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2015年12月30日 (水)

俳句とからだ 106

連載俳句と“からだ” 106

 

 

愛知 三島広志

 

開かれた身体

 私たちの身体は様々な膜に覆われて形成されている。膜とは一般的に面積に対して厚みが無視できるほど薄い軟性の物質で中身を包むものを指す。生物学的には脳脊髄を包む髄膜(硬膜、くも膜、軟膜)、身体の内側を保護する粘膜、内臓を包む漿膜、胸腔と腹腔を境する横隔膜、筋肉を包む筋膜、骨を包む骨膜などたくさんある。意外なことに身体の一番外側にある皮膚は膜に含まれない。何故なら皮膚は厚みがあるからだ。しかし、ここでは身体を包み環境との境界形成と身体内部の保護を行う皮膚を膜として考える。

 

 皮膚は身体の形を形成している。皮膚という強靱な革袋が私たちの身体の形を維持している。同時に皮膚は痩せたり太ったりする体型の変化に適応する。また、日常の動作でも腕の曲げ伸ばしや躯幹のねじりなどに柔軟に対応している。そこでともすると皮膚は非常に柔らかいものと勘違いするが、手近な革鞄を手にすればわかるように皮膚は極めて頑健で伸縮しないのだ。そこで関節部にはタックがあり動きを阻害しない構造になっている。

 

山門をぎいと鎖すや秋の暮 正岡子規

 

私たちの身体は環境物質を集積して創られている。身体は環境を内包していると言っていいだろう。皮膚はそうした身体と環境の境界にあって、身体の内部を個体として環境から区切り、保護すると同時に環境から必要な物質を取り入れ、不要な物質を排泄するという交流を行っている。つまり身体は閉ざされた存在ではなく取り巻く環境と物質およびエネルギーを交換している開放系なのだ。開放系は本来熱力学の用語だが、身体を比喩的に考えるときにも使用される。

 

 遠き木の鴉を放つ夕立かな 岸本尚毅

 

ともすれば私たちは身体を環境から孤立もしくは閉鎖している存在と感じていることが多い。環境を人間関係と置き換えると分かり易い。ゆとりのない佶屈な人間関係の中では人々は皮膚を緊張させ、筋肉を固め、胸を閉じ、心を鬱ぎがちだ。このことは自然環境の温度変化を考えても理解できる。厳しい寒さにさらされると同じように皮膚が緊張し、筋肉を固め身体が縮こまる体験は誰もがしている。これは環境に対して閉鎖しようとするあり方だ。

 

 現代社会にあって環境との共存はもっぱらエアコンなどの機器に依存しているが、散歩をしたり、名曲に浸ったり、あるいは美酒美食に時を委ねるとき、身体は細胞がひとつひとつ溶解するように環境と同化する。そのとき、身体は開かれゆとりと創造が享受できるのだ。

 

寒星や魂の着る人の肌 三島広志

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