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2017年1月14日 (土)

俳句とからだ 111

連載俳句と“からだ” 111

 

 

愛知 三島広志

 

I Wait for the Moon

 学問と学習の相違とは何だろう。学習は先人の成果を習うことである。それに対し学問は学習で得た知識を元に「学とは何か」を問い続けつつ学ぶことだ。個別の分野を探求し、その本質や構造を見出し、そこから一般性を見いだすこと、普遍化することが学問だ。

芭蕉の著した『笈の小文』に以下の有名な一節がある。「西行の和歌における、宗祇の連歌における、雪舟の絵における、利休が茶における、其貫道する物は一なり」。このように異なったジャンルの中に共通する真理(貫道する物)を見出そうとすることこそ学問的態度と呼んでいいだろう。

先だって日本とアメリカで俳句に取り組んでいるアビゲール・フリードマン女史

俳号アビゲール不二

の講演を聴く機会があった

女史はアメリカの外交官として約15年間日本に滞在し

その間俳人黒田杏子から俳句の個人レッスンを受けた

帰国後もアメリカやカナダの俳句協会に所属して活動しておられる

著書に『私の俳句修行』と『I Wait for the Moon』がある

前者は俳句体験を通じて書かれた内容の深いエッセイ

後者は黒田杏子の数千の俳句の中から百句を選んで解説した労作だ

しかも俳句の解説に留まらずそこから俳句の理解と新しい俳句観を切り開いている

女史の講演は「国境を越えて俳句を読む」と題し日米の俳句を学ぶ過程で気づいた違いを分析したものだ。

1 文化の相違に関係なく読める俳句

2 相互文化に固有の〈文化のエコー〉に気づくことで理解できる俳句

3 文化的相違から十分な説明がないと理解できない俳句

女史は黒田の俳句を英語に翻訳する時これらのことに注意したという。そしてあえて1の分かり易い句ばかりを選出せず、2や3の句の訳に取り込むことで女史独自の俳句観を築かれたのだ。

 

この話を拝聴して思ったこと。これは異文化や異言語だけの問題では無いということだ。誰もが自分のエコーを持ち、余人に理解しがたい背景を抱いて生きている。自分と他人の間には理解できることと何となく共感できることと、全く相容れないものが存在する。女史の素晴らしさは、俳句を通じてあらゆる人間関係に存在する普遍的な問題点を明確にされたことだ。これこそが学問をする態度だろう。俳句を俳句の世界のみに止めることはつまらないことだ。

 

女史は次の句で毎日俳句大賞最優秀賞を受賞された。

and

then the gloomy earth

revolves

, revolves around

a

roosters cry

あれ以来この薄暗い地球は

回ること、回ること

1羽の雄鳥の声のまわりを(芳賀徹訳)

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