正岡子規国際俳句賞受賞講演で、兜太は
自身を「アニミストであると、あるいは少
なくとも、アニミストになろうとしている
」と語る。「社会の中の人間から目覚めて
アニミズムにきている」として、「もうホ
トトギスも虚子も蜂の頭もない、もうそん
なことはどうでもよくなっております」と
述べる。自身を相対化するメタ視座を獲得
し、対立を超越し相違を包摂し、昇華し拡
張して、ただ俳句として存在する「存在者
」となったのではないだろうか。
しかしここにはある種の危うさがある。
兜太自身が、その対立した虚像としての虚
子と同様の存在、絶対的崇拝対象になりか
ねないという危惧である。それを回避する
ため、『兜太Tota』は兜太を顕彰すると同
時に冷静に読み解き且つ忌憚なく話し合う
場であるべきだろう。

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