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2015年12月30日 (水)

俳句とからだ 103

連載俳句と“からだ” 103

 

 

愛知 三島広志

 

科学

 先回に続いて今月も名古屋市高年大学鯱城学園で講義をして気づいたこと。講義は学問の一般性と特殊性の違いから始める。つまり概論と個別論の違いだ。概論はその根底に人間とは何か?とか、よりよく生きるとは?という基本的な命題を含有している。それのない個別論だけが突っ走ると、よかれと思っていた研究が破壊兵器につながることにもなりかねない。ダイナマイトの発明で知られるアルフレッド・ノーベルは、実は兵器製造開発で莫大な財産を築いていた。彼は死後の自身の評価が死の商人として喧伝されることを危惧し、遺産で科学によって人類のために寄与した人を賞するノーベル賞を創設するよう遺言したという。ダイナマイトを何の目的でどのように用いるかを決定するのは人間である。ここをきちんと論理化したものが概論となる。

 講義の概論として医学と医療の違いについて説明した。簡単に言えば医学は科学、医療は技術となる。医学は人間一般を医学的に研究し、その成果を臨床に活かす技術が医療なのだ。次に科学の説明をした。科学(主に自然科学)とはある現象が客観性や数量化、再現性等を通じて証明され、そこで明らかになった本質が一般化されたものである。といっても難しいので「科」という字の説明を行った。この字は「禾」と「斗」からできている。「禾」は禾本科、つまり稲科の植物のこと。「斗」は枡。米の量を枡で測定すること、つまり数量化することだ。米が枡に十杯、これは数量化された客観的で再現性のある事実である。これなら正しい情報として一般化できる。

「科」の字がいつできたのかは知らない。しかし西洋近代科学に大きく後れをとった東洋にも古代から科学的思考はあったということを「科」の字の存在が示している。中国には陰陽五行という怪しげな思考法が存在するが、実は物事の本質を理解するための方法として生み出されたものだ。今日的視点からすれば非科学的と思われるが、当時としては物事の本質を掴み、健康な心身や安定した社会を形成したいという権力者や識者の願いが潜んでいたのである。鍼灸の古典『黄帝内経』に、「あの病者には鬼神が取り憑いているのではないか」という黄帝の問いかけに医師が「物事には必ず原因があります。あの病気にも原因があります。決して鬼神の仕業ではありません」と答えている。

 科学はその成果から原爆や医原病など負の成果を産出してしまった側面がある。だからといって科学的思考全部をアレル、ギー的に阻害すると本質を見失うことになりかねない。物事を相対化、一般化する能力、これが概論に求められていることなのだ。ここに概論で科学を説く必然性があると考える。

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