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2017年1月14日 (土)

俳句とからだ 113

連載俳句と“からだ” 113

 

 

愛知 三島広志

 

器という宇宙

 藍生の会員には一芸を確立した素晴らしい人が大勢いらっしゃる。塗師小森邦衞氏もその一人だ。何しろ人間国宝として漆という伝統工芸を担っておられる。昨年、名古屋のタカシマヤで個展を開催されたので短時間であったが訪問して作品を鑑賞し、お話を聞く機会を得た。氏の佇まい、醸し出す雰囲気は工芸家というより品のいい学者という感じだ。

 

 一言の人殺めしか曼珠沙華 邦衞

 

 漆は縄文時代から作られているという伝統工芸だ。西洋では磁器をChina、漆をJapanと呼ぶと言われる。それ程日本の漆が海外で評価されているということだ。漆器は元々陶磁器と共に各家にあって毎日使用されていたことだろう。私の母の実家は酒の醸造と販売を家業としていた商家である。漆の膳と器が数十客あり、来客時はそれを使用していた。つまり漆の器は工芸品であると同時に日用品だったのだ。小森氏も漆の器を日常使用して貰いたいと言われていた。これは瀬戸の本業窯水野半次郎七代目が陶器は飾る物でなく日用使いすることで器として育っていくという言葉に近いと思われる。

 

ひよんの笛心の丈を音にして 邦衞

 

 小森氏は輪島塗が大勢の専門職の共同で完成させるという一般工程をほとんど独りでされる。竹籤を緻密な幾何学模様の網代に編み、固定する枠を作り、漆を繰り返し繰り返し塗る。この気の遠くなる工程を強い気息を保ったまま成し遂げられるのだ。拝見した氏の器は端然と、屹然とそこにあり、妥協のない形の厳しさと塗りの温かさが一つの宇宙を形成していると感じた。

 器は空間を押しのけ自己の存在位置を確立している。しかし見方を変えると空間が圧力をもって器をその形に押し留めているとも考えられる。内から外へ膨張しようとする力と外から押し込めようとする力のバランスが器を器たらしめているのだ。そこに器の宇宙が存在する。

 

氏の作品は氏の思いを見事に具現化し、完成した宇宙を創出している。竹を緻密に編んだ網代の文様に塗られた漆があるところでは深く沈殿し、あるとこでは明るく竹籤を浮かび上がらせる様子は宇宙が時間と空間の変化途上、闇と光の醸し出す流れを想像させてくれる。そして氏の作品は作品のみで完成するのではない、作品とそれを置く空間との共同で完成に至るのだ。それを手にする日常の豊かさ。

漆器は竹や木で出来た素材の自己主張を漆が宥めるように、抑制するように塗られることで角の取れた穏やかで暖かみのある主張が立ち上がってくるようだ。その器は使い手を閑かに待っている。

 

 夏椿ことばつくせば汚れゆく 邦衞 

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