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2017年1月14日 (土)

俳句とからだ 114

連載俳句と“からだ” 114

 

 

愛知 三島広志

 

天才ピカソ

 愛知県美術館で「ピカソ、天才の秘密」が開催されている(201613日から321日)。ピカソの知られた「青の時代」と「バラ色の時代」に焦点を当て、彼の創始となるキュビズムまでの前半生を集めた催しだ。ピカソは1881年に生まれ1973年に没した。天才の多くは夭折するとされるが彼は91歳という長寿を得、生前から天才の名声を欲しいままにした希有の存在だ。ある評論家が「ピカソは天才として生まれ生涯をかけて子どもになった」と言うようなことを述べているがこれはピカソの有名な言葉「ようやく子どものような絵が描けるようになった。ここまで来るのにずいぶん時間がかかったものだ」を踏まえているのだろう。私はこの言葉から寺山修司の晩年の詩『懐かしのわが家』の「ぼくは不完全な死体として生まれ/何十年かかゝって/完全な死体となるのである」を思い出す。人は天才であろうと無かろうと生涯という過渡期を生きながら何かを求めそれを埋め込むように生きていくのだ。

 

 蒼鉛いろの暗い雲から

みぞれはびちょびちょ沈んでくる

宮澤賢治「永訣の朝」より

 

ピカソは幼少期から美術教師である父親から絵画を習ったが十代の習作がすでに絵画の歴史を凌駕するほどの出来映えである。上手に描くことは彼にとって退屈なものであったに違いない。その後、「青の時代」「バラ色の時代」「アフリカ彫刻の時代」を経てキュビズム、新典主義、シュールレアリスムへと目まぐるしく変転した後、ドイツ空軍によるスペインのゲルニカ地方無差別空爆を非難した大作『ゲルニカ』(1937)に至る。晩年になっても創作欲は衰えず、生涯の芸術家として生き抜いた。

 

 私は絵画には全く無知である。したがって今回の美術展では幾つかの初歩的な学びがあった。あの有名な「青の時代」が20歳から23歳、「バラ色の時代」が23歳から26歳とどちらも若く、しかも長寿のピカソから鑑みて時代と呼ばれるには期間が大変短いことである。しかしそれこそが天才の証だろう。ピカソは変転したそれぞれの時代の内の一つだけを実現していたとしても天才と呼べる存在なのだ。さらにピカソと言えど孤高の存在では無かったことだ。彼は過去のゴッホやセザンヌなどの作品、あるいはアフリカの芸術に学ぶと同時に、同時代のマティスやブラックなどの多くの友人と積極的に交流し影響を与え合っていた。また、多くの女性との関係もあり、それらの要素が複雑に絡み、深まりついにピカソの身体を通してキュビズムが生まれてきたと考えられる。

 

春遅々とゲルニカの灯に色なきよ

窪田英治

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