俳句とからだ 101
連載俳句と“からだ” 101
愛知 三島広志
道具
元旦、新聞の束が届く。本紙以外に正月らしい特集が別に組まれている上にたくさんの広告と重なり新聞受けに入りきらない程だ。今年はその中に麺特集があった。一面をめくると知った顔の大将の写真が大きく掲載されている。近所の饂飩屋Tさんだ。麺棒を持ってすっくと立っている写真はハスラーのように決まっている。このお店は客の注文を受けてから麺を目の前で伸ばす。したがって提供までにおよそ四十分費やす。その間を酒と気の利いたアテで楽しむというのがこの店の趣向だ。Tさんが一心に麺を伸ばす様子も酒の肴となる。
その光景を思い出しながらふと身体と道具の関係に思いを馳せる。Tさんは夜のうちに打っておいた饂飩種を麺台に置くと丁寧に麺棒で伸ばしていく。初めは楕円形に伸びていく饂飩種が次第に長方形に整えられていく。饂飩の厚さや硬さに注意しながら只管麺棒を転がしている。饂飩と掌の間にある麺棒。このシンプルな道具はTさんの身体の延長である。即ちその時点で棒は身体の異物でありながら身体の延長拡大したものとなっているのだ。道具とはそれ自体何事もない物体だが用い方によって身体化するのだ。
SF映画の名作『2001年宇宙の旅』の冒頭、サルが動物の骨を武器として用いるというシーンがある。人類が道具を得た瞬間だ。そしてその骨を空高く放り投げると宇宙船に変わる。サルがヒトになる人類史を示唆した印象的なシーンだがそれは同時に道具が身体を離れて機械化するという象徴でもある。この名作映画のプロローグはそれを見事に表現している。
ヒトは道具を用いることで文明を形成した。実は他の動物でも道具を用いる例が知られている。しかし道具を作るのは人類だけだ。道具を作る道具を二次道具と呼ぶらしい。異説もあるが言語もまた道具の一つである。人類は言語と火を含めた道具を使用することで動物から独立した存在となった。
道具はそれ自体動力を持たない。道具が与えられた動力をさらに有効に変化させて効率化したり(例:ミシン)、道具自らが動力を生み出す場合(例:自動車)は機械となる。器械は道具と機械の中間であろう(例:糸巻き器)が、この辺りは諸説ある。しかも近年は機械に自動制御システムが与えられたロボットが一般化している。しかしそれも元は『2001年宇宙の旅』で示唆されたように骨のような自然物を身体の延長化して用いることから始まった訳だ。俳句もまた五七五と季語という道具と見立てることができる。後はどう用いるか。どこまで身体化できるかということだろう。
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