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2017年1月14日 (土)

俳句とからだ 118

連載俳句と“からだ” 118

 

 

愛知 三島広志

 

19回俳句甲子園地区大会

 俳句甲子園東海地区大会の審査をさせて頂いた。俳句甲子園との縁はすでに十年近くなるだろうか。審査委員長という立場だったので初めの挨拶と最後のまとめ、それ以外にも度々マイクを向けられることとなった。

 俳句甲子園は五名で構成されるチーム同士が戦う形式である。前もって提出してある題詠作品の絶対評価と、当日、ディベートによる鑑賞の相対評価によって勝負が決まる。句と鑑賞の評価の全てが五人の審査員に委ねられるのであるからその責任で胃がキリキリ痛むほどである。

 

 山頂に流星触れたのだろうか

清家由香里

 

初めて審査員を受けたとき、マイクを手にした生徒が相手の句の問題点に対し糾弾するかのごとく畳みかける点に違和感を抱いた。そこで次の様に語った。

「俳句を読むためには解釈と鑑賞の二段階がある。まず相手の俳句をリスペクトして文字通り読み、そこから映像を描く。これが解釈。その映像に自分の知識や体験、想像を加えて発展させる。それが鑑賞。作者と鑑賞者の両者によって俳句は完成する。まず相手の句からどんな映像を読み取ったか述べてから鑑賞へ入ろう。

言葉は真実を正確に描く自立とそれを読み手が再現できるように伝えるための伝達から構成される。犬といっても自分の思っている犬と相手が想像する犬は異なる。そこが面白い」

こうした問題点を折々混ぜながら審査をした。すると高校生たちはすぐそれに反応して見事な鑑賞を始めた。その柔軟性には驚いた。

 

湧き水は生きてゐる水桃洗ふ

大橋佳歩

 

 今回は大会の最初の挨拶として

「鑑賞は貶し合いではない。お互いの句がより素晴らしい作品となるためのディベート、それを期待したい」

 

最後のまとめとして

「私たちは俳句を通じて場を共有した。場とは時間と空間だ。俳句はメディアとして私たちにそれを与えてくれた。俳句甲子園は我々が高校生に俳句を指導する場ではない。行き場を失って閉塞した俳句に新しい風を入れるために君たちを必要としている。俳句は君たちが巻き起こしてくれる風を求めているのだ。これから就職したり進学したり環境は変わっても俳句という杖を一本持っているときっと辛いとき、寂しいとき俳句が君たちを助けてくれる。どうかずっと続けていって下さい」

 

掲出句は愛知県幸田高等学校の生徒作品で第10回と第17回の全国最優秀作品。

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