連載俳句と“からだ” 137
連載俳句と“からだ” 137
愛知 三島広志
地貌季語
我が国の教育現場では日本の言葉を「
日本語」と呼ばずに「国語」と称してい
る。しかし、イギリスやアメリカなど英
語圏国家では国の言語を「英語」と称し
「国語」とは呼ばない。「国語」は明治
時代に作られた和製漢語である。江戸時
代においては諸藩の言語つまり方言が当
然であった。しかし維新後、統一国家と
なってからは方言という非統一的言語で
は極めて不都合であった。特に軍隊では
意思疎通が正しく伝わらないと危険な状
況に陥るという困難な現実に直面した。
そこで明治政府は人工的に標準的言語を
定め、それを教育の場で指導すると同時
に国の思想もそこに加味した歴史がある
。
ところが当時の国語では語彙に不足が
あり十分に思いが伝わらないという欠陥
が指摘された。そこで1918年(大正七年
)鈴木三重吉が創刊した『赤い鳥』は子
ども達の綴り方において方言の使用を推
奨していた。また三重吉からは無視され
たが宮澤賢治は自らの作品が将来国際的
に評価されることを想定し、登場人物に
ジョバンニやカムパネルラ、グスコンブ
ドリなど外国の名前を用いると同時に、
地域に根ざした方言の作品も書いている
。「鹿踊りのはじまり」の会話は方言で
貫いているし、鹿踊りをテーマにした「
高原」という詩は方言で書いている。
海だべがど おら おもたれば/やつぱ
り光る山だたぢやい/ホウ/髪毛 風吹け
ば/鹿踊りだぢやい
さて、前置きが長くなった。手元に宮
坂静生著『地貌季語探訪 季語体系の背
景』(岩波書店)という労作がある。こ
の好著の「はじめに」には「俳句を作る
上で、季題や季語に関わるときには、季
題や季語を作り手にとり生きたものとし
て自分の息遣いに馴らし、自分の季題や
季語にして初めて動きが生まれ、生気が
蘇る」と書かれている。そして「自分の
息遣い」とは「私という身体のことばを
介した生者と死者との語り合い」と考え
る。何故ならそれは単なる風土を超えた
「昭和の戦中、戦後への反省を合わせ、
生者と死者とともに生きる『地貌』を探
求する視点こそ歴史を形成する本質的な
命題と考えている」からだという。
わたしはこの「はじめに」だけで氏の
時空を超越した思索に圧倒された。氏は
現地に立ち、地貌から湧き出る言霊を感
受し言語化する。それが氏の俳句となる
。そこには氏の身体を介して死者の思い
が噴出してくる。俳句という短い形式は
それを季語と同時に受け止めることが可
能である。否、それでなければ俳句では
ないとも言える。信州にあって長年風土
と俳句を考察してこられた宮坂氏のこの
本は是非手にして読んで頂きたい。
氏が書中紹介している句の中から先ほ
どの賢治繋がりで一句。
鹿踊角が銀河に触れて鳴る 円城寺龍
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