はいくと身体 112
連載俳句と“からだ” 112
愛知 三島広志
ひよんの笛
藍生俳句会所属深津健司さんから第二句集『ひよんの笛』を頂いた。『切り火』以降7年の成果である。喜寿を迎える作者の老いに対する心境が深く閑かに詠まれている。
老人の両手となりぬ衣被
鮎錆びてわれら失ふものばかり
極月や死なねば逢へぬ人の数
老いとはまさに喪失現象である。身体能力や認知能力の喪失、仕事などの環境の喪失、親しい人の喪失。いろいろなものを失いながら記憶のみ積み上げていく。それが老いていくことだ。医療や介護など高齢者に寄り添う仕事では、その基本理念として彼らの喪失する悲しみや苦しみに対し如何に共感していくかが重要であると教わる。ただし喪失は必ずしも不幸なことでは無い。苦しみや悲しみの記憶を喪失することは時間が解決してくれるという意味でもある。
蟷螂の枯れつくしたるのちのこと
枯れつくしたるものの名をなつかしみ
枯れたのちのことを思い、枯れたものの名をなつかしむ。わび、さびに近い心境ではないか。
老いはまた子どもに戻る無邪気さを生み出す。社会的責務から解放されるからか、やんちゃなおじいちゃんとなるのだ。私も子どもの頃やんちゃな祖父が大好きであった。深津氏もやんちゃ振りを発揮している。藍生俳句会の25周年大会で、氏はなんと百数十名の参加者全員にひょんの笛を配った。雑木林で運良く見つけたことはあるが、どのようにして大量のひょんを見つけたのか、しかも全てきれいに掃除して手作りの箱に収めてあった。それを配るときの無邪気な氏の笑顔が忘れられない。夜な夜なひょんを磨く氏を想像すると自然に笑みが零れてくる。これこそ老いの恩恵ではないだろうか。
ひよんの笛はじめて鳴らす麦嵐
ひよん吹いて耳のさびしくなる夕べ
私がひょん(瓢)の笛を知ったのは壺井栄の小説「母のないこと子のない母と」であった。祭の日、子どもたちがひょんの実を取りに行くシーンがあったのだ。実物に遭遇したのはそれからずっと後のことだった。改めて手に取るとその軽さに驚く。掌が浮き上がるような錯覚に陥る。深津氏もおそらく皆が驚くことを想像しながら磨かれたことだろう。老境を楽しめる余裕が感じられる。
以下の句の境地は世代を超えた魅力があり、氏の力量が読み取れる
かなかなのやみてたちまち星月夜
米櫃の底の見えたる初しぐれ
蹠に砂鳴りやまぬ月の海
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