俳句とからだ 109
連載俳句と“からだ” 109
愛知 三島広志
小鳥来る
杉山久子さんから句集『泉』を戴いた。杉山さんは山口県在の藍生の仲間だ。瀟洒なお身体で四国八十八カ所を巡り切るという難行を足の疲労骨折を代償に成し遂げられた頑張り屋さんである。『泉』は『春の棺』『鳥と歩く』に続く第三句集。コンスタントに上梓されているところにも彼女の頑張り屋さんの一面を窺い知ることが可能だろう。
従前より彼女に抱いている印象は天性の詩情に恵まれていることと、たぐいまれなユーモアの持ち主ということだ。それらの特徴はこの句集からも読み取ることができる。しかしそれだけではない。彼女の別の顔も仄かに見えてくるようだ。若さと共に湧いてきた詩情は齢を重ねるうちに枯渇する。どうしても自己模倣になってしまうのだ。杉山さんはそこを四国巡りで疲労骨折した足でしっかりと踏ん張り、新しい顔を見せてくれている。
小鳥来る旅の荷は日にあたゝまり
句集の帯に書かれている句だ。この緩やかな調べは彼女の中に棲む天性の詩人を思わせる。彼女は第二回芝不器男俳句新人賞を受賞している。掲句からは不器男の「永き日のにはとり柵を越えにけり」と同質の詩性を感じないだろうか。柵を越える鶏と日にあたたまる旅の荷。時間がゆったりと詠まれている。どちらの句もただ事の中に潜む詩情を見事に紡ぎ出しているのだ。「雪うさぎ星を映さぬ眼をもらふ」「水の香の灯を入れしより風の盆」なども煌めく詩性が眩しい。
手が伸びて昼寝の子らをうらがへす
みゝづくをみるたびねむくなつてゆく
露の夜にたふれふすともハイヒール
これらの句にはユーモアを感じるがそれはむしろイロニーと言ったよいかもしれない。俳句の中から優しい皮肉がこちらを覗いているのだ。
日盛や足音のしてもうはるか
花吹雪先ゆく人をつゝみけり
気づけば遙かになっている人。花に隠されている人。先へ行き追いつけない人への寂しさ。生きてあることの根底にある空虚感が読む者に迫ってくる。
夏帽子たれのものでもなくなりぬ
うたゝねの手袋の指組まれあり
夏帽子や手袋が喪失する人や時間を示唆している。うたた寝は生中の死だ。生きるとは、老いていくとは詰まるところ様々なものを喪失していく過程にに他ならないのだ。彼女の視線が次第にそちらを深めていると思える句集だった。
枇杷の種吐く一日を生きのびて
生きてゐる冬の泉を聴くために
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