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2020年1月

2020年1月23日 (木)

連載俳句と“からだ” 159

連載俳句と“からだ” 159
愛知 三島広志
ヒポクラテスとナイチンゲール
医学の起源は古代ギリシャのヒポクラテ
ス(B.C.460-?)に遡る。彼は人類誕生と
同時に自然発生した伝承医療を学問として
成立させ、さらに医療者の心得を定めた。
ヒポクラテスの誓いは今日でも医師の規範
となっている。
ヒポクラテス以後の主立った功績者を上
げよう。十四世紀、イタリアで始まったル
ネッサンスを代表するレオナルド・ダ・ヴ
ィンチ(1452- 1519)は身体を宗教的束縛か
ら解放、一個の実体として観察する。その
後デカルト(1596-1650)の心身二元論に基
づき近代医学への道が開かれた。身体を肉
体と精神の二元に分け、肉体を物体として
研究する道筋を作ったのだ。これ以降、科
学技術の進化が医学を進歩させる。1676
年、レーウェンフックは顕微鏡で細菌を発
見。ジェンナー(1796年種痘ワクチン)は
人類を天然痘から救い、コッホは1876年
、炭疽菌を発見、病原体の存在を解明し
1882年結核菌発見。リスターの消毒法開
発(1887年)と続く。消毒法は手術を劇
的に発展させることとなる。
今生は病む生なりき烏頭 石田波郷
1869年、日本は開国し西洋文化を受容、
北里柴三郎(1889年破傷風菌培養、1894年
ペスト菌発見)や志賀潔(1897年赤痢菌
発見)などが国際的に活躍する。さらに二
十世紀に入り薬品や検査機器の革新的進化
、遺伝子に基づく医療の発展と続く。
医療の長い歴史に比べ看護(介護を含む)
の歴史は浅い。勿論これらも人類誕生と同
時に発生したが学問として成立するにはフ
ローレンス・ナイチンゲール(1820- 1910)
を待たねばならなかった。裕福な家庭に生
まれた彼女は語学、芸術、哲学、心理学、
数学などを総合的に学習した。彼女は近代
ヨーロッパを二分するクリミア戦争(1854)
の悲惨さを知り、看護のため従軍し衛生の

悪さが負傷兵の死亡率を高くしていること
を指摘、統計的手法で感染症と死亡率の研
究、生存率を高めることに成功した。彼女
の看護師としての実働は二年だけであり、
その後、37歳で病気に倒れ90で亡くなる
までほぼベッドで執筆をしながら看護教育
を確立した。それまでの看護は家族などの
経験主義によるものだったが、ナイチンゲ
ールは科学的思考で学問として成立させた
のだ。死亡原因ごとの死者の数をひと目で
分かるように工夫したクモの巣チャートを
考案し、イギリスでは彼女を統計学の先駆
者としている。彼女による改革は保健制度
のみではなく、陸軍全体の組織改革につな
がった。彼女は1859年にイギリス王立統
計学会の初の女性メンバーに選ばれ、後に
はアメリカ統計学会の名誉メンバーとなる
。スイス人アンリ・デュナンは彼女に影響
を受け1863年、赤十字社を作った。功績
ある看護師などに与えられる賞は彼女の名
を冠しナイチンゲール記章と呼ぶ。
 夜明け待つもの青萱と看護婦と
飯田龍太

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連載俳句と“からだ” 158

連載俳句と“からだ” 158
愛知 三島広志
河辺克美句集『ポケットに凍蝶』
 藍生俳句会を代表する作家河辺克美の第
二句集である。河辺は藍生俳句賞と宗左近
俳句大賞を受賞している。
 河辺の句には「読みしろ」がある。厳選
された素材が、静謐な器に並べられている
。そこから何を読み取るか、何を感じ取る
か、ほとんどが読み手に任せられている。
論文が100%述べ尽くすものだとすれば、
河辺の句はいかほど述べているのだろうか

 河辺の作品はその奔放な表現からいわゆ
る俳句らしさから超越した句が多い。ポエ
ジーの風に乗って自在に詠まれている。俳
句は創作として独自の世界を創出すること
で成立している。しかしそれと同時に自己
の世界観を伝達し共感を得ることで作品と
して完成する。自立した世界を表白しつつ
、伝達によって読み手との共感する世界を
構築するという矛盾を抱えている。言い換
えると、俳句は解釈され鑑賞されることに
よって作品世界が完結するのだ。
作品を見てみよう。
竹林の泉に貌を置いてきし
師の黒田杏子は、この句を「鮮やかな一行
」と絶賛している。確かに印象は鮮やかの
一言である。句を言葉通り読むならば、竹
林の泉に貌を置くことは不可能であり現実
では有り得無い。敢えて散文的に解釈する
なら「爽やかな竹林の中に湧き出る涼しげ
な泉の水面に私の顔が映っている。私は戻
ってきたが映った顔はそのままそこに漂っ
ている。私の思いはまだ泉の中にある」と
でもなるだろうか。そこからの鑑賞は読者
に委ねられている。
河辺の句は読者に多くの鑑賞を委ねるこ
とで句の世界を広げている。芭蕉の「言ひ

おほせて何かある」に寄った作風だろう。
 押入れの冬の夜空へ抜ける道
言葉は易しいが、額面通り読めば意味は不
明である。しかしそれぞれの言葉が暗喩と
して刺激し合っていると考えると広大な世
界が見えてくる。押入は生活の中で隔絶し
た空間、日常から閉ざされ普段は中を意識
しない場所だ。作者は日常から非日常へ飛
躍する詩的昇華のための小道具として押入
を覗く。そこは広大な冬空へ続く抜け道な
のだ。生活の場が一気にコスモスへ展開す
る。それはあたかも押入に住むドラえもん
の四次元ポケットではないか。俳句は日常
にあって精神を再生する装置となるのだ。
しかし夫の入院から逝去までの連作は現
実的な絶唱であり、技巧を越えて作者の思
いが吐露されている。
 病床のをとこに石蕗の花あかり
 春暁の呼べど呼べども朝のいろ
 春雪の空をひとりで逝けますか
(作品は全て河辺克美句集から)

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連載俳句と“からだ” 157

連載俳句と“からだ” 157
愛知 三島広志

 炎天下、路上にキラキラ蠢く虫を見つ
けた。髪切虫かと拾い上げるとミーミー
ミーミーと激しく啼く。名古屋では稀少
なミンミンゼミだ。ある実地調査では名
古屋で収集された蝉殻のうち、ミンミン
ゼミは0.1%。東京では一般的なミンミ
ンゼミも名古屋では極めて稀少である。
参考
「名古屋市いっせいセミのぬけがら調査 5年間のまと
め」では平成21年から五年間の抜け殻の調査をまとめて
いる。それによるとアブラゼミ80.9%、クマゼミ
17.6%、ニイニイゼミ1.21%、ツクツクボウシ0.29%で
ある。別の調査でミンミンゼミは0.1%。西区ではアブ
ラゼミ2648個、クマゼミ7個だが千種区ではアブラゼミ
1187個、クマゼミ370個である。ニイニイゼミは緑区で
203個だが他の区ではほとんど0個である。
1980年頃まで名古屋はアブラゼミの天
下だった。その後クマゼミが声の大きさ
と相まって急増した印象がある。秋口か
ら目立つツクツクボウシも名古屋では滅
多に聞かれない。ヒグラシは寒蝉という
秋の季語だが実は梅雨明け、ニイニイゼ
ミなどと一緒に羽化して一夏啼く。しか
しこの蝉は広葉樹林に棲むので名古屋市
内には棲息していない。
 蝉の生態はその生涯がほとんど地中の
ため正確に分かっていない。またその分
布は極めて複雑で、先の調査のように地
区によって個体の分布差が激しい。蝉の
寿命は地中の数年と地上での一週間と思
われていたが、近年様々な調査で30日近
く生存するのではないかとされてきてい
る。確かに梅雨が明けると、公園などで
日没直後、幼虫が一斉に這い出してきて
羽化し、秋にはいなくなる。これは梅雨
明けに羽化した蝉が、およそ一ヶ月生き
ていたことではないかと推測される。
蝉時雨子は担送車に追ひつけず
    石橋秀野
 クマゼミの北上には温暖化説と樹木移
植説がある。樹木に産み付けられた卵が
移植先で孵り、幼虫が気温の安定した地
中に入り数年後地上で羽化し、気候が合
えばその地で繁殖する。毎年バルコニー
のシマトネリコの木にクマゼミが来て樹
液を吸っている。この木は暖かい地方の
樹で、育て易いので名古屋市内でよく見
かける。こうした樹の移植がクマゼミに
とって棲みやすい環境を作っている可能
性も否定できない。今年名古屋ではクマ
ゼミの声が少なく、アブラゼミの声がよ
く聞かれた。さらにミンミンゼミの声を
聞いたという報告が多かった。そしてつ

いに、生きた個体を拾ったのだ。これが
一時的な変化なのか継続するのか、過渡
的なものなのか。興味は尽きない。
  閑さや岩にしみ入る蝉の声 芭蕉
この蝉はニイニイゼミとされているが
ヒグラシのカナカナカナという哀愁が似
合う。

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連載俳句と“からだ” 156

連載俳句と“からだ” 156
愛知 三島広志
レビー小体
毎月数回医療や介護の勉強会に参加し
脳が錆びないように心がけている。伝承
医療は中国三千年の知恵などと悠久不変
を誇っているが科学は日々進化変化して
いる。伝承医療は古典的絶対論だが、自
然科学を元とする医学は相対論であり常
に進化変転する。
先日、パーキンソン病の新しい知識を
学んだ。パーキンソン病は1817年にパー
キンソン博士により報告された。病気の
特徴は安静時振戦(手の震え)、寡動・
無動(動作や歩行の開始困難、速度低下
などの運動障害。表情も仮面のように乏
しくなる)、筋強剛(筋固縮とも。筋肉
が固く動かすと抵抗が生じる)、姿勢保
持反射障害(姿勢が崩れたとき戻せない
、上手に歩けない)であり以上を四大兆
候と呼ぶ。この病気は進行性の神経変性
疾患であり、最終的には介護を要する寝
たきり状態となる。療養は長期となり概
ねその人の天寿を全うする。現在の医学
では症状緩和の薬物療法や動作維持の運
動療法はあるが、治癒は不可能だ。発症
は65歳から急増する。講師の話では人は
120歳まで生きれば誰でもパーキンソン
病になるとのことである。
パーキンソン病に関しては中脳の黒質
線条体が緩慢に脱落しドーパミンという
神経伝達物質が減少していくことと、レ
ビー小体という物質の関与が分かってい
る。ドーパミンは薬物で補うことでかな
りの効果が認められる。
 レビー小体は100年ほど前レビー博士
によってパーキンソン病との関連が明ら
かにされた。これが近年腸管から迷走神
経を上行して延髄、中脳にきて神経変性
を起こすことが明らかになってきた。パ
ーキンソン病の患者が便秘に苦しむのは
消化管が早期にレビー小体の影響を受け
るためだろうとされている。
 レビー小体はパーキンソン病だけでは
ない。この頃アルツハイマー型認知症に
次いで知られるようになったレビー小体
型認知症にも関係している。アルツハイ
マー型認知症は健忘と見当識障害(場所
や時間が分からない)を特徴としレビー
小体型認知症は健忘に加えて幻覚とパー
キンソン症状が出現する。レビー小体が
脳に入り運動野に影響すると身体症状、
知覚野に影響すると幻覚などが見えると

いう仮説が成立する。これらの事実が動
物実験で確認されてきている。
 こうして医学は進歩、医療は発展し人
類の安心幸福に関与している。変化を制
止すると進歩も止まる。俳句も同様に伝
統に胡座をかくのではなく、伝統の中に
ある誠や構造、本質を抽出して次の世代
に発展的継承することが肝要だろう。
老いゆくは新しき日々竜の玉
深見けん二

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連載俳句と“からだ” 155

連載俳句と“からだ” 155
愛知 三島広志
ALS
 「ALSという病気をご存じですか」と
尋ねられた。参議院議員選挙にALSを患
う方が立候補されたとのこと。私は過去
に数例、マッサージ師として、ALSの方
に最期まで訪問施術をしたことがある。
ALS(Amyotrophic Lateral
Sclerosis)は、筋萎縮性側索硬化症と
呼ばれる。初期症状には、手足から侵さ
れるケース(全体の3/4)と言葉や嚥下の
障害から気づくケース(全体の1/4)の二
種類がある。2016年の統計によると、日
本には約9,600人の患者がいて、罹患率
は男性の方が1.5倍高い。
神経変性難病の一つで最も重篤なもの
とされ、他の神経変性症と比較して進行
が速い。筋肉の動きを支配する脊髄の運
動ニューロン(運動神経細胞)が侵され
るため、身体運動が阻害され、次第に筋
肉がやせ細ってくる。呼吸のための筋肉
も阻害され、ついには呼吸困難となり死
に至る難病である。目下治療法は存在し
ない。
 大脳でコップを掴もうと考えたとする
。その情報は脊髄を経て手の神経を通じ
て筋肉を動かす。その結果コップを持つ
ことができる。ALSは、この脳から脊髄
までの過程で何らかの変性が起こって発
症するとされる。意識や感覚は清明であ
るにも関わらず全く動けなくなる。起居
歩行や会話という基本的活動はおろか、
顔に蠅が止まっても払うことさえできな
くなる。ただ、目や口に微かに意識的動
作が残存する。周囲をじっと見守り思考
することは可能だが、何ら表現や活動が
許されないという厳しい病気だ。
米国では大リーグのルー・ゲーリッグ
が現役で罹患して知られることとなり、
ルー・ゲーリッグ病と呼ばれている。日
本では俳人の故折笠美秋氏がこの病気と
闘い、その様子がドラマ化され注目を集
めた。
ひかり野へ君なら蝶に乗れるだろう
折笠美秋
 ALSの最大の問題は呼吸と嚥下の能力
が失われることだ。かつては為す術無く
発症後数年で亡くなった。
現在では人工呼吸器や胃瘻の技術、環

境 (医療福祉機器や人的援助)の 整備に
よって、社会的に生きることが可能とな
った。大変厳しい病気だが、強い意志と
支援があれば十分生きていける。援助す
る組織も存在する。目の動きでボード上
の文字を示し、瞼や噛む動作でPCを使い
、意思疎通や意見表明などの活動もでき
る。そして国会議員に立候補する方も現
れたのだ。
 遠山櫻治らぬ人に触れて来し
三島広志

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連載俳句と“からだ” 154

連載俳句と“からだ” 154
愛知 三島広志
檸檬とLemon
 米津玄師というシンガーソングライターが
いる。イラストレーターや映像作家としても
活動するというマルチプレイヤーだ。昨年
(2018)テレビドラマの主題歌として提供され
た彼の「Lemon」という曲は、世代を超えて
広く受け入れられた。
そのすべてを愛してた あなたとともに/胸に
残り離れない 苦いレモンの匂い/雨が降り
止むまでは帰れない/切り分けた果実の片
方の様に/今でもあなたはわたしの光
Kenshi Yonezu
 レモンが愛する人の死のメタファーとなっ
ている。そこでこの歌詞からおそらく多くの
人は高村光太郎の「レモン哀歌」を連想する
だろう。末尾の「光」もそれを促す。「レモン
哀歌」(1939)は高村の詩集『智恵子抄
』(1941)に収められている。
そんなにもあなたはレモンを待ってゐた/か
なしく白くあかるい死の床で/わたしの手か
らとつた一つのレモンを/あなたのきれいな
歯ががりりと噛んだ/トパアズ色の香気が立
つ/(中略)/あなたの機関はそれなり止まつ
た/写真の前に挿した桜の花かげに/すずし
く光るレモンを今日も置かう

      高村光太郎
 「レモン哀歌」では二人の関係を結ぶ象徴
としてレモンが登場する。この死はある意味
で受け入れられたものだ。米津の歌詞のレ
モンは「切り分けた果実の片方」として未だ
受容できていない死として表現されている。
 レモンは明治になって日本に入ってきた。
瀬戸内などで栽培もされた。鮮烈な香りと酸
味、整った形と色彩はおそらくそれまでの日
本にはなかった食物だ。西洋を感じさせる
にあまりある存在だったろう。ゲーテの『ヴィ
ルヘルム・マイスターの修業時代』の中で薄
幸の少女ミニヨンが歌う「君知るや南の国 
レモンの木は花咲き(1889森鴎外訳)」も知ら
れていたが、おそらくもっとも強い印象を与
えたのは梶井基次郎の「檸檬」(1925)ではな
いだろうか。
 梶井の作品で死は扱われていない。ただ「
えたいの知れない不吉な塊」に心を圧えつ
けられ、焦燥や嫌悪に苛まれた主人公が書
店の棚に檸檬を置いてくるだけという小説で
ある。しかし、書店の棚から抜き出された画
本の「ガチャガチャした色の諧調をひっそり
と紡錘形の中へ吸収して」檸檬は「黄金色

に輝く恐ろしい爆弾」となると、極めて印象
深く描写されている。
 「Lemon」から「檸檬」や「レモン哀歌」を想
起するのは身勝手な連想かと思ったが、米
津は自ら梶井や高村からの無意識的な影
響の可能性について語っている。言葉は人
々の心の中に実態を超えた想像を沸き立た
せる。誰もが精神の深層に比喩としてのレ
モンを抱いているのだ。

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連載俳句と“からだ” 153

連載俳句と“からだ” 153
愛知 三島広志
牛後 純粋経験と描出
 鈴木牛後さんが2018年第64回角川俳句
賞を受賞された。北海道の広大な土地で
酪農を営む牛飼い俳人の活躍は俳壇を超
えて大きな反響を巻き起こした。大手全
国紙も一面のコラムで取り上げ牛後さん
の存在を広く知らしめた。タイミング良
くNHKの朝のドラマも北海道の酪農一家
が舞台で、その光景が映し出される度に
牛後さんを思い起こすのは筆者だけでは
あるまい。
かげろふに濡れて仔牛の生まれ来る
彼の俳句は上手いだけでなく読み手に
強く訴えてくる。北海道の大自然と牛、
一般に体験することのない酪農という生
業が、俳句として言語化され読み手の身
体に共鳴し、あたかも一緒に体験してい
るかのように感じられる。
 広大な土地で牛の世話をして暮らして
いる彼にすれば、遠景の陽炎と眼前の仔
牛は日常の一コマであろうが、距離的対
比として技巧的である。しかし、技巧を
超えて内在する詩的表現があればこそ、
読み手も共に「生まれ来る」仔牛を待ち
望み祝福することができる。
牛死せり片眼は蒲公英に触れて
 牛後俳句の魅力は彼と対象の関係が直
接であり、言葉が作為的でないことだろ
うか。「純粋経験」という概念がある。
西田幾多郎は『善の研究』において「純
粋経験は直接経験と同一である。自己の
意識状態を直下に経験した時、未だ主も
なく客もない、知識とその対象とが全く
合一している。これが経験の最醇なる者
である」としている。  
牛の死もまた彼には日常の一部であろ
う。その「見る主観もなければ見らるる
客観もない」純粋経験のありようが示さ
れ、詩は精巧な言葉として豊かに顕現す
る。事象の純粋経験を言語的に描出する
ことが、牛後俳句の本質と思われる。
歴史には空白のある根雪かな
無論彼を稀有な環境にある秀逸な才能
として只管称揚して私自身を満足させる
ことは戒めなければならない。「角川俳
句賞受賞のことば」において、北海道を
襲った大地震後の長い停電によって「頭
のなかのかなりの部分を占めていた俳句
がやすやすと追い出され」たと吐露し「

俳句と生活が私のなかで不可分に結びつ
いているなどとは軽々しく言えないとい
うことを、私に知らしめることとなった
」と述べている。  
彼は実に冷静に自身を俯瞰している。
自分と俳句の関係、同時に読者が彼に何
を期待しているのかをも。
満月を眼差し太き牛とゐる
(文中の句は全て鈴木牛後作)

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連載俳句と“からだ” 152

連載俳句と“からだ” 152
愛知 三島広志
兜太Tota Vol.2
『兜太Tota Vol.2』 が出た。藤原書店か
ら出版された本書の表紙には、名誉顧問金
子兜太、編集長筑紫磐井、編集主幹黒田杏
子とある。特集は「現役大往生」。まさに
「存在者」金子兜太に相応しい編集だ。書
き手は兜太縁の錚々たる面々である。この
類の雑誌は、偲ぶ人々の盛り上がりによっ
て一度は日の目を見るものの後が続かない
ことが多い。二号目が無事に上梓されたの
は兜太の魅力によるものであろう。その存
在が人を魅了し人を動かす。〔後記〕には
「この売れない出版事情の中で、天からの
贈り物」であり、二号が出たのは編集主幹
黒田杏子さんのお蔭でもあると記されてい
る。「存在者」兜太の魅力と、それを顕彰
して後世に遺そうと奔走する人々の協働が
、この雑誌の出版を継続せしめている。
 原爆許すまじ蟹かつかつと瓦礫歩む
兜太

 かつかつと蟹の渉れる能舞台

黒田杏子
 今から三十数年前、名古屋で超結社短歌
集団「中の会」(春日井建、岡井隆、斉藤
すみ子ら)による大きなイベントがあった
。岡井隆や塚本邦雄など短歌界を牽引する
歌人や小池光など当時の精鋭が壇上に立っ
た。隣接するジャンルを代表して俳人金子
兜太が登壇し佐佐木幸綱と対談した。豪放
磊落、自由奔放な兜太節に、さすがの佐佐
木幸綱もたじたじで、場内は爆笑の渦に包
まれた。筆者がナマ兜太を見たのはこの時
が最初で最後である。
 兜太の魅力の源とは何だろう。兜太は「
存在者」と呼ばれる。『兜太Tota』創刊号
の特集は「私が俳句」だった。兜太の存在
が俳句そのものなのだ。優れた才能が俳句
を創作しているのではなく、兜太即俳句と
いう希有の存在なのである。俳句を体現し
て生き抜いたからこそ多くの人々の心を掴

んで離さない。
合歓の花君と別れてうろつくよ 兜太
 正岡子規国際俳句賞受賞講演で、兜太は
自身を「アニミストであると、あるいは少
なくとも、アニミストになろうとしている
」と語る。「社会の中の人間から目覚めて
アニミズムにきている」として、「もうホ
トトギスも虚子も蜂の頭もない、もうそん
なことはどうでもよくなっております」と
述べる。自身を相対化するメタ視座を獲得
し、対立を超越し相違を包摂し、昇華し拡
張して、ただ俳句として存在する「存在者
」となったのではないだろうか。
しかしここにはある種の危うさがある。
兜太自身が、その対立した虚像としての虚
子と同様の存在、絶対的崇拝対象になりか
ねないという危惧である。それを回避する
ため、『兜太Tota』は兜太を顕彰すると同
時に冷静に読み解き且つ忌憚なく話し合う
場であるべきだろう。

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連載俳句と“からだ” 151

連載俳句と“からだ” 151
愛知 三島広志
春雨と春の雨
 夏井いつき女史による某テレビ番組の俳
句コーナーのファンが俳句に関心を抱き歳
時記を読み始めた。ある時、「春雨」と「
春の雨」は違うのだと驚いていた。その人
が手にしているのは平井照敏編『新歳時記
(春)』だ。不学な私は不覚にもその違いを
知らなかった。否、忘れていた。平井はそ
の歳時記で服部土芳の『三冊子』の一文を
紹介し、現代の気象学との兼ね合いも説明
していた。数年間、平井の門下にいた私と
してはいたく恥じ入ったのである。
 春雨のあがるともなき明るさに
星野立子
 そこで慌てて常用の『第四版合本俳句歳
時記』(角川書店)を調べたが「春雨は古く
からしっとりとした趣のあるもの」としか
書かれていない。「春の雨」は傍題だ。こ
れではいけないと講談社の『日本大歳時記
』を引っ張り出すと山本健吉が解説してい
る。現代気象学の説明の後「春に特有の艶
なる風趣を添えるもので、木の芽を張り、
草の芽をのばし、花を咲かせる雨とされる
。長雨となることが多いので春霖とも言う
」とあり、さらに服部土芳の『黒冊子』か
ら「春雨はをやみなく、いつまでもふりつ
ゞくやうにする。三月を言ふ。正月、二月
はじめを春の雨と也」を引用している。
山本は同様の解説を平凡社『俳句歳時記
』や『基本季語五〇〇選』(講談社学術文
庫)でも書いている。平凡社版では土芳の
説に対し「不性さや掻起こされし春の雨(
芭蕉)」の句を例に「春の雨」を「春雨」
の感じで詠んでいる場合も多いので土芳の
説をやや修正して、「春の雨」は三春にわ
たって総括的に言い、「春雨」は主として
春の下半期に降る特有の性格を持った雨と
すべきであるとしている。
 春の雨手足のばして我儘す 滝井孝作

 ここで気になるのは明治からの新暦によ
る季節感とそれ以前の旧暦との齟齬だ。陰
暦では一月から三月が春である。暦上は立
春から立夏の前日までが春だ。気象学では
三月から五月とされる。ちなみに今日三月
十日は旧暦では二月四日である。新暦、旧
暦、暦学、気象学で春の定義が異なるのは
混乱の元だ。服部土芳の説も今日的にはそ
ぐわない。そこで山本健吉が修正したよう
な柔軟さを必要とするのだろう。
飯田龍太は「日本大歳時記(前出)」で「
一般には、二月末、枯れ草にわずかな新芽
が萌はじめるころから、四月末ごろまでの
印象」と述べている。これが実感に近いも
のではないだろうか。
と言うことで冒頭に行きて帰るなら「春
雨」と「春の雨」の違いを亡失していた私
は現代に生きておればこそなのだと言い訳
できるのである。
 はるさめやぬけ出たまゝの夜着の穴
丈草

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2020年1月22日 (水)

連載俳句と“からだ” 150

連載俳句と“からだ” 150
愛知 三島広志
子どものまねく 高田正子集
 作品と作者は不即不離であると同時に
相対的に独立もしている。作品は作者の
知識や経験、想像力から生み出される。
作者から絶対的に独立することはない。
作品は作者と直接して生まれ、その媒介
によって読者を作者の世界へ招き込む。
さらに作品と作者は相互浸透して作者自
身も自らの作品から影響を受けることと
なる。この構造は作者も読者も共に巻き
込みながら作品をより豊穣かつ重層的な
ものとして生成し続ける。
 手元に『自註現代俳句シリーズ・高田
正子集』(俳人協会)がある。高田正子の
句は静謐で平明という印象が強い。
 大寒の天の一角昏れあます
大学のゼミ演習で俳句と出会った作者
が演習ではなく「自発的に作った最初の
句」であると自註にある。古格を踏まえ
た堂々たる一句だ。
しかしそこに作者は留まらない。こう
した骨太の輪郭を消してみせるところに
彼女の句の魅力がある。一見平易な句の
中に読みを複雑にさせる構造があるのだ
。  
蟬の殻うすうすと風抜けにけり
 あをぞらのゆつくりうごく小春かな
蟬の殻の句、うすうすは蟬の殻か、風
か、抜け方か、否、それら全てか、さら
に作者や読者も含まれるのか。句の中に
こうしたさりげない謎が隠れている。あ
をぞらの句も同様にゆっくり動くのが青
空か小春かあるいは作者か、揺らぐ表現
の中で読者がゆっくり動かされる。
花の散るはじめのひとひらかもしれぬ
それぞれの灯にみんなゐる夜の秋
 上記の句は虚子の「咲き満ちてこぼる
る花もなかりけり」や青邨の「人それぞ
れ書を読んでゐる良夜かな」に影響され
たものだ。彼女の句作りにはしっかりと
歴史を踏まえる内面の勁さがある。閑か
に燃える精神で俳句と対峙している。こ
れは俳人として俳句の歴史の中に立ちつ
つ作品世界を構築しようという俳人とし
ての矜恃だろう。これが作者の世界をよ
り重層的に見せている。

高田正子を語るときどうしても避けら
れないことがある。それは以下の句に読
み取れる。子を亡くすという悲痛な体験
が彼女の目差を常に重層化していると考
えられる。作者の意図を離れ表層の意味
と同時に別の世界を垣間見せてくるのだ
。冒頭に述べた作者と作品の直接がある

 
みのむしのごとく眠りぬ子の亡くて
しのびつつ子の来る音の落葉かな
 灯せば人還りくる桜かな
 向こうより子どものまねく茅の輪かな

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連載俳句と“からだ” 149

連載俳句と“からだ” 149
愛知 三島広志
青花帖 橋本薫句集
 オフィスに白い磁器の皿が飾ってある
。皿にはコバルトブルー色の文字で「白
葱のひかりの棒をいま刻む 杏子」と揮
毫してある。藍生俳句会に些か貢献した
として授与されたものである。揮毫は黒
田主宰。皿を制作したのが陶工橋本薫。
藍生俳句会の会員である。この度句集『
青花帖』(深夜叢書社)を上梓された。
涼夜かな青花壺中に座すごとき
しぐれ来るいまだかたちにならぬ土
 集中には陶工ならではの句が多い。「
良夜」の句は句集のタイトルになった「
青花」が詠み込まれている。後書に焼き
物と青色の由来が書かれており「透明な
釉薬の下に描かれた、永遠に触れること
のできない青の世界だ。釉下に描く染付
のことを中国では青花といっていたそう
なので、集名はそこから」と書いている
。その青は眺めることはできても永遠に
触れることが出来ないとはいかにも示唆
的な集名だ。なぜなら句集には作者の五
十代六十代の作品が掲載されているが、
その間に生活と作陶を共にしてきた夫を
看取り、さらに母を野辺に送っている。
まさに永遠に触れることのできない別れ
を経ているのだ。
納棺の山茶花に紅一ところ
年齢を重ねるということは経験を積み
重ねると同時に、様々なものを喪失して
いくことだ。作者は悲痛な喪失体験を抑
制的に書き留めていく。広くなった家や
工房の中の孤独をひたと見つめ、しんと
耳を澄ますのだ。
帚木の実食べひとりもゐなくなる
もの音の棲む木の家の夜の長き
蟋蟀や柱と壁の内ひとり
 結社の全国のつどいで会ったとき、彼
女はロビーのピアノを激しく奏でていた
。ショパンだったか。陶芸だけでなく音
楽や文学にも明るい才媛である。土を捏
ねる繊細な感性は様々なジャンルに開か
れているのだろう。以下の句には作者の
鋭敏な感覚が表現されている。
半身を追儺の闇に残しおく
思ひ出は壁抜けてくる草雲雀

失った人への思いは消えることはない
。しかし人はそこに留まってはおられな
い。新しい生活の中に喜びを見出す、あ
るいは営みを創造していく。
井の底に硯養ふ良夜かな
化猫を飼はむ福豆撒かずをり
水盤を作らむ梅雨の月飼はむ
これらの句には孤を孤として受け止めな
がら前向きに生きていこうとする志向が
みてとれる。

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連載俳句と“からだ” 148

連載俳句と“からだ” 148
愛知 三島広志
香りと記憶
街をゆき子供の傍を通る時

蜜柑の香せり冬がまた来る
 木下利玄の人口に膾炙した短歌だ。
平易で理解しやすい上に誰もが共感で
きる内容ではないだろうか。街角でた
またま出会った子どもから蜜柑の香り
が漂ってきた。その香りからまた冬が
来る。もう一年が過ぎたのだなあとい
う感慨と、正月などへの期待が呼び起
こされる。それと同時に街の子の蜜柑
の香りは自分の幼かった頃の記憶も想
起させる。
 このように香りが幼少時の記憶を甦
らせる現象をプルースト現象と呼ぶ。
プルースト現象とは「あるにおいとの
遭遇を契機としてそのにおいと関連し
た幼少期の自伝的記憶がありありと想
起される現象である(山本晃輔博士)
」。
その呼称はフランスの文豪マルセル・
プルーストの代表作『失われた時を求
めて』の主人公が作中で同様の体験を
したことに由来するという。
 この現象は心理学的、生理学的に研
究され脳内の活動や身体への影響が少
しずつ解明されてきている。プルース
ト現象を喚起する香りは脳の快感に関
わる大脳前部や、記憶に関係する大脳
内側の働きを活性化させることが分か
ったという。さらに炎症を起こす血液
中の体内物質を減少させ、体調をよく
することも確認されている。
風下に来て臘梅と気付くまで
稲畑廣太郎
前出の山本博士によると「匂い手が
かりによって自伝的記憶を喚起する場
合」視覚的手がかりよりも扁桃体や海
馬が賦活されるという。扁桃体も海馬
も記憶に関係する中枢である。また「
言語手がかりの場合に比べて、情動的
処理を行う辺縁系と共に言語等の意味
的な処理と関係した」部分が賦活され
るという。つまり嗅覚刺激は、自伝的

な記憶を喚起するとき、視覚刺激より
も記憶中枢を賦活し、言語情報による
言語的意味処理に加えて情動的処理も
行うことが分かってきた。香りが記憶
を甦らせることは単なる思い込みでは
なく、明確な脳内メカニズムに基づい
ているのだ。
もしかしたら逆に私たちはある記憶
を想起したいがために知らず知らずの
うちに香りを求めることがあるのかも
知れない。脳裏に引っかかっていなが
ら思い出せない幼い頃の記憶を何かの
香りが鮮明に甦らせてくれるトリガー
となることを期待して。
栗食むや想ひ出したきことありて
三島広志

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連載俳句と“からだ” 147

連載俳句と“からだ” 147
愛知 三島広志
トマトと唐辛子
 トマトは栄養豊富なこととその愛らし
い姿、味覚から世界中で食されている。
とりわけ今最も健康的として注目されて
いるイタリア料理やスペイン料理などに
代表される地中海料理では欠かせない素
材だ。しかしその歴史は浅い上に、長い
間毒があるとして敬遠されていた。
蕃茄食ひ今過ぎし駅名を忘る
加藤秋邨
 トマトはアンデス山脈原産のナス科の
植物であり、1519年にコルテスによって
持ち込まれるまで西欧諸国で知られるこ
とは無かった。つまりそれ以前の地中海
料理にトマトは使用されていなかったの
だ。しかも当初ヨーロッパではトマトを
poison apple(毒林檎)と呼んで食すこ
とは無くあくまでも観葉植物として愛で
たのだ。毒の由来には諸説ありトマトの
酸が食器の鉛を溶解したため、一緒に持
ち込まれたジャガイモの芽を食して中毒
になったため敬遠された、ヨーロッパに
自生する有毒植物ベラドンナ(ナス科)に
似ているからなどとされている。
 日本には江戸中期に伝来したがやはり
観賞用で唐柿とか赤茄子と呼ばれ、食し
始めたのは明治になってから、盛んに食
されるようになったのは昭和になってか
らのようである。
 では何故食するようになったのか。こ
れも諸説あり、食糧難になったときどう
せ飢え死にするならトマトを食べてみよ
うと試みたとか、イタリアの貧困層が食
したという説、アメリカでも最初は黒人
奴隷がトマトを食したという。
 18世紀になってトマトは食材の地位を
築いた。今日ではトマトの無いイタリア
料理やスペイン料理は想像できない。む
しろトマトの存在がそれらの料理を一変
したと言っても良いだろう。
同じような食材に唐辛子がある。唐辛
子も中南米を原産としコロンブスが1493
年にスペインへ持ち帰ったとされる。日
本には1542年にポルトガル人によって大
友義鎮に献上されたという記録がある。
日本ではトマトと同様観賞用か足袋の先
に入れて霜焼け止めとして使用された。
朝鮮半島へは日本を通過して広がったと
いうのが定説のようである。つまりそれ

以前の韓国料理もキムチも唐辛子が使用
されていなかったということになる。同
様に中国に唐辛子が伝わったのは17世紀
でありそれまでの四川料理は赤くなかっ
たと想像できる。
トマトや唐辛子など一つの切っ掛けが
その国の料理つまり文化を一変させるこ
ととなった経緯は示唆的で興味深い。
うつくしや野分の後のたうがらし
蕪村

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連載俳句と“からだ” 146

連載俳句と“からだ” 146
愛知 三島広志
菱の実
 藍生編集部のF氏はひょんの実に詳し
い。採取して磨いては人に献上されてい
る。ひょんの実は蚊母樹(いすのき)に出
来るオカリナのような形をした虫癭(ち
ゅうえい)だ。虫の刺激で植物の組織が
異常な形になったものを虫癭という。虫
の出た後の穴に息を吹き込むとヒューと
いう音が鳴るのでひょんの笛とも呼ばれ
る。蚊母樹は自分の近隣にもあるだろう
と公園に尋ねると場所を教えてくれた。
確かにそれらしき物があった。秋になっ
て再訪すると小さなひょんの実を一つだ
け見つけることができた。洗って乾かし
ているうちにふとある記憶が甦った。そ
れはひょんの実ではなく菱の実だ。
 ひよんの実は涙のかたち吹けば哭く
深津健司
 子どもの頃、農村部の公団住宅に住
んでいた。無機質な公団住宅に比して
農村部は魅力的だった。ある日同級生
が「〇〇工場の池で菱の実を採ろう」
と誘ってくれた。菱の実が何かを知ら
ないままついていくと水面一杯に大き
な萍の様な植物が浮いていた。よく見
ると黒い物があちこちに浮いている。
この植物が菱でその黒いのが菱の実だ
という。確かに葉は菱形をしている。
池に落ちないように手を伸ばして実を
取ると堅くて黒い棘のある奇妙な形を
している。翼を広げたコウモリのよう
でもあるしサタンの顔とも思える。気
をつけないと棘が掌を刺す。同級生達
は持ち帰って茹でて食べるというが私
はその不気味な形態が気に入って幾つ
か持ち帰り干して保存した。
 うごかざる水の月日の菱を採る
佐野良太
 その後、菱のことは忘れていた。し
かし時折ふとこの菱採りを想い出すこ
とがある。三十歳の頃「菱の実や時を
豊かに少年期」という句を作ったりも
した。菱は少年時代を想起するトリガ
ーになっているのか。ひょんの実を手
にしながらどうしても菱の実が気にな
って先日採りに出かけた。インターネ
ットで郊外の大学病院近くの池にある
ことが分かった。片道数十分の距離で
ある。バスを降り、墓域を下ると直ぐ
に右手に池が見えた。水蓮が群れてい

た。五位鷺が舞った方を見ると菱形の
葉が無数に浮いている。池の端へいく
と小さな花が咲き、何かが浮いている
。手に採ると記憶のままの黒い悪魔が
刺さる。思っていたよりもかなり小さ
い。子どもの掌の中の記憶なのだから
当然だ。茎を手繰り寄せて三十も集め
たところで堪能し帰路についた。忘れ
物を手にしたような安堵感と共に。
 菱の実よわが少年の日の我よ
三島広志

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連載俳句と“からだ” 145

連載俳句と“からだ” 145
愛知 三島広志
イレーヌ嬢
 中学生の頃、学年別の学習雑誌があっ
た。勉強と教養、娯楽を網羅した雑誌で
多くの級友が購読していた。勉強に対す
る興味の薄かった私が楽しみにしていた
のが付録の絵画だった。ゴッホの「アル
ルのはね橋」や「ひまわり」、ミレーの
「落ち穂拾い」や「晩鐘」などの名画が
厚紙に絵の具の質感豊かに印刷されてい
た。当時としては額に入れて飾っても違
和感のない出来映えだったと記憶する。
その中で一際印象的だったのがルノアー
ルの「イレーヌ・カーン・ダンヴェール
嬢の肖像」であった。少女の美しさと柔
らかな筆致にやんちゃな中学生も疑似恋
愛かと思うほどに圧倒されたのだ。
 岩肌へ夏の少女の力こぶ  三島広志
 先日、名古屋市美術館で開催されてい
るビュールレ・コレクション展でその現
物に対面してきた。館内は人で溢れてい
たが、しっかり見ることができた。しか
し何故かさほどの感激は無かった。その
理由は駅から会場まで街灯や電柱にくま
なくこの肖像が飾られており、食傷気味
であったこと、あまりの人の多さに思い
出がかき消されていたことなどが考えら
れる。だがそれよりイレーヌ・カーン・
ダンヴェール嬢の数奇で悲劇的な人生を
知ってしまったため、中学生の時に抱い
た純粋に可愛いという印象が大幅に修正
されていたからだろう。
無患子の青実や悲恋物語  佐藤鬼房
ルノアールの描いた当時8歳だったカ
ーン・ダンヴェール家の長女イレーヌ
(1872-1963)の肖像画は数奇な運命を辿
る。第二次世界大戦の最中、ナチス・ド
イツに没収されたが戦後、74歳のイレー
ヌに返還される。しかし何故か三年後、
死の商人で印象派のコレクター、ビュー
ルレ(ドイツからスイスに帰化)が競売で
入手しビュールレ・コレクションに収め
られている。現在日本で公開されている
のはこのコレクションの一部だ。
カーン・ダンヴェール家はユダヤ系で
あった。そのためイレーヌの娘ベアトリ
スも二人の孫もアウシュビッツで悲惨な
最期を遂げている。またイレーヌ自身離
婚を繰り返しており、端から見て決して
幸福とは言えない人生を送っている。こ

うした無駄な情報を知ってしまった以上
、あどけないイレーヌの横顔を中学生と
同じ純粋な気持ちで正視できないのは無
理の無いことであろう。
純粋に作品自体を鑑賞するのは実に困
難なことだ。純粋経験と言う哲学用語が
ある。これは反省を含まず主観と客観が
区別される以前の直接的な経験のことだ

今回、思っていたほど感動しなかった
のはイレーヌに純粋に向かい合えなかっ
た自分自身への寂しさでもあったのだ。

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連載俳句と“からだ” 144

連載俳句と“からだ” 144
愛知 三島広志
五十句
 藍生俳句会(黒田杏子主宰)の会員今
井豊と中岡毅雄が共同代表として本年七
月俳句季刊誌「いぶき」を創刊した。「
志を高く、こころを深く」をモットーに
俳句と真摯に向かい合う仲間を募ってい
る。両氏は若いときから俳句界で活躍さ
れ、特に坪内稔典の「現代俳句
」(1976~1985)で知られていた。私も
末席にいて二人を仰ぎ見ていたが「藍生
」(1990~)に創刊から一年遅れて参加
したとき二人も参加しており意外なこと
と驚いた。彼らは坪内創刊の「船団」で
先鋭的な活動をすると思っていたからだ
。それから三十年近い歳月を経て今年つ
いに満を持しての創刊となった。誠に喜
ばしい。
いつからを夕空といふ桐の花 広志
 
 私も「いぶき」に参加したが編集部は
何を勘違いしたのか創刊号に五十句を寄
稿しろという。編集長の滝川直広から手
書きの手紙が届き、大型企画として毎号
一人五十句を掲載しそれを何人かで論評
する、その第一回目を三島にお願いした
いというのだ。これでは華々しい「いぶ
き」丸の出帆も程なく座礁してしまうと
思い、本当に自分でいいのか滝川編集長
に確認した。しかし氏の返事は俳句と真
摯に向き合っている人が真剣に選んだ五
十句が欲しい、有名無名は関係ないとい
うものだった。結局氏の熱意に引き受け
ることにした。
 紫木蓮個を問ひをれば灯さるる 同
 改めて過去の句に対面してみると詠ん
だ吟行地や連衆の顔や声、その時の思い
などがまざまざと想起される。また俳句
のみならず当時の生活や仕事の状況など
、芭蕉の櫻の句ではないがさまざまのこ
とを想い出す。例えば「裸木は天に絡ま
る根の如し」は初めて吟行に参加した二
十代半ばの作。「年輪」主宰橋本鶏二に
同行したときのものだ。若造の作にエー
ルを込めて激賞していただいたことが鮮
明な映像となって想い出され身震いする

 寒星や魂の着る人の肌 同
詠んだとき、あるいは発表したときは
それなりに佳いと思った句が意外に詰ま

らなく感じられることも多くあった。反
対に時空を経て客観的に鑑賞出来るため
別の感慨を抱く句もあった。過去にも何
度か十句二十句を依頼されたことはある
がさすがに五十ともなると重みが異なる
。しかも四十年以上遡行するので人生の
振り返りともなる。特に若いときの俳句
を読み返すとその調べや句意が身体化し
て甦ることに驚く。
こうした感慨の深奥には当然創刊号へ
の意気込みも加味されている。よい機会
を与えられたことに深謝したい。
 
 人ひとりこの世をはなれ石蕗の花 同

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連載俳句と“からだ” 143

連載俳句と“からだ” 143
愛知 三島広志
縁・馬場駿吉先生
 近所の居酒屋で驚くべき縁を得た。紹
介されたのは耳鼻科の医師。しかし偶然
にも馬場駿吉先生(以下敬称略)のご子息
だった。馬場駿吉は名古屋市立大学名誉
教授、元名古屋市立大学病院院長、耳介
欠損再建術の権威であると同時に俳人、
現代美術評論家。愛知県立芸術大学客員
教授で名古屋ボストン美術館の館長。滝
口修平、武満徹、土方巽、寺山修司、荒
川修作、三木富雄などと親交を結んだ名
古屋をはみ出した巨大な文化人である。
 二十年数前、第一回藍生新人賞を受け
た私はその後一年間藍生誌上に「現代の
俳句」という連載を任された。その九回
目に〈薔薇までの距離〉としてとりあげ
たのが馬場駿吉の句集『夢中夢』だった
。「馬場駿吉の第三句集「夢中夢」は刺
激的である。俳句という短い定型詩の可
能性を伝統を断ったところで見事に書き
切ってあるという点で実に刺激的なので
ある」と些かの興奮をもって書き始めて
いる。この句集の存在を教えてくれたの
は当時新聞に舞台芸術の評論を書いてい
たS女史だった。彼女とは仕事の関係の
知り合いであった。これが馬場駿吉との
二番目の縁。最初の縁は馬場駿吉によっ
て舌がんの手術を受け、その後二十年以
上長らえた住職だった。折あるごとに命
の恩人として医師へ感謝の意を述べてい
た。これが馬場駿吉を知った最初の縁。
無論そのご高名はそれ以前から知ってい
た。
 居酒屋との縁でご子息を通じて馬場駿
吉から著書『意味の彼方へ――荒川修作
に寄り添って』を頂いた。荒川は名古屋
出身の前衛芸術家、養老天命反転地で知
られる。馬場は荒川の作品は「観る者に
“考える”という行為をいや応なく要求
してくる」と解く。それは彼の芸術観が
「現実に眼に映っている存在物のあらゆ
る属性をはぎとって、名付けられた以前
の状態にもどしてしまう思考のモデルを
つくること」からだという。そこから自
らも「物と物との関係あるいはその衝突
に立ち合うことによって得られる詩的体
を、極めて短い定型の中で言いとめよう
とする俳句というものの存在について考
え始めていた」と説く。荒川の芸術は「
作品の背景についての理解を求めてはい
ない。作品を体験した人が、以前の自分
から少しでも変化したと実感してくれれ

ばそれでいい」と極めて身体的だ。
彼の創案による養老天命反転地は重力
に支配された地球上に住む我々の身体に
築かれた垂直に対する安定した感覚や生
理機能を破壊し「一時的には身体の平衡
調節や空間認識がおかしく」なるという
。これはまさに目眩であり、馬場の専門
とする耳鼻科の領域なのだ。これもまた
縁と呼べるのではないか。
黄砂降る街に無影の詐欺師たち 
馬場駿吉

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連載俳句と“からだ” 142

連載俳句と“からだ” 142
愛知 三島広志
火取虫
 藍生の連衆I女史とFacebookで交流し
ている。ある時彼女は珍しい蛾の写真を
載せた。それはサラサヒトリといって歌
舞伎の隈取のような紋様を持っている。
漢字で書くと更紗灯蛾だ。更紗はインド
更紗に代表される細密で色鮮やかな紋様
が美しい布地だ。この蛾もそれに負けな
い美しさを誇っている。灯蛾は火取虫で
火に集まる蛾の総称。つまりこの蛾は更
紗の様に美しい蛾というまことに着物好
きのI女史に相応しい蛾である。
 女史とは蛾の名前にある火取りから次
の有名な俳句の話題となった。
 酌婦来る火取虫より汚きが 高浜虚子
この句は現在ならまず発表されないと
断言できるが、その時代(昭和九年)を
考慮しても人を見る目に優しさが感じら
れない。しかしこの句は多くの歳時記に
掲載されているのである。つまり社会的
に容認されているのだ。試みに手を伸ば
して本箱から取り出した初版1959年の平
凡社俳句歳時記(富安風生編集)にも載
っている。こうした蔑視に対する認識が
現代とかなり異なるのであろう。
セクシャルハラスメントという言葉が
作られたのは1970年代のアメリカである
。Harassmentは嫌がらせ、イジメ、苦し
める、悩ませるなどの意味がある。セク
シャルハラスメントは性的嫌がらせと呼
ばれる。それ以外にも権力ある側が弱者
に対して行うパワーハラスメント、教育
現場でのアカデミックハラスメント、人
格や尊厳を傷つけるモラルハラスメント
、医療現場でのドクターハラスメントな
ど様々な局面で見られる。気をつけたい
のは相手が不快に思い、尊厳を傷つけら
れた、脅威を感じたならハラスメントと
なるという極めて主観的なものでそのこ
とがハラスメントする側に認識が生まれ
難い困難さを生んでいる。
虚子の時代、もしかしたらそのように
表現されてもその酌婦(料理屋などで酒
の酌をして客をもてなす女性、時には売
春も行ったらしい)はそれをハラスメン
トと認識しなかったかも知れない。「女
だてらに」という言葉があるように当時
の社会が男尊女卑を当然のこととして受
け入れていたからだ。

清水哲男は彼の有名ブログ「増殖する
俳句歳時記」で「自分の不快感をあから
さまに作品化するところなど、やはり人
間の器が違うのかなという感じはするけ
れど、しかし私はといえば、少なくとも
こういう人と『お友達』にはなりたくな
い」と書いているが、私も同感で常に相
互主観性を維持したいものと願っている

 自転車の灯を取りにきし蛾のみどり
 黒田杏子

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連載俳句と“からだ” 141

連載俳句と“からだ” 141
愛知 三島広志
詩と俳
 若い頃故平井照敏の『槇』に参加して
いた。氏の評論に感銘を受けたからだ。
一つは沈黙の詩ということ。俳句の魅力
は「語らないところに、おのずから満ち
てくるものが、短詩型のいのちなのだ」
という短さの恩恵への共感。ことばを用
いないからこそ「水墨画の大きな余白」
が生じ「無限の読みの可能性」が生まれ
ると俳句の短さの深さを解いた。(カギ
括弧内は『有季定型 現代俳句作法』飯
塚書店より)
 今一つは俳句の中に潜む詩と俳(新と
旧)という相反する二つの要素を用いた
弁証法的俳句史観だ。「子規は新を求め
、俳句を文学にしようとしたが、俳句分
類を続け、俳を理解するバランスのとれ
た革新者であった。(中略)子規の新追求
の面のみを求めて急進し(中略)自爆する
のが碧梧桐であった。(中略)俳の方向に
ひきもどしたのが虚子で、その指導力に
よって、俳壇を『ホトトギス』一色に染
めるにいたるが、それが停滞保守化する
と、俳句に芸術性を求めて『ホトトギス
』を離脱するのが秋桜子であった。(『
蛇笏と楸邨』永田書房」より)。
これらの俳論に共感して平井門下に入
門。だが自分自身の中で俳句へ向かうベ
クトルが低下し、仕事の多忙も加わって
二年ほどで退会してしまったのだった。
平井の言う詩と俳は一人の作家の中に
もある。同時期に存在することもあれば
年齢と共に変化することもある。
雪の日のそれは小さなラシャ鋏 
中岡毅雄
 これは中岡の代表作だ。雪と鋏で何故
これほどの静謐で深みのある世界が描け
るのだろう。冷え冷えとした中にも温か
みのある雪と極限まで冷徹な鉄。あるい
はラシャ鋏を包む深い雪の闇。あらゆる
説明を拒絶したこの句に俳の極致を見る
。氏には以下の句もある。こちらは文面
通りのみずみずしい詩の世界と思う。
水馬いのちみづみづしくあれよ
 能村登四郎という魅力的な俳人がいる
。没後ますます光を増す作家だ。若いと
き青春の孤独やアンニュイを現代詩のよ
うな色合いで詠んだ句が有名な

春ひとり槍投げて槍に歩み寄る
だ。中七の字余りが若者の鬱屈した心情
を余すところ無く表現している。
霜掃きし箒しばらくして倒る
この俳の句を散文で説明することは無意
味だ。俳は冒頭に述べた「水墨画の大き
な余白」にあり、読者の心に湧き上がる
もの。十七文字の中には無いのだから。

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連載俳句と“からだ” 140

連載俳句と“からだ” 140
愛知 三島広志
出会い
 極論を述べると人は出会った時、関心
を抱くか無関心かに大別される。そして
関心は究極には戦うか愛するかである。
『日本書紀』によると相撲の起源は垂
仁七年(紀元前23年)旧暦七月七日、天
皇の命で出雲の野見宿禰と大和の當麻蹶
速が戦ったものとされている。「朕聞
當麻蹶速者天下之力士也」ということで
野見宿禰を招いて戦わせた結果「各擧足
相蹶則蹶折當麻蹶速之脇骨亦蹈折其腰而
殺之」と残酷ながら野見宿禰の勝利とな
った。今日の組み合う相撲ではなく、殴
る蹴るも認められた何でもありというル
ールだろう。古代オリンピックにパンク
ラチオンという競技があった。打撃技と
組技を組み合わせた格闘技で、試合の勝
敗は相手がギブアップすることだが、多
くの場合それは死亡を意味したという。
相撲の起源と酷似している。いずれにし
ても人は出会うと究極には死を賭して戦
わねばならないこともあるのだ。しかし
勿論正反対の出会いもある。
逢ひ見てののちの心にくらぶれば昔は
ものを思はざりけり   権中納言敦忠
人を恋する心だ。恋愛的出会いをすると
人は至高の喜びに支配され、生まれてき
たことや出会いの縁に驚喜する。この悠
久の宇宙の中で奇跡的な時間軸と空間軸
の交錯があって二人は出会う。当然恋愛
は古今東西様々な芸術のモチーフとなっ
た。だが同時に恋愛は苦しさも伴う。相
手がある上に自分の周囲との関係性も桎
梏となる。そのままならない深い感情が
胸を締め付け食事も摂れないほどの苦し
さに支配される。それは喜びであると同
時に某かの罪悪感まで伴う。
恋は愛とは異なる。愛はアガペのよう
に万人を等しく愛する感情だが、恋は深
層にエロスやリビドーを有し生への根源
的な力であると同時に奪いたい、独占し
たいという欲の感情でもあるからだ。そ
して激しい恋愛感情はときに死への願望
であるタナトスに支配される。このアン
ビバレントの中でもがくのが恋愛とも言
えるだろう。恋の最も歪な行動がストー
カー行為となりしばしば悲惨な結末を招
くことは知られている。
出会いは喜びと破滅を内包している困
難な事象なのだ。なお冒頭の野見宿禰は

後年残酷な殉死に代わり埴輪を祀ること
を創案し、土師臣(はじのおみ)の姓を
与えられとされている。ちなみに相撲が
秋の季語となるのは野見宿禰と當麻蹶速
の天覧相撲が旧暦七月に行われたことに
由来する。無論これらは伝説である。
やはらかに人分わけゆくや勝角力
高井几董
逢ふことも過失のひとつ薄暑光
大高翔

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連載俳句と“からだ” 139

連載俳句と“からだ” 139
愛知 三島広志
敵わない俳句
 俳句は共通言語で書かれることで保存
され、伝達される。Aの創造した俳句の
世界をBは言語に即して解釈し映像を描
く。さらにBはその映像から新たなBの
世界を想像する。これが鑑賞だ。しかし
実際には両者の描く世界は似て非なるも
のである。同じ林檎を見ても林檎への思
いは両者の体験や知識によって異なる。
こうした齟齬は正確に伝えることを旨
とする論文でさえも生じる。ましてや俳
句のような短詩では両者間によい意味で
の齟齬が生じそれが鑑賞を豊かにしてく
れる。まさに虚子の言う「選は創作なり
」である。
さらに俳句は意図的に日常語を用いな
がら日常語とは異なる俳句独自の表現を
試みる。言語を非日常的にずらすことで
詠み手と読み手の間の振幅を拡げる。そ
れによって鮮度を保っている敵わない俳
句が幾つもある。例えば以下の句達。
冬の水一枝の影も欺かず 中村草田男
冬の水の堅い透明度を「欺かず」という
擬人化一言で書き尽くしてある。
谺して山ほととぎすほしいまま
杉田久女
ほととぎすの激しく啼く様を「ほしいま
ま」と表現することで臨場感が生じる。
バスを待ち大路の春をうたがはず
石田波郷
「うたがはず」によって春の到来の喜び
、驚きが身をもって感じられる。
緋連雀一斉に立つてもれもなし
阿波野青畝
緋連雀が去ったあとの空白を「もれもな
し」と示すことで緋連雀がより一層鮮明
になる。
鳩踏む地かたくすこやか聖五月  
平畑静塔
地面を「かたく」は常套だが「すこやか
」とはなかなか言えない。聖五月の心地
よさが足下から伝わってくる。
鶫死して翅擴ぐるに任せたり   

山口誓子
昔、鳥を飼っていた。数羽の落鳥を経験
した身にはこの「任せたり」のリアリズ
ムが強烈である。
 先達の駆使した表現は俳句の生命力を
鮮やかに維持している。後に続く俳句作
家の手本となる。しかし、二度と用いる
ことを許さない屹立した山となって「敵
わない」と感服する他はないのである。

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連載俳句と“からだ” 138

連載俳句と“からだ” 138
愛知 三島広志
盃と味覚
 近所に開店したビストロで面白いグラ
スに出会った。オーナー曰く「飲み口が
楕円形で口を当てる位置によって味が変
わるのです」。なるほどカーブの鋭いと
ころと緩やかなところではワインの味が
異なる。その理由はよく分からない。味
は味蕾を通じて脳へ伝えられるが、その
メカニズムはなかなか複雑である。しか
し経験的に器で酒の味が変化することは
実感できる。ワイングラスに様々な形が
あるのも、そのワインを味わうために最
適な形状を色々と考慮した結果だろう。
 うつしみは涙の器鳥帰る

西村和子
 日本酒を飲む器には平盃、ぐい飲み、
お猪口などがある。店によっては好きな
器を選ぶことができる。しかし逆に一刻
な店主は同じ器を推奨する。何故かとい
うと器で味が変わることを体験的に知っ
ており敢えて同じ器を用いて酒自体の味
を確認して欲しいと言うのだ。確かに利
き酒では一般に白い磁器の猪口で底に青
い丸が二重に描かれた器を共通に用いる
。同じ器で酒の味と色を利くためだ。
 様々な形の器を用いて酒を嗜んでいる
時ふとあることに気づいた。猪口で呑む
ときは器を持つ腕の肘はほぼ真下に垂れ
る。腋を自然に締めた姿勢となる。見て
いて行儀が宜しい。ワイングラスも同様
で、脚を持ってもボディを持っても腋は
自然に締まる。それに対して平盃は酒を
零さないように飲み口に対して腕が平行
に位置する、即ち腋を大きく開く姿勢と
なる。戦国武将が酒を飲み交わすように
堂々とした風情だ。しかし婚礼の三三九
度の場合、平盃を両手で捧げるように頂
くので腋が締まり上品だ。
ことほぐに古酒も新酒もなかりけり
上田五千石
 飲み口の形状、厚みだけでなくこうし
た姿勢も味覚へ影響を与えることは想像
に難くない。酒の栄養学的、化学的分析
が一定の数値を出したとしてもさらに器
の物理的形状や素材の質感、それを持つ
手の感覚、姿勢、呑むときの首の角度な
どさらに複雑な要素が味覚に影響を与え
ることだろう。その上に誰とどこで呑む
かも大きなファクターとなる。これは酒

に留まらない。栄養のある美味しい料理
があったとしてそれを子どもが一人で淋
しく摂取するのと、粗末な惣菜でも家族
との語らいの中で食すのでは味わいが異
なる。何故なら人は社会的人間という関
係性の中で生きている生物だからである

 酒を嗜みながらこんなことを考えてい
てはなかなか酩酊できないが、実は私は
酒の味覚が好みで、本当は酔わない酒を
求めているのだ。
酒のめばいとど寝られぬ夜の雪 芭蕉

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連載俳句と“からだ” 137

連載俳句と“からだ” 137
愛知 三島広志
地貌季語
 我が国の教育現場では日本の言葉を「
日本語」と呼ばずに「国語」と称してい
る。しかし、イギリスやアメリカなど英
語圏国家では国の言語を「英語」と称し
「国語」とは呼ばない。「国語」は明治
時代に作られた和製漢語である。江戸時
代においては諸藩の言語つまり方言が当
然であった。しかし維新後、統一国家と
なってからは方言という非統一的言語で
は極めて不都合であった。特に軍隊では
意思疎通が正しく伝わらないと危険な状
況に陥るという困難な現実に直面した。
そこで明治政府は人工的に標準的言語を
定め、それを教育の場で指導すると同時
に国の思想もそこに加味した歴史がある

 ところが当時の国語では語彙に不足が
あり十分に思いが伝わらないという欠陥
が指摘された。そこで1918年(大正七年
)鈴木三重吉が創刊した『赤い鳥』は子
ども達の綴り方において方言の使用を推
奨していた。また三重吉からは無視され
たが宮澤賢治は自らの作品が将来国際的
に評価されることを想定し、登場人物に
ジョバンニやカムパネルラ、グスコンブ
ドリなど外国の名前を用いると同時に、
地域に根ざした方言の作品も書いている
。「鹿踊りのはじまり」の会話は方言で
貫いているし、鹿踊りをテーマにした「
高原」という詩は方言で書いている。
海だべがど おら おもたれば/やつぱ
り光る山だたぢやい/ホウ/髪毛 風吹け
ば/鹿踊りだぢやい
さて、前置きが長くなった。手元に宮
坂静生著『地貌季語探訪 季語体系の背
景』(岩波書店)という労作がある。こ
の好著の「はじめに」には「俳句を作る
上で、季題や季語に関わるときには、季
題や季語を作り手にとり生きたものとし
て自分の息遣いに馴らし、自分の季題や
季語にして初めて動きが生まれ、生気が
蘇る」と書かれている。そして「自分の
息遣い」とは「私という身体のことばを
介した生者と死者との語り合い」と考え
る。何故ならそれは単なる風土を超えた
「昭和の戦中、戦後への反省を合わせ、
生者と死者とともに生きる『地貌』を探
求する視点こそ歴史を形成する本質的な
命題と考えている」からだという。
わたしはこの「はじめに」だけで氏の
時空を超越した思索に圧倒された。氏は

現地に立ち、地貌から湧き出る言霊を感
受し言語化する。それが氏の俳句となる
。そこには氏の身体を介して死者の思い
が噴出してくる。俳句という短い形式は
それを季語と同時に受け止めることが可
能である。否、それでなければ俳句では
ないとも言える。信州にあって長年風土
と俳句を考察してこられた宮坂氏のこの
本は是非手にして読んで頂きたい。
氏が書中紹介している句の中から先ほ
どの賢治繋がりで一句。
鹿踊角が銀河に触れて鳴る 円城寺龍

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連載俳句と“からだ” 136

連載俳句と“からだ” 136
愛知 三島広志
雲なつかし
 『雲なつかし』は『春望』『夏安』『
花束』に継ぐ岩田由美の第四句集である
。岸本尚毅による帯文「いい句もある
。」は簡潔で話題となった。
 岩田由美は角川俳句賞、俳人協会新人
賞など華麗な受賞歴を誇っているがその
句の印象は極めて平明静謐である。何気
ない日常を素直な言葉で奇を衒うことな
く詠み上げる。何より世界と対峙する姿
勢が静謐である。深見けん二は『花束』
の栞で「めつむればくまなく春の水の音
」という句を例に挙げ「日常の非凡」と
評し、それが可能なのは「季題の無限の
力に託し」ているからだと述べている。
 岩田由美の世界は平明静謐なだけでは
ない。何故なら深見の言うように「日常
の非凡」が詠まれているからだ。
青簾かけてこの世に内と外
日常の光景、普段の窓に日除けの青簾を
かける。しかし青簾をかけた瞬間、窓の
内と外、家の内と外に結界が生じる。作
者はこの時この世に内外の境あることを
発見する。日常が孕む恐ろしい一瞬を素
早く書き留めるところに彼女の怜悧な眼
差しが見て取れる。
 世界を閑かに丁寧に眺める姿勢は時間
の経過の中に思いを留め続けることにも
なる。
 花見より帰る近所の夕桜
花見から日常に戻ったある種の安堵感が
伝わる句だがこの桜は『花束』所収の
家からも見ゆる桜に歩み出づ
と同じ樹ではないかと気にかかる。
 蚊柱のそのまま風にさらはるる
蚊柱を一塊のものと把握する捉え方がお
もしろい。これは『花束』の
 春なれや水の厚みの中に魚
で水を厚みのある一塊のものとして大掴
みした有り様と近似している。作者の認
識力に潜む意外な骨太さを感じさせる。
 前句集『花束』との比較に終始してし
まうが前句集の
緑蔭の幹といふ幹濡れてをり
に対して『雲なつかし』にも
 緑蔭や梢つぶさに水鏡
という類似句がある。両句の間には数年
という時が流れているだろう。時を超え
て本質に迫ろうと緑蔭に佇む作者の執念

が伝わってくるようだ。ここに作者の非
凡な深層が見え隠れする。
夫岸本の帯文「いい句もある。」の「
も」は岩田由美の日常心の深奥に潜む非
凡性をさりげなく突いているのではない
かと筆者は勝手に頷くのである。
「あとがき」が胸を打つ。「さまざまな
ことで限界を感じることも多くなった。
しかしなお、伸びていくもの、深まって
いくものを身の内に感じる。俳句もその
一つだ」。蓋し名文であろう。

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連載俳句と“からだ” 135

連載俳句と“からだ” 135
愛知 三島広志
64歳
 年が明け気がつくと64歳になっていた
。元日の生まれなのだ。この年になって
も気持ちはまだまだ若いつもりだが身体
はそれなりに経年劣化し、外見も年相応
に輪郭が緩んできている。
60歳と言えば論語でいうところの耳順
である。
子曰、吾十有五而志乎學、三十而立、四
十而不惑、五十而知天命、六十而耳順、
七十而從心所欲、不踰矩
志學、而立、不惑、知名、耳順、従心と
それぞれの年齢に応じた人格を持てとい
う孔子の教えだ。耳順は人間60歳になれ
ば修養がすすみ、聞くところ、理にかな
えば何ら障害無く理解出来るという意味
だ。臍曲がりで理屈をあれこれ述べる自
分には遠い境地である。
64歳という年齢は嫌いではない。何故
ならThe Beatlesに「When I'm sixty-
four(64歳になっても)」という名曲が
あるからだ。
When I get older losing my hair
Many years from now
Will you still be sending me a
Valentine 
Birthday greeting, bottle of wine
妻(恋人?)に対して64歳になっても僕
を必要としてくれるかい(Will you
still need me When I'm sixty-four)
と問いかける。若者が遠い将来を思って
歌うLOVE SONGだ。そしてその時は当然
恋人も年老いている。
You'll be older too
なんとも微笑ましいではないか。
 ところが井上陽水に「人生が二度あれ
ば」という65歳と64歳の両親を思いやる
息子の歌がある。The Beatlesの歌と同
じ年齢だが全く異なる歌となっている。
父は今年二月で六十五/顔のシワはふえ
てゆくばかり/仕事に追われこのごろや
っとゆとりが出来た//父の湯飲み茶碗は
 欠けている/それにお茶を入れて飲ん
でいる/湯飲みに写る自分の顔をじっと
見ている/人生が二度あれば この人生
が二度あれば

 ここに詠まれているのは人生にくたび
れた老人の姿でしかない。自分がその年
齢になってみると決して人生は欠けた茶
碗とも思わない。だが若い世代から見る
と六十代は人生に疲れ、たんたんと日々
を費やしているように思えるのかも知れ
ない。確かに自分もそのように親や祖父
母を見ていたと記憶する。同じ年齢も見
方によってかくも異なるのは面白い。
 紫陽花の老残に雨降り止まず 広志

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連載俳句と“からだ” 134

連載俳句と“からだ” 134
愛知 三島広志
循環
 世界は洋の東西、自然科学や人文科学
などのジャンルを問わず循環に満ちてい
る。経済も消費と再生産、廃棄物もリサ
イクルされることでいのちを甦らせる。
漢方医療の健康観で重要視されている
のは巡りである。体内に気血水が過不足
無く存在し、滞りなく巡るなら健康であ
るとする。また環境と身体の間で食や空
気を摂取排泄することでいのちが保たれ
る。実は身体に限らずあらゆる環境は循
環することで維持されているのだ。
 気象は主として風の大循環からもたら
される外気の状態をいう。風の大循環は
赤道と極の温度差と地球の自転に起因す
る。したがって天気予報は大循環と地域
の気圧などから推測することになる。
 文学の重要なテーマである死と再生、
これも循環のひとつだ。宮澤賢治の「水
仙月の四日」では雪童子が吹雪で死にか
けた少年をこっそり助ける。作品の中に
は枯れた冬の疎林に花を輝かせる宿り木
が象徴的に用いられている。
 埋めたての水子を掘りに雪をんな
木内彰志
 多くの宗教では輪廻転生を説いている
。これも循環である。死後、天国や極楽
など別の世界で暮らすという考えや、再
びこの世に生まれ変わるという説もある
。これは人類に共通する死への畏怖から
導かれた考えであろう。
 日常を離れ聖地へ巡礼し、再び日常へ
戻るのは宗教者にとって重要な行いだ。
純粋な修行としてだけでなく物見遊山と
しても多くの宗教に見られる。
 遍路より戻りて網を編めるかな
安藤林蟲
 道を求める古人もその教えに循環を説
いている。例えば芭蕉は
高く心を悟りて俗に帰す
発句の事は行きて帰る心の味はひなり
と留まらぬこと、居着かぬことをしばし
ば説いていることが弟子の書から伺われ
る。また千利休は利休百首で初心に返る
必要性を
稽古とは一より習ひ十を知り
十よりかへるもとのその一

と教え、常に自身を初心の目で相対化す
るよう促している。
 元々私たちの身体は環境を構成する分
子から形成され、いつかは環境へ戻る。
身体は地球が出来る以前の遙か何百億光
年から届く星の光の中に存在していたの
だ。生涯も歴史も宇宙も全て環境であり
我々はその循環の中に存在している。目
先のことは過渡の現象に過ぎない。
名月や池をめぐりて夜もすがら 芭蕉

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連載俳句と“からだ” 133

連載俳句と“からだ” 133
愛知 三島広志

 仕事を終え街へ出ると風はすっかり秋
となっていた。寂寥感をともなう風に吹
かれるといつも若山牧水の短歌を思い出
す。牧水二十代の作品だ。
 白玉の歯にしみとほる秋の夜の酒はし
づかに飲むべかりけり
 おそらく全国で多くの酒飲みがこの歌
を脳裏に酒をしみじみ嗜んでいることだ
ろう。しかし、酒が「歯にしみとほる」
という表現は単なる感傷ではなく、現実
には心の痛みを受け止めながら痛飲して
いると読める。したがって「しづかに飲
むべかりけり」と自らを戒めているのだ
。牧水は酒で体を病んだとされ四十三歳
という短い生涯を終えている。
 酒の評価は毀誉褒貶相半ばする。「百
薬の長」とも「きちがい水」とも言われ
る。知り合いの化学者は酒即ちアルコー
ルを毒と一蹴する。本人は毎晩ビール大
瓶4本、赤ワイン1瓶呑むという大酒飲
みにも関わらずだ。確かに人類は古来か
らアルコールを衛生管理や食品保存に利
用してきた。また、飲料としても親しん
でもきた。アルコールが利用できとは量
のコントロールが上手に出来ているとい
うことだ。それを多量に呑めば体に悪い
毒となる。そもそもアルコールが殺菌に
用いられるということは生物を殺傷する
能力があるということだ。その機序は以
下のようだ。細胞膜の脂質を溶かし、細
胞内のタンパク質を変性させる。さらに
蒸発するとき細胞内の液体成分も一緒に
蒸発する。医学的には70%に希釈したと
き最も殺菌作用が強いと実証されている

 では何故呑むと酔うのか。エチルアル
コールが脳の高次機能を抑制する。そこ
でストレスが抑制され心地よくなるのだ
。しかし、同時にアルコール代謝の副産
物アセトアルデヒドが生成され嘔吐など
の不快感を生じ、二日酔いの原因ともな
る。
 「酒は百薬の長」と呼ばれる理由はな
んだろう。これは人類が古来からアルコ
ールの抽出作用を利用していたことによ
る。医の旧字「醫」には矢と酒が見られ
る。これは医療が矢による瀉血と薬酒で
行われていたことを示す。つまり酒とは

薬草をアルコール抽出した薬酒のことな
のだ。今日でも世界中で薬用酒が市販さ
れている。またジンというカクテルに用
いられるスピリッツも本来薬酒であり、
有名なジン・トニックというカクテルの
トニックは活力を与えるという意味だ。
 人類はアルコールを上手に利用してき
た。飲酒も味や香りを嗜むという付き合
い方をすれば体を傷めたりきちがい水に
ならずにすむだろう。難しいが(汗)。
 酒好きに酒の佳句なしどぜう鍋
 秋元不死男

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連載俳句と“からだ” 132

連載俳句と“からだ” 132
愛知 三島広志
お盆
 お盆は仏教に基づく祖先の恩や霊に感
謝し供養する国民的行事である。神道の
神に感謝する正月と対をなす重要な年中
行事の一つだ。しかしお盆は中国で作ら
れた『盂蘭盆経』を由来とするもので親
孝行を説く儒教の教えでもある。
日本では推古天皇(606年)が斎会を
設けたのが初めてとされている。次いで
斉明天皇(657年)が盂蘭盆会を設けた
と記されている。
女童らお盆うれしき帯を垂れ
富安風生
 冒頭お盆が単なる先祖供養ではなく親
孝行を説くものと書いたがそれは『盂蘭
盆経』、『報恩奉盆経』などに説かれる
目連尊者の餓鬼道に堕ちた亡母への供養
の伝説に由来する。安居の最中、過去現
在未来を見通す神通力を持つ目連尊者が
亡くなった母親の姿を探すと、餓鬼道に
堕ち飢餓に苦しんでいたので、水や食べ
物を差し出したが、口に入る直前に炎と
なって、母親をより苦しめた。釈尊に教
えを乞うと安居の最後の日に比丘に食べ
物を施せば、母親にも届くだろうとのこ
とだった。比丘に布施を行うとその喜び
が餓鬼道に堕ちている者たちにも伝わり
、母親の口にも入ったという説話による
。そこでお盆を施餓鬼と呼ぶ。我欲に生
きた人が死後落ちる地獄、それが餓鬼道
だ。子どものことを餓鬼と呼ぶのはいつ
もおなかを空かせて食べ物を乞うからだ

新盆や死者みな海を歩みくる
  小原啄葉
                  
  
 死後の世界を想定するのは様々な宗教
や民族を超える普遍的な考えだ。実際に
死後の世界があるかどうか、それはここ
では問わない。しかしそうした世界を想
像したい気持ちは分かる。人間は身体と
精神が直接している存在だ。心と体が不
即不離、一如として存在している。その
一方である身体が亡くなったあと、その
心、精神はどうなるのか。これは重要な
問題だ。死ねば無に帰すと結論づけるこ
ともできるがそこまであっさりと割り切
れないのが心である。宗教や芸術はその
心の惑いを埋める、あるいは意味づける
精神的営為だ。

 先祖を供養し謝するという行為が今の
自分を肯定することになり、自他共に許
すという大らかな社会を産むとすればお
盆は偉大な装置となる。今年も大勢の人
が車や新幹線などを利用して故郷へ帰る
。帰郷を心待ちする親と、数日故郷で寛
ぐ子どもや孫、それを彩る高校野球。さ
らに終戦の鎮魂。かくして日本の夏はお
盆を中心に感謝、陳謝、反省など魂を見
つめる偉大な営為となっているのだ。
またひとり顔なき男あらはれて暗き踊
りの輪をひろげゆく 岡野弘彦

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連載俳句と“からだ” 131

連載俳句と“からだ” 131
愛知 三島広志
認知症
 医療介護福祉の世界で「2025年問題」
と懸念されている重要事項がある。2025
年は団塊の世代が後期高齢者になる年だ
。これまで日本の社会を支えてきた団塊
の世代が高齢となり医療機関での受療機
会が増え、介護する立場から介護される
側に回る。年金は既に納める側から受け
取る側になっている。
今後、高齢者層は人口が増えると同時
に長命になる。さらに彼らを支える若い
労働世代が減少している。高齢者を支え
る社会基盤は極めて弱いのだ。
こうして2025年にやってくる問題をど
う乗り越えるのか、今何を準備しなけれ
ばならないのかが最大の懸案事項なのだ
。医療や福祉の社会保障費の捻出、支え
るマンパワーの確保、外国人労働者の積
極的導入など問題は山積みである。
 生身魂七十と申し達者なり 正岡子規
                  
      
 高齢者に関わる問題の中で認知症も重
要な懸案である。認知症になるとまとも
な社会生活を送ることが非常に困難とな
り周囲も振り回され疲弊する。放置する
と重大な社会問題が発生する恐れもある

ではそもそも認知症とは何だろう。世
界保健機構によると「認知症は、脳疾患
による症候群で、慢性または進行性であ
ることが多く、記憶、思考、見当識、理
解、計算、学習能力、言語、判断などの
複数の高次大脳皮質機能にしょうがいが
発現するが、意識は影響を受けない」と
されている。認知症は原因が特定された
病気ではなく症状の総合体である症候群
である。具体的にはアルツハイマー型、
脳血管性型、レビー小体型がそれぞれ
60%、20%、10%、それ以外が10%とさ
れている。いずれにしても認知症とは一
度正常に発達した脳が器質的脳障害によ
り知能が不可逆的に低下した状態である

柿食ふや命あまさず生きよの語 
石田波郷
具体的な症状は中核症状と周辺症状に
分類される。中核症状は記憶障害、見当
識障害、判断力低下、実行機能障害であ
る。それに対して周辺症状は妄想、うつ

、無気力などの精神症状と徘徊、興奮、
攻撃、暴力、暴言などの行動異常を示す
。現実問題として周囲を振り回すのはこ
の周辺症状である。徘徊による電車事故
や認知症運転手による自動車事故など社
会的問題となる。2025年には65歳以上の
3人に1人が認知症もしくはその予備軍と
目されている。これは当人やその家族だ
けの問題ではなく社会全体の問題である
。これからを生きる者として、支える側
、支えられる側を問わず考慮していかな
ければならない。
万緑の底に棺桶用の樹よ

櫂未知子

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連載俳句と“からだ” 130

連載俳句と“からだ” 130
愛知 三島広志
存在者 金子兜太
 手元に『存在者 金子兜太』(藤原書
店)という分厚い本がある。『証言・昭
和の俳句』(角川選書)や『語る 兜太
』(岩波書店)などに続く黒田杏子によ
る編著だ。
 朝光の山百合生きるとは死なぬこと
 金子兜太の存在は現代社会において俳
壇を超え広く分厚く影響している。現今
の複雑な国内外情勢にあって兜太がいる
ことの安定感、その存在は頼もしい。そ
の象徴が「アベ政治を許さない」という
反政府デモを行う人たちが手にしている
揮毫だろう。金子兜太の筆によるものが
世間に流布している。これは彼の過酷な
戦争体験が書かせたものだ。二度とあの
過ちを犯してはいけないという強い信念
と戦後の労使活動に専念した社会への生
涯一環した正義感の表れだ。
ふるさと秩父母とおおかみの声の夜と
『俳句』2017年1月号には先の「ふる
さと」を含む七句の後に「物騒だ、と庭
に出て、落着かない冬空を眺めて、妙に
地球全体の動向に胸騒ぎしていることが
多くなった。(中略)安定した平和が欲
しい」と述べている。まさに兜太は兜太
を生きているのだ。
 
また作家のいとうせいこうとともに選
を行っている『中日新聞』『東京新聞』
の「平和の俳句」も彼の発案に基づく。
 戦さあるなと逃げ水を追い野を辿る
 
 兜太の存在は今日社会にあって揺るが
ない風鎮のようである。兜太の存在感が
世の中に受け入れられているということ
は如何にその個性が今日社会にとって重
要かを示している。
 曼珠沙華どれも腹出し秩父の子
 霧の村石を投らば父母散らん
 彼の重厚な存在感は本人も語っている
ように故郷秩父の風土、苛烈な戦争体験
、弱者への共感から始めた労使闘争と職
場での不遇、そして二度と戦はすまいと
いう恒久平和への強い思いが多くの人を
揺り動かしているからだ。さらにその人
生の奥で通奏低音のように鳴り響かせた

俳句への情熱。
 水脈の果炎天の墓碑を置きて去る
 銀行員等朝より蛍光す烏賊のごとく
 暗黒や関東平野に火事一つ
 編集者黒田杏子はこの本の壮大な宇宙
の中の所々に現れて道標のようにささや
かなコメントを述べている。しかしその
謙虚さ故、彼女の存在感もまた兜太同様
圧倒的である。
 (掲句は全て金子兜太先生の作品)

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連載俳句と“からだ” 129

連載俳句と“からだ” 129
愛知 三島広志
言葉の力
 二年ほど前、初めての蕎麦屋へ行くた
めに知らない町をうろついていた。ある
寺院の前を通ると塀越しに大きな木札が
見え、そこに次の言葉が書かれていた。
 人生は倒れたところからしか立ち上が
れない          市堀玉宗
言葉の重みに深く感銘、共感すると同時
にその名前に驚いた。市堀玉宗師は禅僧
であるが高名な俳人でもある。しかもお
会いしたことはないがFacebookで繋がっ
ている。そこで早速mailをして木札のこ
とをご存じか、市堀師ゆかりの寺か尋ね
てみた。その返事はご自身には面識のな
い寺であること、その言葉はブログに書
いた文章の中の一説であり、おそらくそ
の寺の住職がそれを何か読んで書いたの
だろうということだった。
 ネットで調べてみると師は度々この言
葉を書かれている。ご自身の能登での震
災体験、およびそこから思いを寄せる東
北の被災者への心からのエール。いくつ
かの文章の中に「倒れたところからしか
立ち上がれない」と書かれている。これ
は師の到達した境地から生まれた言葉か
、禅宗に伝わる言葉なのかは門外漢の私
には分からない。しかし、言葉を用いる
にはそれだけの格が必要だろう。金言を
ちらつかせてもそこに経験から湧き上が
る重みが乗らないと薄っぺらい話となる
。言葉を書いた市堀師もたまたま通りか
かったお寺の住職も言葉の重さに深く共
感したからこそ言語として世に発してい
る。そしてそれを感銘して受け取る衆生
が居るわけだ。
 実はこの言葉のことはすっかり忘れて
いた。ところが先の件を知っている知人
が最近急にこの言葉ことを語り出したの
で私も改めて思い出したのだ。
知人曰く、「あの言葉に出会った頃、
家族である問題があった。辛かった。し
かしどう足掻こうと誰かがどこか楽なと
ころへ連れて行ってくれて、そこで立ち
上がるなんてことは出来ない、やはり倒
れてところからしか立ち上がるしかない
んだと思った。そして今、自分の健康問
題で苦しんでいる。でもやはり同じこと
。倒れたところからしか立ち上がれない
。そう考えると諦めるというか仕方ない
というか、やはり倒れた今、此処から頑

張って立ち上がるしかないんだよね」。
この吐露を聞いて私も深く思い至ること
があった。
市堀師は今年の3月10日、東北に思い
を馳せやはりこの言葉を述べておられる
。「地に倒れ、空に倒れ、海に倒れ、自
に倒れ、他に倒れ、生に倒れ、死に倒れ
る人間。そしてその倒れたところからし
か立ち上がれない人間」
http://72463743.at.webry.info/201703
/article_4.html

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連載俳句と“からだ” 128

連載俳句と“からだ” 128
愛知 三島広志
血液脳関門ふたたび
(2014年9月号第95回にも脳関門を書いている)
生命体は実に巧妙にできている。骨模
型を眺めていると、骨の表面に神経や血
管が通る溝があり、関節の付近には腱が
付着しやすいような粗面もある。
骨の様に具体的には見えない生理機能
にも感嘆する働きがある。食物を摂食す
る際、噛みきり咀嚼するための堅い歯が
あり、その時食物が零れないように口唇
が柔らかく包む。嚥下する際は食物が気
管に落ちないよう毎回喉の蓋が飛び出て
誤嚥を防ぐ。食物が胃に入れば強い胃酸
により殺菌、安全なものとして十二指腸
へ送る。そこへは膵臓から酵素が注がれ
消化を助ける。さらに細かく分解した後
、小腸で選別され身体に必要なものと判
断された物質が血液と一緒に吸収され、
肝臓に送られる。消化管を経た血液は肝
臓に入る前、肝門脈に集まり肝臓へ送ら
れる。肝臓はその血液を代謝、解毒して
安全なものとして身体に取り込む。つま
り外部から取り込まれた身体にとって異
物、非自己である食物は胃と小腸、肝臓
という様々な関門(実際にはもっと複雑
である)を経て安全を担保した後、体内
に取り入れられ自己化されるのだ。
脳の入り口もまた関門=バリアがあっ
て危険なものの侵入を遮っている。この
働きを行う器官を血液脳関門(BBB:blood
brain barrier)と呼ぶ。この血管は脳の
中に必要な物質を通し、不要なもの、害
のあるものは入れない。こうして脳の健
康を維持しているのだ。具体的には脳の
栄養であるグルコース(糖質)やケトン
体(体内で生産される物質)、そして酸
素は通過できる。害を及ぼす細菌やバク
テリアは通常通過できない。
ところがその関門をするりと通過する
物質がある麻薬や向精神薬だ。そもそも
これは脳に入らなければ薬理作用が発揮
できない。珈琲や紅茶、緑茶に含まれる
興奮作用を有するカフェインも通過する
。したがって夜眠れなくなる人はこうし
た嗜好品は避ける方が良い。また脳内伝
達物質に近い作用を持つニコチンも脳に
入り込む。だから依存的となり遮断する
ことが難しい。
さて、我がアルコール。これも血液脳
関門をするりと抜ける。アルコール耐性
のある人には少量なら気分爽快、至福感
、リラックス効果が期待できる。過飲は
精神的影響がマイナスに作用し、さらに

ニコチンと同様依存を招く。
アルコールは脳関門の制御がないこと
を深く肝に銘じ、人に迷惑をかけぬよう
味わうべきだろう。以下の詩は酒の世界
を賛美して余りある。
勧君金屈巵 満酌不須辞
花發多風雨 人生足別離 (武陵作)
この杯を受けてくれ
どうぞなみなみ注がしておくれ
花に嵐のたとえもあるぞ
さよならだけが人生だ(井伏鱒二訳)

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連載俳句と“からだ” 127

連載俳句と“からだ” 127
愛知 三島広志
平衡感覚
 ヒトは直立することで両手が歩行から
解放され自由を得た。同時に頭を骨格が
支えることで頭脳の肥大化が可能となっ
た。ヒトは直立で得た大きな頭脳により
知能を獲得すると同時に両手を器用に扱
うことで文化を確立し得たのだ。今日の
人類の文化的発展は直立が重要な意味を
持っている。そして直立可能な生物はヒ
トだけである。
 直立歩行するためには平衡感覚で傾き
を察知しなければならない。動物も平衡
感覚は持っているが、二足歩行をしてい
るヒトの場合は転倒の危険があるため特
に重要となる。寝たきりの原因の約一割
は転倒に由来する。
あをあをと空のかたむく冬怒涛
中村正幸
 直立は構造的には骨格が主に司ってい
る。足底が体重を受け止め、大地と接点
となる。踵から脚の骨が続き骨盤に繋が
る。さらに脊椎が延び頭蓋骨を支える。
この骨格構造を筋肉が柔軟に固定する。
上手に立っている時、筋肉の緊張は最低
となる。つまり脱力しているのだ。脱力
は次の活動への可能性となり、緊張は阻
害因子となる。
直立感覚は誰もが身体感覚として持っ
ている。バレリーナのセンターや歌舞伎
役者の正中線ほどで無くとも健康であれ
ば直立を感知する身体軸を持っている。
従って軸が傾いたとき不思議な違和感が
生じる。寺院や教会の塔を仰ぐ時、人は
塔を外部化した身体軸として意識するた
め、ある種の落ち着きを感じる。ところ
がピサの斜塔は傾いた塔と自分の直立軸
との間に生じる齟齬が不思議な感覚を醸
し出すが故に関心を集めているのだ。
壯年すでに斜塔のごとし百日紅 
塚本邦雄
 逆に敢えて傾くことの快感もある。オ
ートバイや自転車は曲がるとき車体と身
体を傾ける。倒れる力と復元する力のベ
クトルを利用して軌道を変えるのだ。こ
れは飛行機もそうである。そこにある種
の快感が発生する。遊園地の遊具の多く
も同じ構造だ。
東山回して鉾を回しけり 後藤比奈夫

 自分は安定した直立を維持したいにも
関わらず平衡感覚に異常を来すと目眩と
なる。末梢神経系ではメニエル病や突発
性難聴、中枢神経系で発症するのは脳血
管障害や腫瘍が原因となる。いずれにし
ても速やかに専門医の診断を要する。
 次の句の目眩は勿論病気ではない。目
眩はしばしば比喩的に用いられる。
梅林に目眩み 果てもない日常
伊丹公子

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連載俳句と“からだ” 126

連載俳句と“からだ” 126
愛知 三島広志
原石鼎
 高校生の頃、俳句に興味をもって山本
健吉の『現代俳句』を手にした。そこに
選出された作家とその俳句を読み進める
中で特に関心を抱いたのが原石鼎であっ
た。おそらく初学の者にとって石鼎の色
彩感覚や身体感覚は親しみやすかったの
だろう。ある意味素人っぽいのだ。
 青天や白き五弁の梨の花
 秋蝶のおどろきやすきつばさかな
まるで少年が詠んだかのような素直な
句である。梨の句の色彩感覚は石鼎の特
徴とされているが青空と白い五弁の花び
らのあまりに単純な対比。この児戯じみ
た詠み振りは潔い。同様に秋の蝶の儚さ
を驚きやすい翼と表現する感覚の繊細さ
。石鼎の身体感覚が言語化され、それに
読者の身体が反応するようだ。
 山の色釣り上げし鮎に動くかな
 蔓踏んで一山の露動きけり
 釣り上げた鮎の激しい身震い。露を踏
んだ一歩。この僅かな動きが山全体を動
かすように感じる皮膚感覚は憧憬的であ
る。日々の仕事や生活に鈍磨した身体感
覚では詠めない句であろう。類想的にま
ねをすることは出来るかもしれないが、
身体の奥から湧き上がる言語とはならな
い。
 
風呂の戸にせまりて谷の朧かな
高々と蝶こゆる谷の深さかな
これらの句は自然の雄大な距離感を身
体で感じている。朧の句は風呂に迫り来
る朧を描くことで大いなる谷を想像させ
ることに成功している。同様に蝶の句で
は高く飛ぶ蝶に読み手の視点を上向けさ
せておいて真逆の視線で谷底を感じさせ
る。これらは決して構成を意図したもの
ではあるまい。石鼎が身体感覚のままに
捉え、表現したものである。
 淋しさに又銅鑼打つや鹿火屋守
 山国の闇恐ろしき追儺かな
花影婆娑と踏むべくありぬ岨の月
実体験の中で感じ取った世界は時空を
超えて感動を生み出し続ける。しかし真
の暗闇を知らぬ現代人には理解できない
深さがある。山に住む祖父を訪れたとき

提灯の灯りが却って闇を深めたという幼
いときの記憶がある。もはや闇を知らぬ
現代人には本当の月光も見えないだろう

「ホトトギス」大正三年一月号で石鼎
は虚子によって前田普羅と並び称された
。「大正二年の俳句界に二人の新人を得
た。曰、普羅。曰、石鼎」。以下は前田
普羅の代表句。
 雪解川名山けづる響かな
 奥白根かの世の雪をかがやかす

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連載俳句と“からだ” 125

連載俳句と“からだ” 125
愛知 三島広志
身体と元素
 若い頃天体の本を読んでいて我々の身
体を構成している元素は嘗て星として輝
いていたと知り感動したことがある。
生命は太古の海の中でさまざまな元素
が組み合わさり有機物が生成、そこから
生まれたとされている(生命海洋起源説
)。ではその元素はどこから来たのか。
はるか昔、宇宙に輝いていた今は亡き星
の残滓から創られたというのだ。
高嶺星蚕飼の村は寝しづまり
          水原秋桜子
 今から約46億年前、宇宙に漂うガスや
ダストが太陽となり地球が生まれた。で
はそのガスやダストはどこから来たのか
。それが姿を消してしまった星の遺物だ
という。星は誕生した後いずれ寿命が尽
きる。重い星は超新星爆発を起こし生涯
を終える。その時様々な元素を生み出す
。また太陽のように比較的軽い星はゆっ
くりとほどけるように元素を空間へ放出
しながら広がり、白色矮星を中心とした
惑星状星雲となる。星の中心部では核融
合反応が起きており、元素を創る。我々
の身体に重要な元素は年老いた星の内部
で創られる。つまり星は元素から生まれ
元素に帰る。太陽も地球も我々の身体も
その大循環の中に存在する。
ではそもそも星の元素の元はどこで創
られたのか。それは今から137億年前に
宇宙創成のビッグバンの最初の3分間と
されている。
(科学技術広報財『一家に1枚宇宙図』
http://www.nao.ac.jp/study/uchuzu/index.
html)
寒星や神の算盤ただひそか
          中村草田男
 身体を構成している主な元素は多量元
素と呼ばれ酸素、炭素、水素、窒素、カ
ルシウム、リンの6種。これで体内の
98.5%を占める。筋肉や骨の材料だろう
。それ以外に少量元素が5種(硫黄、カ
リウム、ナトリウム、塩素、マグネシウ
ム)。多量元素と合わせて99.4%となる
。さらに微量元素10種、超微量元素14種

これらの元素が星の残滓からなる。我々
は何と壮大な時空間に存在していること
かと深く嘆ずる他ない。
(Wikipedia 出典『Newton完全図解周期表

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%85%83%
E7%B4%A0%E6%A7%8B%E6%88%90%E6%AF%94 )
また、人体や人血漿の元素組成が海水
のそれと似ているという事実(京都薬科
大学桜井弘教授)も「生命海洋起源説」
を裏付ける興味深い事実だ。我々の身体
は星屑を集め海で目覚めたのだ。悠久に
漂ういのちに興味は尽きない。
遂に合はざる二つの道か星冱る
橋閒石

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連載俳句と“からだ” 124 愛知 三島広志 歩く

連載俳句と“からだ” 124
愛知 三島広志
歩く
 某大学病院の若い医師たちが他職種の
人々に呼びかけ、様々な職種が臨床の場
、特に在宅医療で協力できるチーム作り
のための訓練を行っている。「きょうい
く×カフェ」と名付けられたその集いで
は面識の無いメンバーがそれぞれ関心の
あることを持ち寄り、その場でチームを
作り、目的と交流の方法を定め、数ヶ月
の後その成果を発表するというものだ。
在宅医療には医師や看護師、薬剤師、理
学療法士のような専門家のみならず家族
、親族、友人、ケアマネージャー、介護
士、隣人、友人などあらゆる人が参与す
る。それを医師としてどのようにチーム
を形成してよりよい臨床に結びつけるの
かという学習体験の機会を設けた。そこ
で我々門外漢にもお声が掛かったのだ。
 しかもメンバーは皆多忙で住まいも全
国に点在している。時に会議で進捗状況
の確認もしなければならない。mailもい
いが時間にラグが生じる。そこで
FacebookやLINE、Skype、Google
Hangoutsなどの通話機能を用いて電話会
議を行う。これによって各自が自宅にい
ながら会議を行うことが可能となった。
複数名が同時に会話可能であり、しかも
無料である。
 終宵秋風聞やうらの山 曾良
 そこで私が参加したプロジェクトは「
奥の細道プロジェクト」。5名で三ヶ月
かけて奥の細道の2400キロを歩くという
ものだ。無論実際の奥の細道へは行けな
いので近隣を歩くことになる。一日の目
標は5キロ。たいした距離では無い。10
月は164キロ歩いたので一日5キロはクリ
アした。しかし他の若いメンバー(私の
子どもの世代)は子どもの世話や仕事の
関係でなかなか歩く時間が捻出するのが
難しいようである。
 メンバー達が歩きながら見えてきたこ
とは電話会議と同時にPCでネットの共有
ファイルに書き込む。そこには以下の様
なことが書かれている。
・目的を設定して歩くと達成感が生じて
楽しい。
・体重が目に見えて減ってきた。
・自分の身体を意識しながら歩くことは
内省的で集中できる。
・酔って歩くのはやはり危険である。
・歩く楽しさと自信からハーフマラソン

にチャレンジした。
・膝を痛めてしまった。身体とのつきあ
い方を考えさせられた。
など、読めば他愛の無いことだが改めて
実行して感じたことは体験を経験とする
上で価値がある。
 実はさらに歩きながら「俳句を創る、
ポケモンを捕まえる、面白い看板を写す
」という副目的もあったがポケモン以外
はあまり進まなかったようだ。
雲の峰いくつ崩れて月の山 芭蕉

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俳句と“からだ” 123 愛知 三島広志 百の蝶

連載俳句と“からだ” 123
愛知 三島広志
百の蝶
 藍生会員の高浦銘子さんが句集『百の
蝶』を上梓された。『水を利く』『水の
記憶』に続く第三句集である。一読、端
正で静謐ながら対象の内面に迫る上質な
感性を感じた。
星深く沈めてしづかなる泉
手袋の手が触れてゆく夜の窓
あをぞらの奥のあをぞら十二月
木のみどり風のまみどり端午なる
後半の二句には同じ言葉が繰り返されて
いるが実際には異質なものが表現されて
いる。あおぞらとその奥のあおぞらは質
的に同じではない。
 この庭のどこも日向や小鳥来る
 秋の蝶載せてしづかな石となり
 あたらしき月のぼりくる野分あと
いずれも穏やかな表現だが作者の思いが
対象を覆い尽くしている。
集中、三つの言葉に関心を抱いた。「
こころ」「百」「一」である。
一般に俳句はものを通してこころを詠
むがそこに「こころ」という言葉は出て
こない。しかし、この作者は生硬に「こ
ころ」と直接表現しこころを実態のある
もののように詠もうとしているようだ。
かきつばた人を離れてゆくこころ
鵙のこゑ何にこころの急かさるる
冬の蝶こころの庭に遊ばせて
白露とふことばこころにころがしぬ
このように表現されると「こころ」が手
で持てるように感じられるではないか。
作者はひろい世界全体を百と把握し、
中心を一と捉えているようだ。句集のタ
イトル『百の蝶』である。もちろん実際
に百頭の蝶がいたわけではない。
ひとつひとつ違ひて百の秋の蝶
蝶一般を百の秋の蝶と総体的に見ると同
時に一頭の存在にも思いを寄せている。
作者の知性の中で、ある現象に対して総
論的理解と個別的理解が即時に行われて
いるのだろう。掲句は一と百が同時に詠
まれているが、以下の句のように一方だ
けが詠まれていても双方が内在している

眼の中に百の椿のふぶきけり
秋の灯のひとつ祈りの灯となしぬ
霜夜なる一書に美しき蔵書印
以下の句からは時間の流れへの関心の
深さを読み取った。一刻の変化が悠久の
時の流れに繋がるようだ。
  角砂糖角より崩れ百千鳥
  息吸つて夜のゐもりとなりゆけり
 山の端の暮れかねてゐる螢かな

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