« 2015年3月 | トップページ | 2017年1月 »

2015年12月

2015年12月30日 (水)

身体から見える景色 何故身体を問うのか

身体から見える景色

何故身体を問うのか

 

愛知 三島広志

 

一 出会った書物を通して

ポスト印象派の画家ゴーガンの大作に「われわれはどこから来たのか われわれは何者か われわれはどこへ行くのか」という名画がある。このタイトルは極めて普遍的な疑問を呈しており誰もが若いとき、一度は思い詰めるものであろう。否、この自分探しを生涯追い求めながら迷いの人生を送る人も多いことだろう。

 

自分もまたそんな青年であった。ある時、偶然出会った書物からヒトは動物的ヒトとして生を受け、教育によって社会的・歴史的生物即ち人間になると学んだ。ヒトは教育によって人間になるのだ。人は霊長類の一種ヒトとして生まれ、成長過程で社会性と歴史性を学び人間になる。人間とは時間と空間、世間などを内包してそれらの関係性の中で生きていることを自覚した生物だ。こうして自然的ヒトが個としての人、そして環境に生きる人間となる。そこに動物や植物にはない人間独自の文化が創造される。同時に人は自分を教育する能力も持っていると考えた。そう、人は生まれてから死ぬまでヒトから人間になろうともがく過程的生物なのだ。刻々と変化しながら好きな方向を目指せば良い。それに気づいて以来生きることがとても楽になったのだった。

 

さらに畢竟身体という器が生の始まりから死の間際まで自分の存在の基本としてあり、精神はその器に乗ることで存在し、死とともに全ては消滅すると思い至った。むろんこれに反論する人も多いだろう。これらはあくまでも個人的見解だ。

 

 私自身、十代後半から二十代前半にかけて人並みに自分の存在の根底を求めて足掻いた時期があった。そして自分の人生は身体のある間のみ存在し、身体が極めて重要であると考え、何名かの同志を集め私塾のようなことを始めた。その時の趣意が以下である。今読めば若書きで気負いが溢れており些か気恥ずかしいが紹介しよう。

 

我々は生きていく限り<身体>の問題を通過する訳にはいかない。そしてそれは単に健康とか病気だけの問題でもない。

 なぜなら、すべての情報は<身体>によって感受(認識・自覚・勘等)、処理(判断・整理・選択等)され、あらゆる創造(活動・表現・技術等)は<身体>から発せられるからだ。即ち、我々の<身体>とは我々の<存在>そのものなのだ。  

 しかし、現実には我々の肉体は、社会という鋳型の中で精神の僕として隷属を強いられ、感性は鈍麻し頽廃し、心身は疲れ強ばり日常に漂流している。

 日常に埋没した自分に気付いたなら、この未知で、大切で、ままならない、いつかは捨てねばならない<身体>をじっくり見直し、親しく対話してみようではないか。

 否、むしろそんな<身体>に委ねきってしまうことで、もっともらしい権威やおかしな常識、偏った先入観等の束縛から解放されようではないか。それに応えるべく、<身体>は完全なる世界を体現しているのだ。

 そこから、活性の湧き出る身体と、自律性に富んだ生活と、共感性に包まれた環境(人と人・人と自然)を得て、健やかな個性の融合した生命共同体が築かれるのではないだろうか。

 

 何故か私は十代から柔道や少林寺拳法、合気道などの武術、さらに東洋医療の指圧や鍼に興味を抱き、学業とは別に施術の指導を受けに専門家の元へ通っていた。それは単に武術や健康法という意味だけではなく身体というものの摩訶不思議な魅力への関心だった。挙げ句、社会性や協調性の乏しい自分には会社勤めは無理と判断し、独立できる東洋医療の道へ進んだ。しかし、それは生業として口に糊するためだけとして選らんだのではなく、興味の対象の延長としての意味も大きかった。これは還暦を超えた今日でもさほど変わらず、結局生涯を書生として過程的に過渡期の存在として過ごしてきたことになる。

 

 およそ九年前、藍生俳句会の編集部から「俳句と健康について連載して欲しい」と手紙が届いた。それに対し「藍生俳句会には歴としたお医者さんが何人もおられるのでそれは私の任ではない、しかし、身体論ならある程度書けるかもしれない」と返答したところ、編集部から「それでいい」と言われ五里霧中の海に羅針盤も無いまま書き始めたのが「俳句とからだ」である。それがなんと百回を超えるまでの連載になった。これから書くことはおそらくそれらの総論となるだろう。そして当然それは編集部の目論見でもある。初めは若い頃出会った幾つかの書物を通して身体およびそれに纏わる事柄を書き綴ろう。

 

武道の理論

 十八歳の時、弁証法で武道を解くという大言壮語にも思える本に出会った。これが南鄕継正著『武道の理論』である。この書で興味深かったことは「技には創出と使用がある」という技の弁証法的解釈だった。現象の中に弁証法性(矛盾、運動性)を見いだすことの重要性は学生時代に学んだマルクス経済学の基礎、「商品には価値と使用価値がある」に通底する。南鄕の技の解析もまさにそれと同構造だろうと関心を抱いた。

 マルクスの説は「商品」、たとえば萬年筆としよう、これには字を書くという使用価値と同時に五万円という交換価値があるということだ。つまり商品に本来の使用価値のみならず金銭的交換価値があるという二面を見いだすこと、これが弁証法なのだ。

 南鄕の「技の創出と使用」も同じだ。たとえば柔道の技に有名な背負い投げがある。これはヒトが生得的に持っている訳では無い。歴史の中で多くの人たちが命懸けで発明し今日に遺した伝統文化だ。この文化を有するのが人類の特徴となる。柔道を学ぶ者は背負い投げという歴史的文化を何百何千何万回と打ち込む鍛錬をすることで身体的技として作り出す。これが技の創出だ。次いでこれを乱取りや試合の中で使用する。相手は防御しつつさらに攻めてくる。その攻めをかいくぐりながら背負い投げを仕掛ける。これが技の使用だ。

 さらに南鄕は剣について述べる。剣は素人が手にしても十分に武器たり得る。刃先が相手にそっと触れるだけでも致命的だ。柔道の背負い投げはそれを技化するために膨大な努力を必要とする。しかし剣(剣の創出者は刀鍛冶)は手にしたとき構造的には背負い投げをマスターしたことと同じ域にいることになる。柔道で背負い投げを身につけ相手を投げることは、剣術で刀をひょいと振って相手に切りつけることと構造的には同じなのだ。したがって剣術は技の創出の部分を端折り、いきなり使用から稽古を始めればいいのだ。 

この解析に私は大変興奮した。さらに以前から別の書で知っていたことだが中国では昔から「技術」という言葉が作られている。その解釈に諸説あるが、私は「技は創出、術は使用」と理解している。「技」の中にある弁証法性はすでに「技・術」として分かっていたことなのだが、それを南鄕は見事に理論化した。これは二十歳前の私をいたく刺激したのだった。

 

武道では分かり難い面もあろうから、俳句に置換してみよう。俳句の五七五という形式は初めから与えられている技としての器、つまり刀と同じだ。牽強付会に思えるだろうが、俳人は何も考えずともことばを五七五という形式に載せればその出来栄えは別にして、とりあえず俳句になる。これが自由詩なら詩人は初心者が背負い投げを身につけると同様に、ことばに適合した表現形式を苦闘しながら創出しなければならい。俳句が入門しやすい文芸である所以の一つがこれであろう。むろん困難なのはそこから先であることは言を待たない。短歌や俳句の形式は歴史的に創出された技という踏み台だ。詠み手は初めからその上に立って歌や句を創出できるという恵まれた立場にあるということだ。これは俳句が海外にも広がっていった理由でもある。

 

極意

 そのあと手にしたのは坪井繁幸(現、香譲)の『極意』とう本だった。これは各界の優れた人を取材して「意を極めるとは如何なることか、極められた意とはなにか」を追求した本だ。坪井は傑出した人たちとの出会いを通じて天才的な人たちに共通する法則性を見いだす。彼が出会った人たちとは著名なスポーツ選手や武道家、演奏家や舞踊家、教育家や宗教家、さらには無名だが優れた職人などだ。坪井は天才的な人は皆、身体に対する意識や感覚が突出しているというのだ。そうした身体の中の共通性を彼は「身体の文法」と名付けた。優れた人たちの身体運用や身体意識には現象面は異なっていても内面に共通した構造があると洞察したのだ。

例えば釣りとバイオリン演奏のように現象面は全く異なっていても、それぞれの身体の中の微妙な動きや意識操作、周囲から伝わる感覚に対して開かれた身体。そこに通底する本質的な何かがある。つまりものごとには普遍的本質があるということだ。しかし、その本質を見いだすことは簡単では無い。

 

坪井とは二十代の一時期かなり濃密に交流した。今思い返すと、坪井の著書と本人との出会いは私の人生に相当大きな影響を与えたと言わざるを得ない。

 

経絡と指圧

高校生の頃、テレビの影響で指圧ブームであった。浪越徳治郎というタレント性のある指圧師が巻き起こしたものだ。彼の弟子の一人に増永静人がいた。増永は旧帝大で心理学を修め、卒業後、浪越の日本指圧学校に入って指圧の勉強をした。浪越にその才能を見込まれた増永は卒後そのまま教師として十年ほど教壇に立った後、理想の指圧を目指すため独立して多くの本を著した。私は高校生の時その著書『家庭でできる指圧』を手にして驚嘆した。多くの健康法の本はこの症状にはこのツボを押さえると治る、あるいはこれを食べれば健康になるという一対一対応の教条的な素人向けの本が多い。

増永の本(代表として『経絡と指圧』)はそれらとは一線を画していた。概論として「命とは何か、生きるとはどういうことか」と問い、そこから健康や病気、医療、さらには如何に生きるかを考えようとしていたのだ。そして冒頭から身体が存在するために不可欠の環境と命の関係を強調した。これは彼が心理学を学んだことによるだろう。身体は身体としてのみ存在する訳ではない。身体は環境にある素材を元に形成され、環境から必要なものを取り込み、不要なものを排泄しながら維持されている。この関係性の瓦解が身体の存在を危うくするのだ。これは中国古来の哲学で漢方医療の基礎ともなる「天人合一」に酷似した考えだ。

 

私たちは誰でも健康が大切であると思っている。それは間違いではない。病気になったとき健康のありがたさを思い知る。しかし健康は目的ではない。冒頭に述べたように私たちは多かれ少なかれ否応なく自分が生まれてきた理由や生きていく意味を問い求めている。自分自身の価値を見いだし精一杯人生を送ろうと考える。そのとき人それぞれのレベルでの健康が必要となる。決して健康のために生きているわけではないのだ。生まれつき障碍のある人、何らかの持病がある人、ある日忽然と倒れ後遺症に苦しむ人。人には避けられない宿命のような有り様がある。それぞれの有り様の中で健康は有り難いのだ。健康を失ったとき人は自分の身体に思いを寄せざるを得ない。これは負の身体観だ。それぞれの人がそれぞれの有り様の中で前向きに生きようとする時、正の身体観が発生する。身体を問うと言うことは正負両方を包括して考えるということになる。

 

増永は指圧を現代医学的基礎と心理学的素養、そして漢方的哲学で追求しようとした。そのとき重要視したのが経絡という中国古来の身体観だ。全身を縦に貫く十二本のスジ。解剖学的には見いだすことが不可能だが機能的あるいは感覚的には存在を確信できる経絡を東西医療および精神と肉体との架け橋として生涯研究をした。志半ばで夭折したがその思想は今日も読み継がれている。

 

【経絡図】

 

ある講習のとき増永の言った言葉がとても印象的である。

「患者さんは私たち治療師が腰痛になったり病気を患うと不思議がる。先生でも腰が痛くなるのですか?病気をされるのですか?と。しかし考えて欲しい。痛みも病も知らない、死ぬことも無いロボットのような治療師に患者の苦しみや悲しみが共感できるだろうか。弱く儚い命を共有しているからこそ治療師は患者の苦しみに共感し治療に当たれる。死の恐ろしさに涙する。頑健で鈍感な人の痛みや苦しみ、死の恐怖が理解できないような治療師に治療されて患者は嬉しいだろうか」

同じようなことは著書にも書かれてあるが、このときの師の声や表情は四十年近く経た今でもはっきりと脳裏に焼き付いている。

 

精神としての身体

 市川浩著『精神と身体』は「人間的現実を、心身合一においてはたらく具体的身体の基底から、一貫して理解することをめざす」という身体論の名著だ。中でも一番興味を引いたのは自己中心化と脱中心化だった。著書から引くと

「われわれは生きているかぎり多かれ少なかれ自己に中心化しているわけですが、その自己中心化と、他者の側に身をおいてみる脱中心化、そして脱中心化を経由した再中心化という形で自己意識と他者意識が次第にふかまってゆく」

となる。こうした身体は十九世紀以降復権したもので、それまでは身体は精神に隷属した存在とされていた。

 

 私たちは自分の身体を主体として理解すると同時に客体として対象化している。これは社会生活を送る大人にとって当たり前のことである。こうして人は身体を通して他社との関係性を学び、社会生活を送っているのである。

 

二 創造される身体

オフィスの近くにバレエスタジオがある。そこへ通う少女たちは一目で分かる。頭に独特のおだんごのシニヨンを作っているからだ。しかしそれだけではない。皆スレンダーで背筋が伸びセンターが天地を貫いている。バレエのように重力を超越したダンスを踊るため幼い時から激しい身体訓練を行い、そのための生活を送っているのでバレエ体が形成されるのだ。同じく近くにヒップポップのダンススタジオもある。ここに集う少女たちも独特の雰囲気を醸し出している。バレエは身体のセンターを見事に鍛え上げ垂直の美しい超日常的体躯を形成するが、ヒップホップは身体を日常の動作では有り得ない非日常的に操作する。あたかも日常に逆らう反権力のように。これはブレイクダンスと呼ばれるものである。実際そのダンスの発生は不良の暴力バトルの代替としてのダンスバトルが元になっている。これらは決して無関係では無いだろう。

 

このように身体は幼い少女でさえ目的的に創出される。その極限とも言える創出体が力士だろう。力士は行住坐臥全てを相撲のために費やす。眠ること、食べること、衣装、履物、もちろん稽古もそうだ。彼らは日常の全てを非日常的な相撲社会に置き、非日常の生活を彼らにとっての日常とすることで生活体を相撲体に作り上げる。意識も身体と直接して力士として成長する。これは能や歌舞伎の家に生まれた子が生活全体を芸のために捧げながら一流の役者として成長していくことと同じ構造である。

 

私たちは生物体として生まれ、日常社会に生きる生活体を創出する。これは日常的なことだ。それがバレエや相撲などの芸のための特殊体に創出される。スポーツ選手の身体が競技ごとに異なることはそのいい例だ。レスリングと水泳、短距離走と長距離走などあきらかにそれぞれの競技向きの身体に作り上げられている。バレーボールやバスケットボールのように初めから背が高い方が有利という競技は生得的身体そのものが武器になっている部分も多いが、体重性で生得的利点を平等に制限しているスポーツ、例えばボクシングでは明らかに創出された身体が平等な土俵の上で競う状況が見られる。これもまた立派な文化であり、ボクサーは自らを文化的身体として創出した結果をリングの上で表現しているのだ。

 

拡大縮小する身体

イギリスの数学者チャールズ・ラトウィッジ・ドジソンが筆名ルイス・キャロルとして著した『不思議の国のアリス』は作者の友人リデル氏の娘たち、とりわけお気に入りのアリスのために彼女を主人公として書いたファンタジーだ。作品の中でアリスは薬やケーキを食べるごとに身体が拡大したり縮小したりする。また、アイルランドの風刺作家ジョナサン・スウィフトの『ガリヴァー旅行記』は小人国リリパットや巨人国ブロブディンナグに漂着する。アリスは自分が巨大化したり縮小したりするが、ガリヴァーは周囲が小人になったり巨人なったりすることで自分の身体が拡大したり縮小したりと錯覚する。いずれにしても自分の身体が規格外れになるという設定だ。

 

現実に身体がサイズを変えることはあり得ないが、測定値百七十センチの人が感覚的に大きくなったり小さくなったりする体験は誰にもあるだろう。ガリヴァーのように環境が変化する場合もあればアリスのように自分自身の思いが身体を拡大したり縮小したりする状況を生み出すこともある。そのときの身体感覚は非日常のものとして新鮮なものであろう。例えば広々とした高原で深呼吸する時、身体は向かいの山に対峙するほど大きいと感じたり、蟻の行動を観察する時は蟻のように小さくなったりする。皮膚に包まれた身体のサイズは同じだが感覚としての身体は自在に拡大縮小するのだ。

 

また感覚だけではない。以前、若者の間で花魁道中のような上げ底靴が流行ったことがある。社会の目は批判的だったがある板前さんは「調理場で高下駄を履いているが目線が高くなって気持ちが変わるよ、若者の気持ちも分かる」と教えてくれた。同様に駅のホームや電車内にしゃがみ込む迷惑な若者も多くいた。これも実際にやってみると「社会が違って見える」とある学者が体験を書いていた。身体状況が変われば見える世界も変わる。身体と環境は互いに影響し合う相対的関係だからだ。

 

延長と同化

 鍼師は患者に鍼を用いて治療行為を行う。だが鍼を刺す前の段階がある。患者を見て、気持ちで包み、近くに寄り添い、気持ちに即して患者の皮膚に手で触れる。実際に触れる前に気持ちで触れるのだ。そしてその後初めて手で押したり擦ったりしてツボと呼ばれるポイントを見つけ、やっとツボに鍼を刺入する。指で圧すれば指圧となる。鍼師にとって鍼は身体と同化し延長した道具だ。これは鍼師に限ったことではない。板前と包丁、理容師と鋏や髭剃り、事務員とキーボード、運転手とハンドル(自動車)。いずれも身体と道具が同化し、身体の延長としての道具と化している。

 

リアルな身体と観念としての身体

 ここに奇妙な解剖図がある。漢方医学の古典に書かれている図だ。

【漢方解剖図】

そこへオランダからターヘル・アナトミアという解剖書が入ってきた。ドイツで1722年に初版、日本へはオランダ語版(1734年出版)が1770年には入っている。

【ターヘル・アナトミア】

これらの図から何が分かるか。おそらく漢方は現象や機能を観察することを重要視し、実態はあまり気にしなかったということだ。つまり実際の身体では無く現象として顕れる観念としての身体を観ていたのだ。

 

季語と季題

 季語は季節を表す具体的な季物を示す。それに対して季題は歴史的美意識を纏っている季節の題目であるとされる。それはリアルな季物と季物が受け継いできた観念としての季節感の違いとなる。これは先ほどのリアルな身体と観念としての身体と相似すると考える。私たちは本当の物を観ることは実は大変難しく、リアルな物と観念とが重なり合ってしか現象を観ることが出来ないのだ。宮澤賢治の詩「春と修羅」には次の一節がある。

 

   (前略)

草地の黄金をすぎてくるもの

ことなくひとのかたちのもの

けらをまとひおれを見るその農夫

ほんたうにおれが見えるのか

まばゆい気圏の海のそこに

  (後略)

 

「ほんたうにおれが見えるのか」とは賢治の生涯に亘って抱えてきた疑問だがその軽重は別にして誰もが抱く問題でもある。観る側にしても観られる側にしても。

 

 私たちは身体を見ていて実は見ていない。これが様々な疑問の根底に通底している。人体そのものを精神から分離して客観的に、即物的に見ようとするデカルトの心身二元論が生まれてくる必然はそこにあったのだ。

 

冒頭のゴーガンの「われわれはどこから来たのか われわれは何者か われわれはどこへ行くのか」この設問自体、本当のわれわれを見ようとしているのかは疑問であり、画家が画家の目で主観的に見ることに留まっていると思われる。むしろそれだからポスト印象派なのだ。

心身二元論は科学を科学たらしめるため登場したが、それとて決して人を幸せにするものではない。私たちは生物として客観的に見える身体と直接して創造的文化的身体を有し、その有り様に振り回されながら生きている。これは科学がどんなに正しいと言ってもそれのみを肯え無い人間の性なのだ。

宮澤賢治に『月天子』という詩がある。その一節を紹介してこの稿を終えよう。

 

  (前略)

もしそれ人とは人のからだのことであると

さういふならば誤りであるやうに

さりとて人は

からだと心であるといふならば

これも誤りであるやうに

さりとて人は心であるといふならば

また誤りであるやうに

(後略)

 

あとがき

 「健康は身体を意識しない状態だ」という意見がある。確かに私たちは普段は身体のことを忘れている。肩がこる、腰が痛い、膝が曲がらない、おなかが張る、頭が割れそうなどの症状が出てはじめて身体への意識が生じることが多い。つまり健康ではないときに身体の各部位や全体の重だるさなどを感じるのだ。

病気でなければ自発的にスポーツをするとき、心臓の動悸や激しい息づかい、軋む筋肉の悲鳴などで身体を意識することもあるだろう。スポーツと同様肉体労働に従事する人は常に身体と一緒に仕事をする意識を持っている。

 

現代の生活は様々な道具や機械によって環境を住みやすく安定させたため身体への意識は薄らいでいる。暑さや寒さからの影響も従来とは比較にならない。身体への意識が希薄になるとき、それを郷愁のように深奥から呼び覚ますのがセックスや酒、嗜好としての食や身を揺さぶる音楽だろう。ジョギングなどのスポーツも同様だ。

こちらから身体に働きかけずとも身体の側から意識させるのが病気や障碍なのだ。その時健康はありがたい、普通に生活できる身体は道具として実に有り難いものだと理解する。

 

 では冒頭に述べた「健康は身体を意識しない状態だ」は本当だろうか。この稿で貫いてきた考えはその小さな身体観からの脱出を意味している。身体は自己存在そのものなのだ。「身体は動物として存在すると同時に文化である」と書いた。私たちは生涯を通して自らの身体を文化的に創造する。文化が身体を通して育まれてきたように己の身体自体を文化として所有しているのだ。

 

 私はこの原稿である程度身体に対する思いを整理しようと考えた。九年に亘って書いてきたことを俯瞰してそれなりの道標が出来るのだろうと軽く思っていた。しかし、書けば書くほど迷宮に彷徨い、出口が見つからなくなってしまった。結局、若い時愛読し、実弟清六氏の家まで訪ねた宮澤賢治にすがることになってしまった。

 

 畢竟身体は蜃気楼のように追えば逃げてしまう存在なのだろう。浅学非才が追っても炎天の逃げ水さながら永遠に掴むことは困難なものだ。安直だが、だからこそ人生は豊かに楽しめるものとしてこの稿を閉じることにしよう。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

俳句とからだ 110

連載俳句と“からだ” 110

 

 

愛知 三島広志

 

疥癬とノーベル賞

 疥癬は感染力の強い皮膚病のことである。ヒゼンダニというダニが皮膚に寄生し潜り込むことで生じる難治の感染症である。症状は激しく夜間、掻痒で苦しむことになる。痒みの原因はダニに噛まれることではなく、ダニの糞や抜け殻などによるアレルギー反応である。診断は顕微鏡下でヒゼンダニを確認することで確定するが現実にはなかなか捕捉できない。そこで腹や腋など皮膚の柔らかいところに生じる発赤、指の股などに形成されるダニの通り道である疥癬トンネル、男性陰部にできる結節などで推測する。

 

桜満開おのが身に皮膚いちまい

辻美奈子

 

特に免疫力の低下した高齢者の集まる施設や医療機関では疥癬が発生しやすい。そこで施設などでは予防に細心の注意を払っている。それでも上手の手から水が漏る様に発生することがある。以前は対処する薬が開発されていなかったので患者を隔離し、清潔を保ちながら治癒を待つしか方法が無かった。従事者自身が感染しても免疫力が強い場合、自身は発症しないため感染に気づかず伝染経路となることがある。そこで厳しい防護が求められる。防護に気を遣うため日常業務が極めて圧迫されてしまうことになる。

 

疥癬はノロウイルスやインフルエンザのように罹患しても死に至ることはないが伝染しやすい上に体力の低下を招き他の疾患に罹る恐れも生じるので何としても感染の拡大を納める必要がある。しかし疥癬は菌やウイルスと異なりダニという寄生虫なので抗生剤や抗ウイルス剤が奏功せず、しかも卵を産みながら代替わりして生息するため駆逐が困難なのだ。

 

シリウスの青眼ひたと薬喰

   上田五千石                 

 

ところが1993年、イベルメクチンという特効薬が発売された。当初この薬は動物の寄生虫に対しての有効性が評価され犬のフィラリアなどに使用されてきた。その後、海外では人への安全性が認められアフリカ大陸などで多くの人の病気治癒に貢献してきた。そして遅ればせながら日本でも2006年から疥癬の薬として使用が許可されたのだ。

 

この薬を発見開発した人は日本人である。北里大学特別栄誉教授大村智先生。2015年度のノーベル生理学・医学賞を受賞された時の人だ。動物薬としての利益を元にアフリカの人々に無償で提供され多くの人を失明から救っていると、薬効だけでなくその人道的支援も高く評価されている。

 

駆けのぼる天馬に虹の橋架けよ

 鷹羽狩行

| | コメント (0) | トラックバック (0)

俳句とからだ 109

連載俳句と“からだ” 109

 

 

愛知 三島広志

 

小鳥来る

 杉山久子さんから句集『泉』を戴いた。杉山さんは山口県在の藍生の仲間だ。瀟洒なお身体で四国八十八カ所を巡り切るという難行を足の疲労骨折を代償に成し遂げられた頑張り屋さんである。『泉』は『春の棺』『鳥と歩く』に続く第三句集。コンスタントに上梓されているところにも彼女の頑張り屋さんの一面を窺い知ることが可能だろう。

 従前より彼女に抱いている印象は天性の詩情に恵まれていることと、たぐいまれなユーモアの持ち主ということだ。それらの特徴はこの句集からも読み取ることができる。しかしそれだけではない。彼女の別の顔も仄かに見えてくるようだ。若さと共に湧いてきた詩情は齢を重ねるうちに枯渇する。どうしても自己模倣になってしまうのだ。杉山さんはそこを四国巡りで疲労骨折した足でしっかりと踏ん張り、新しい顔を見せてくれている。

 

 小鳥来る旅の荷は日にあたゝまり

 

句集の帯に書かれている句だ。この緩やかな調べは彼女の中に棲む天性の詩人を思わせる。彼女は第二回芝不器男俳句新人賞を受賞している。掲句からは不器男の「永き日のにはとり柵を越えにけり」と同質の詩性を感じないだろうか。柵を越える鶏と日にあたたまる旅の荷。時間がゆったりと詠まれている。どちらの句もただ事の中に潜む詩情を見事に紡ぎ出しているのだ。「雪うさぎ星を映さぬ眼をもらふ」「水の香の灯を入れしより風の盆」なども煌めく詩性が眩しい。

 

手が伸びて昼寝の子らをうらがへす 

みゝづくをみるたびねむくなつてゆく

 露の夜にたふれふすともハイヒール

 

これらの句にはユーモアを感じるがそれはむしろイロニーと言ったよいかもしれない。俳句の中から優しい皮肉がこちらを覗いているのだ。

 

 日盛や足音のしてもうはるか

花吹雪先ゆく人をつゝみけり

 

 気づけば遙かになっている人。花に隠されている人。先へ行き追いつけない人への寂しさ。生きてあることの根底にある空虚感が読む者に迫ってくる。

 

夏帽子たれのものでもなくなりぬ

うたゝねの手袋の指組まれあり

 

夏帽子や手袋が喪失する人や時間を示唆している。うたた寝は生中の死だ。生きるとは、老いていくとは詰まるところ様々なものを喪失していく過程にに他ならないのだ。彼女の視線が次第にそちらを深めていると思える句集だった。

 

枇杷の種吐く一日を生きのびて

 生きてゐる冬の泉を聴くために

| | コメント (0) | トラックバック (0)

俳句とからだ 108

連載俳句と“からだ” 108

 

 

愛知 三島広志

 

考える人

 仕事でナーシングホームを訪れることが多い。ある方の部屋へ入ると壁に有名な広隆寺の木造「弥勒菩薩半跏思惟像」の写真が掲げてあった。おそらく親の安穏とした暮らしを望む家族が持ってきたのだろう。あるいは今は眠るだけで語ることも出来ないその方が大好きだった仏像だったのかもしれない。

 

 この弥勒菩薩は形式に決まりがあり、台座に腰掛けて左足を着地し、右足先を左大腿部に載せ半跏(片脚のあぐら)を組み、上になった右膝の上に右肘をつき、右手の指先を軽く右頰に触れて思惟する姿である。左手は右足首に置かれている。この姿勢は日常生活でもよく見られるだろう。人は考え事をするとき、片手を頬や顎、額に触れる。あるいは腕組みをして首を項垂れて集中する。

 

鉦たたき弥勒生るる支度せよ

恩田侑布子

 

 人は自分自身に集中するとき、即ち中心化するとき、肘を折り畳んで身体をコンパクトにする。そして手で身体のどこかに触れる。それは額や頬、顎や胸である。そして思考を諦めたとき両手を挙げ「Oh! My God!

と叫ぶ。
お手上げになるのだ。
人はリラックスするとき、思考状態と逆に両手を展げ、脱中心化し、空気を一杯取り込んで環境と同化する。

両腕を解放すると思考停止

、脳が休憩する。

集中するときは手に汗を握って腕を緊張させてしまう。
映画を観て興奮すると腕が妙に疲れるのはこのためである

 

沈思黙考ふところ手解く気力なし

吉田未灰

 

 半跏思惟像を観ながらそんなことを考えているうちにふと、西洋の巨匠の名作「考える人」を思い出した。オーギュスト・ロダンによるこの著名なブロンズ像も脚こそ組んでいないが、右手を顎に当てて沈思黙考しているように見える。優美な半跏思惟像と筋骨逞しい男性像がほぼ同じ姿勢でいずれも思考をしていると見做されているのは極めて興味深い。

 

もともとロダンはこのブロンズ像を「詩人」と名付けていたようである。そして表している人はロダン本人とか、『神曲』の作者ダンテであるという説もあるそうである。ロダンの死後、作品を鋳造したリュディエが「考える人」と命名したことが通説となっているが、このタイトルによってこの像の価値が普遍的に広がったと思える。タイトルが「ロダン」や「ダンテ」と個人名に限定されていたとすると、これほどの普遍的な人気は得られなかったのではないだろうか。

 

ロダンの首泰山木は花えたり

角川源義

| | コメント (0) | トラックバック (0)

俳句とからだ 107

連載俳句と“からだ” 107

 

 

愛知 三島広志

 

山の向こうは

 今江祥智の処女作「山のむこうは青い海だった」は痛快な少年小説だ。すぐ赤くなることでピンクちゃんと呼ばれていたひ弱な少年が夏休みの冒険を通して成長する様子がユーモアたっぷりに描かれている。読んで実に心地よい。作品の最後に一編の詩が紹介されている。私はこの作品を中学の時読み、その詩も暗記した。この詩を個人紙に書いたところある年配の方が「昔、教科書で読んだ詩だ」と教えて下さった。調べると昭和8年から昭和20年まで使われた「小学国語読本巻き二」の巻頭の詩であると分かった。

 

山ノ上(作者不詳)

ムカフノ 山ニノボッタラ、/山ノ ムカフハ村 ダッタ、/タンボノ ツヅク村 ダッタ。//ツヅク タンボノソノ サキハ、/ヒロイ、ヒロイ海 ダッタ、/靑イ、靑イ海 ダッタ。//小サイ シラホガ二ツ、三ツ、/靑イ 海ニウイテ ヰタ、/トホクノ 方ニウイテ ヰタ。

 

 この詩は小説の本意を見事に表現している。掲載された教科書の時代を考えると国は少年たちに海外雄飛の思いを植え付けたかったのかもしれないが少年少女に前向きの晴れ晴れとした息吹を与える大らかな詩だ。

 

 この詩を読むとき、私たちの心身は言葉と共に向こうの山へ登る。そして麓に広がる村の田圃を想像する。更にその先の海まで視線が伸び、同時に身体もそこまで拡大するかのように感じる。そして深々と深呼吸するかのごとき感覚に浸る。何故なら文化的身体は生物学的身体と異なり皮膚内に留まらないからだ。この詩の良いところは視線を遙か海原の白帆に止めているところだ。ここに少年の希望や目的が象徴されているようだ。似たような詩に次の知られた作品がある。

 

山のあなた

カール・ブッセ 上田敏訳

山のあなたの空遠く/「幸」住むと人のいふ。//噫、われひとゝ尋めゆきて、/涙さしぐみ、かへりきぬ。//山のあなたになほ遠く/「幸」住むと人のいふ。

 

 こちらは挫折と憧憬の狭間で苦悩する青年の思いだ。前の作品が少年の憧憬に留まっているところとは異なる。

更に人生経験を踏むと身体は拡大しようともしなくなる。例えば室生犀星の『小景異情』では「ふるさとは遠きにありて思ふもの/そして悲しくうたふもの」と、もはや故郷へ身体は向いていない。「よしや/うらぶれて異土の乞食となるとても/帰るところにあるまじや」と自ら閉ざしてしまう。これは悲哀に満ちた多くの中年以降の人の人生観だろう。

しかし何歳になっても誰もが少年時代にそうであったように身体を解放していたいものだ。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

俳句とからだ 106

連載俳句と“からだ” 106

 

 

愛知 三島広志

 

開かれた身体

 私たちの身体は様々な膜に覆われて形成されている。膜とは一般的に面積に対して厚みが無視できるほど薄い軟性の物質で中身を包むものを指す。生物学的には脳脊髄を包む髄膜(硬膜、くも膜、軟膜)、身体の内側を保護する粘膜、内臓を包む漿膜、胸腔と腹腔を境する横隔膜、筋肉を包む筋膜、骨を包む骨膜などたくさんある。意外なことに身体の一番外側にある皮膚は膜に含まれない。何故なら皮膚は厚みがあるからだ。しかし、ここでは身体を包み環境との境界形成と身体内部の保護を行う皮膚を膜として考える。

 

 皮膚は身体の形を形成している。皮膚という強靱な革袋が私たちの身体の形を維持している。同時に皮膚は痩せたり太ったりする体型の変化に適応する。また、日常の動作でも腕の曲げ伸ばしや躯幹のねじりなどに柔軟に対応している。そこでともすると皮膚は非常に柔らかいものと勘違いするが、手近な革鞄を手にすればわかるように皮膚は極めて頑健で伸縮しないのだ。そこで関節部にはタックがあり動きを阻害しない構造になっている。

 

山門をぎいと鎖すや秋の暮 正岡子規

 

私たちの身体は環境物質を集積して創られている。身体は環境を内包していると言っていいだろう。皮膚はそうした身体と環境の境界にあって、身体の内部を個体として環境から区切り、保護すると同時に環境から必要な物質を取り入れ、不要な物質を排泄するという交流を行っている。つまり身体は閉ざされた存在ではなく取り巻く環境と物質およびエネルギーを交換している開放系なのだ。開放系は本来熱力学の用語だが、身体を比喩的に考えるときにも使用される。

 

 遠き木の鴉を放つ夕立かな 岸本尚毅

 

ともすれば私たちは身体を環境から孤立もしくは閉鎖している存在と感じていることが多い。環境を人間関係と置き換えると分かり易い。ゆとりのない佶屈な人間関係の中では人々は皮膚を緊張させ、筋肉を固め、胸を閉じ、心を鬱ぎがちだ。このことは自然環境の温度変化を考えても理解できる。厳しい寒さにさらされると同じように皮膚が緊張し、筋肉を固め身体が縮こまる体験は誰もがしている。これは環境に対して閉鎖しようとするあり方だ。

 

 現代社会にあって環境との共存はもっぱらエアコンなどの機器に依存しているが、散歩をしたり、名曲に浸ったり、あるいは美酒美食に時を委ねるとき、身体は細胞がひとつひとつ溶解するように環境と同化する。そのとき、身体は開かれゆとりと創造が享受できるのだ。

 

寒星や魂の着る人の肌 三島広志

| | コメント (0) | トラックバック (0)

俳句とからだ 105

連載俳句と“からだ” 105

 

 

愛知 三島広志

 

平常にある不思議

 栗島弘氏から句集『水仙の閂』を頂いた。『遡る』『百物語』に続く第三句集で氏はこれを「まちがいなく最後の句集」と位置づける。

 

 氏の俳句を一言で説明するなら日常の身の周りにある平明な現象を平明な言葉で平明に表現されていることだ。ところがこの三つの平明が曲者で読者はいつの間にか栗島ワールドへ引き込まれることになる。

 

 有体に言へば粗末な裸かな

衣更へてこの身ひとつといふことか

 

自画像だろう。上五の「有体に言へば」の一句でその粗末な裸がリアルに立ち上がってくる。この上五は元々必要ないのだが、どうしてなかなかの曲者なのだ。次の句の「いふことか」も同様に不思議な世界を作り出す。

 

 鰻屋の火を落したる小雨かな

 

小粋な句だ。この句のいのちは下五「小雨かな」。喧噪の一日を終えた鰻屋が炭火を消す。表には人々の疲れを鎮静するかのように小雨が降っている。静謐な景に読み手は安堵する。

 

 蕎麦洗ふ九月の水を手づかみに

 

上質な写生句だ。九月というと蕎麦好きはもうすぐ出る新蕎麦を心待ちにしている頃だ。その古い蕎麦を丁寧に洗う様子が「手づかみ」で十分に表現されている。

 

 あきらめてしまへばもとの寒さかな

 なんとなく祭の端にをりにけり

 

この人を食ったような句がこの人の真骨頂だろう。飄々と肩の力が抜けている洒脱さと根底にある寂しさ。

 

 ふきのたうきのふは人を弔うて

 人送る手に一本の青芒

 

 氏は『水仙の閂』を最後の句集と位置づける。それはそういう年齢にあるということだ。静かに老いて老いを閑かに見つめる。そこには払いきれない老いや命への不安が見えてくる。

 

 榾足して榾足してまださびしいぞ

 夕桜いましがたまで人のゐて

 もう少し生きる途中の桜かな

 

 氏の根底にあるさびしさ。これは誰にでも存在する。その存在を過不足無く共感させる措辞。そこに作者としての力量が問われるのだ。次の句、平明にして深く、人に共通するさびしさを読者の中から掘り出してくれる。

 

 盆の月自分の箸を洗ひけり

| | コメント (0) | トラックバック (0)

俳句とからだ 104

連載俳句と“からだ” 104

 

 

愛知 三島広志

 

時は流れ時を刻む

 仕事部屋には時計がない。iPadのディスプレイに文字盤を表示し時計代わりとしている。その時計を眺めていてふと気づいたことがある。昔から家にあった時計はカチコチと時を刻んでいたが、この時計は時を刻まないのだ。古い時計は振り子や歯車がメトロノームのように小刻みな音を立て、文字盤を見ずとも、時報を聞かずとも常に空間に時を知らせていた。あえて時計を見なくても静寂の中を時が去りゆく、あるいは迫ってくる有り様が身体にしみ込んで理解できたのだ。

 

しかし、iPadの秒針はただひたすら静かに滑らかに回転しており、内部はデジタルなガジェットにも関わらずディスプレイ上ではアナログに動いている。

 

子を殴ちしながき一瞬天の蟬

秋元不死男

 

 時はいつから始まり、いつまで続くのかは不明だが現在のところは悠久に流れている。その時の流れの一瞬、瞬とは「またたき」のことだ。時計がカチと瞬間を刻むとき、それを時刻と呼ぶ。そして時刻と時刻の間が時間となる。

人類は時間を社会で共有するため様々な方法を用いた。最初はおそらく日の出と日の入り、そして南中という基準をおおざっぱに分節して社会共通の時刻としただろう。その後、物理的に共通化するため時計が考えられた。影を用いた日時計、物の落下を利用した水時計や砂時計、線香や蝋燭、火縄などを燃やした燃焼時計など。そして11世以降、振り子や発条を用いた機械時計が作られたという。現在の時計はほぼ誤差が無い電子時計となっている。

 

時計屋の時計春の夜どれがほんと

 久保田万太郎

 

 機械的に測定できる物理的な時間に対し、私たちは体験的に時間の長さの違いを感じている。若いときの一年は長かったが年々一年が短くなるとは誰もが述べる感慨だ。愉しいときは瞬時に去り、辛い時間は苦しく長く、詰まらない時間は無駄に長い。また同じ一時間でも有意に過ごして満ち足りたこともあれば無駄に浪費して虚しく後悔することもある。

 

 船のやうに年逝く人をこぼしつつ

矢島渚男

 

 「人生とは畢竟有限な時間である」とは以前私のオフィスに来たアメリカ人の言葉だ。彼は前回土壇場で仕事をキャンセルしたお詫びに今日は二回分払うと言いはった。それを私が固辞したときの言葉がこれである。続けて言った。「僕はあなたの貴重な人生の時間を無駄に奪ってしまったから二回分払わせてくれ」と。これには頷かざるを得なかった。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

俳句とからだ 103

連載俳句と“からだ” 103

 

 

愛知 三島広志

 

科学

 先回に続いて今月も名古屋市高年大学鯱城学園で講義をして気づいたこと。講義は学問の一般性と特殊性の違いから始める。つまり概論と個別論の違いだ。概論はその根底に人間とは何か?とか、よりよく生きるとは?という基本的な命題を含有している。それのない個別論だけが突っ走ると、よかれと思っていた研究が破壊兵器につながることにもなりかねない。ダイナマイトの発明で知られるアルフレッド・ノーベルは、実は兵器製造開発で莫大な財産を築いていた。彼は死後の自身の評価が死の商人として喧伝されることを危惧し、遺産で科学によって人類のために寄与した人を賞するノーベル賞を創設するよう遺言したという。ダイナマイトを何の目的でどのように用いるかを決定するのは人間である。ここをきちんと論理化したものが概論となる。

 講義の概論として医学と医療の違いについて説明した。簡単に言えば医学は科学、医療は技術となる。医学は人間一般を医学的に研究し、その成果を臨床に活かす技術が医療なのだ。次に科学の説明をした。科学(主に自然科学)とはある現象が客観性や数量化、再現性等を通じて証明され、そこで明らかになった本質が一般化されたものである。といっても難しいので「科」という字の説明を行った。この字は「禾」と「斗」からできている。「禾」は禾本科、つまり稲科の植物のこと。「斗」は枡。米の量を枡で測定すること、つまり数量化することだ。米が枡に十杯、これは数量化された客観的で再現性のある事実である。これなら正しい情報として一般化できる。

「科」の字がいつできたのかは知らない。しかし西洋近代科学に大きく後れをとった東洋にも古代から科学的思考はあったということを「科」の字の存在が示している。中国には陰陽五行という怪しげな思考法が存在するが、実は物事の本質を理解するための方法として生み出されたものだ。今日的視点からすれば非科学的と思われるが、当時としては物事の本質を掴み、健康な心身や安定した社会を形成したいという権力者や識者の願いが潜んでいたのである。鍼灸の古典『黄帝内経』に、「あの病者には鬼神が取り憑いているのではないか」という黄帝の問いかけに医師が「物事には必ず原因があります。あの病気にも原因があります。決して鬼神の仕業ではありません」と答えている。

 科学はその成果から原爆や医原病など負の成果を産出してしまった側面がある。だからといって科学的思考全部をアレル、ギー的に阻害すると本質を見失うことになりかねない。物事を相対化、一般化する能力、これが概論に求められていることなのだ。ここに概論で科学を説く必然性があると考える。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

俳句とからだ 102

連載俳句と“からだ” 102

 

 

愛知 三島広志

 

天人合一

 名古屋市高年大学鯱城学園という六十歳以上を対象とした教育機関がある。名古屋市が地域老人会の指導者育成を目的として始めたものだ。私はここで十数年前から講師を依頼されている。内容は東洋医療を分かり易く解説し簡単な実技を行うものだ。しかし、近年は社会的要求から健康寿命(健康余命ともいう)をいかに長く保つかという社会的要求のため介護予防運動指導員で学習したことの還元も行っている。

 

 御天守の鯱いかめしき霰かな

夏目漱石

 

 健康寿命とは比較的新しい概念で日常的に介護を必要としないで、自立した生活ができる生存期間のことである。具体的には平均寿命から介護期間を引いたものが健康寿命となる。厚生労働省2010年の統計では日本人の健康寿命は男性で70.42歳、女性で73.62歳である。平均寿命は男性が79.64歳、女性が86.39歳であるから、男性は9.22年、女性は12.77年が介護を必要とする生存期間となる。

 介護予防とは何らかの介入により平均寿命と健康寿命の差が少なくなることを目的とする。勿論平均寿命を下げる訳にはいかないのでいかにして元気で自立できる期間を長くするかが問題となる。

 

 高年大学鯱城学園での講義も以前は平均寿命を伸ばすためにどうしたらよいかというテーマで漢方由来の考え方を指導していた。しかし現在は学生さんの意識も変化し、健康寿命延長のための食事法など豊富な知識をお持ちである。今日、ただ長生きしたいという甘えが社会的に許されないことをご存じなのだ。

 

痴呆すすむ首振つてゐる扇風機

星野昌彦

 

 中国古典には天人合一という思想が根幹にある。大宇宙である環境と小宇宙である人体をいかに合一させ健康的に長寿を全うするかが問題であった。往時、自然に逆らっては生きていけなかったのだ。何故なら人は環境を変える力を持たなかったからだ。しかし、ここ数十年前からエアコンに代表される機械によって環境を快適化でき、医学も抗生剤やステロイド、その他進歩した薬剤や検査機器を産出し、かなりの病気を快癒調節できるようになった。さらに本来なら亡くなっているはずの人に胃瘻や中心静脈栄養、人工呼吸器等を用いることで命脈を保てるようになった。ここに至って健康寿命と平均寿命が大きく乖離してきたのだ。

 

もはや天人合一、自然随順という思想が通用しなくなってしまった。これは科学技術の進歩とその恩恵の元に発展している医療技術が不自然な平均寿命の延長を生み出したために生じた矛盾でもある。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

俳句とからだ 101

連載俳句と“からだ” 101

 

 

愛知 三島広志

 

道具

 元旦、新聞の束が届く。本紙以外に正月らしい特集が別に組まれている上にたくさんの広告と重なり新聞受けに入りきらない程だ。今年はその中に麺特集があった。一面をめくると知った顔の大将の写真が大きく掲載されている。近所の饂飩屋Tさんだ。麺棒を持ってすっくと立っている写真はハスラーのように決まっている。このお店は客の注文を受けてから麺を目の前で伸ばす。したがって提供までにおよそ四十分費やす。その間を酒と気の利いたアテで楽しむというのがこの店の趣向だ。Tさんが一心に麺を伸ばす様子も酒の肴となる。

 その光景を思い出しながらふと身体と道具の関係に思いを馳せる。Tさんは夜のうちに打っておいた饂飩種を麺台に置くと丁寧に麺棒で伸ばしていく。初めは楕円形に伸びていく饂飩種が次第に長方形に整えられていく。饂飩の厚さや硬さに注意しながら只管麺棒を転がしている。饂飩と掌の間にある麺棒。このシンプルな道具はTさんの身体の延長である。即ちその時点で棒は身体の異物でありながら身体の延長拡大したものとなっているのだ。道具とはそれ自体何事もない物体だが用い方によって身体化するのだ。

 

 SF映画の名作『2001年宇宙の旅』の冒頭、サルが動物の骨を武器として用いるというシーンがある。人類が道具を得た瞬間だ。そしてその骨を空高く放り投げると宇宙船に変わる。サルがヒトになる人類史を示唆した印象的なシーンだがそれは同時に道具が身体を離れて機械化するという象徴でもある。この名作映画のプロローグはそれを見事に表現している。

 

 ヒトは道具を用いることで文明を形成した。実は他の動物でも道具を用いる例が知られている。しかし道具を作るのは人類だけだ。道具を作る道具を二次道具と呼ぶらしい。異説もあるが言語もまた道具の一つである。人類は言語と火を含めた道具を使用することで動物から独立した存在となった。

 

 道具はそれ自体動力を持たない。道具が与えられた動力をさらに有効に変化させて効率化したり(例:ミシン)、道具自らが動力を生み出す場合(例:自動車)は機械となる。器械は道具と機械の中間であろう(例:糸巻き器)が、この辺りは諸説ある。しかも近年は機械に自動制御システムが与えられたロボットが一般化している。しかしそれも元は『2001年宇宙の旅』で示唆されたように骨のような自然物を身体の延長化して用いることから始まった訳だ。俳句もまた五七五と季語という道具と見立てることができる。後はどう用いるか。どこまで身体化できるかということだろう。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

« 2015年3月 | トップページ | 2017年1月 »