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2015年3月

2015年3月13日 (金)

俳句とからだ 100

連載俳句と“からだ” 100

 

 

愛知 三島広志

 

青麗

 藍生の連衆高田正子女史より句集『青麗』を頂いた。『玩具』『花実』に続く第三句集である。連衆とは言え彼女の結社を超えた俳壇的活躍はどなたもご存知だろう。句は一読、タイトル通り爽やかで清々しいものだ。

 

 あをあをと山きらきらと鮎の川

 さつと来て緑雨の傘をたたみけり

 

これらは作者の自選十句から引いたが高原を吹き抜ける風を受けるがごとき心地良さがある。

 しかし高田女史はさほど簡単な存在ではない。外面如菩薩内心如夜叉ではないが句の表層に留まると彼女の本当の魅力に気づかないか本質を見失ってしまう。同じ自選十句の中に

 

 よく枯れてたのしき音をたてにけり

 ちと云うて炎となれる毛虫かな

 

という句がある。本来忌むべき「枯れる」ことを「よき」といい「たのしき」と表す。さらに毛虫が焼ける状況を「ちと云うて炎」になったとさり気なく淡々と述べているのだ。ここに彼女の懐の広さ深さが感じられる。

 彼女の句の魅力は次の句にも出ている。

 

 見ゆるものみなかげろふにほかならず

 ゆつくりと凍るゆふべを梅の花

 

これらのゆったりした調べ。具体的なものは「陽炎」「梅の花」だけしかない。その息遣いは深く広い。調べがなめらかでたったの五七五とは思えない豊かな空間が示される。これを彼女の句の正の魅力としよう。では次の句はどうだろう。

 

 ほほけねば翁草とは言へねども

 氷とけてしまへば何も無きところ

 雪吊りの仕上がらぬまま昼休み

 

さり気なく屈折している。この斜めに構えた視点も彼女の特徴だ。これを負の魅力としよう。

 

 一見端正で清楚、静謐なイメージの女史の俳句にはこうした捻られた魅力が随所に見られる。これが彼女の器を大きくしているに違いない。さらに

 

 軽鳧の子の大きくなつて一羽きり

 ゆふがほのおほきな一顆風の奥

 

に見られる孤独へ共感する視線。集中「ひとつ」を詠んだ句が多く見られたのは彼女の胸中にある寂しさと現象の有する孤独が呼応したからではないだろうか。

 

 その他、以下の句などに感動した。

 

へちまよりへちまの札のなほ長し

 灯せば人還りくる桜かな

六月や夜風の色の旅衣

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俳句とからだ 99

連載俳句と“からだ” 99

 

 

愛知 三島広志

 

舞とマイム

 秋風が心地よく感じられる頃、知人の紹介でパントマイムを観に出かけた。パントマイムとは無言劇や黙劇と訳されるようにセリフがなく身体や表情で表現する演劇の一形態だ。マルセル・マルソーは特に知られたマイム俳優だろう。猿の形態模写で知られたマルセ太郎は彼に因んで芸名を付けたという。

 その日のパフォーマーは奥野衆英と二人のミュージシャからなる「エ・ヴィ・ダンス」というスリーピースバンドだった。奥野は主にフランスで活動しておりマイムというジャンルに因われない自由な身体的表現を追求、ヨーロッパで高い評価を得ている。先のマルセル・マルソー最晩年の弟子でもある。

 冒頭、奥野は腰に布を纏っただけの裸でステージに立った。暗転から光が差した途端、鍛えられた身体が激しく動き出す。裸体の奥野を観た瞬間、難解な大駱駝鑑か山海塾のような暗黒舞踏を想像したが、奥野のそれはテーマが明快で生物の形態を情念とともに模写するものであった。初めは鳥、鳥を狙う獣、獣を狩る人。これらを鬼気迫る身体表現で演じ、開場早々の場内を緊張感で包み込んだ。私はその演技に圧倒されながら全く関係ない中国の五禽戯という古い健康体操を想起していた。それは虎、鹿、熊、猿、鳥になりきることでその力を得ようとするものだ。奥野の表現はその迫真性からそれぞれの動物の魂が彼に乗り移ったかのように激しいもので身体の形態と動作のみで観客の心を引きつけた。

 

帰国してパリにつながる鰯雲

小間さち子

 

 次のパフォーマンスはステージに電車のドアの開閉の映像を重ねて行われた。ドアの開閉毎に織りなされる人間模様。現代人の喜びや失意を身体で演じていた。先の動物の模写が原初の人類誕生に至るまでの道なら、ドアの開閉による演技は現代の人間模様の奥に潜む本質をオムニバスに表現していた。

 その日の圧巻は小惑星探索機はやぶさであろう。宇宙を飛翔する孤独な宇宙船はやぶさをマイム俳優奥野は抑制的に演じていた。両手を広げ屹立する姿は能の立ち姿のようであった。奥野の師マルセル・マルソーが影響を受けたという能。その日の演技からそれが伺われた。抑制の持つ多弁。奥野はステージで一人で宇宙空間とはやぶさを演じきっていた。

 

 ステージで彼は一度だけ言葉を発して身体の持つ雄弁性を語った。「僕、食べていないよ」と子どもが嘘をつく様子を演じながら言葉では嘘をつけても身体では嘘をつけない例を説明してくれたのだ。これはノンバーバルコミュニケーションの原点と思える示唆だった。

 

汗のてのひらを泳がす無言劇

行方克巳

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俳句とからだ 98

連載俳句と“からだ” 98

 

 

愛知 三島広志

 

書くと掻く

 文字を「書く」行為と痒いところを「掻く」行為。意味合いは全く異なるように思える。何故なら漢字という外来の表意文字を用いているからだ。しかし大和言葉で訓読みするとどちらも「かく」となる。「かく」に共通する漢字を探してみよう。書(筆で字を定着させる)、描(手を細かく動かす)、掻(蚤に食われたところを手でかく)、画(区切りをつける)、欠(えぐり取る)、騒(馬が地をかくこと。そこから騒ぐ意)、爬(トカゲが爪で地をかくように歩く。爬虫類に繋がる)。これらは物理的にものでものを鋭く擦る現象を示す。その結果、字を書く、絵を描く、欠いて形を変形させる、皮膚を掻くなどという意味が派生した。

 

永き日やなまけて写す壺ひとつ

水原秋櫻子

 

 古代文字は尖った石等を用いて竹簡や亀甲を掻き、表面を欠いて文字を定着させた。したがって書くことは掻くなのだ。似たような行為に彫刻がある。彫も刻も傷を付けることだ。その行為によって形や影、彩が生まれる。彡は飾りや模様のことで彦や彰や彬にも見られる。何れも形が鮮やかで整っているという意味があり、主に男の名前に用いられる。

 

 古代の文字は掻く行為と同じであったが後世、筆が発明されると掻きつけず塗りつけることで形を定着するようになる。これはさらに後世の万年筆やボールペンなど今日の筆記具にも継承されている。この文章はPCで作成している。これはキーボードを叩くという全く次元の異なる方法で書かれているが紙にプリントする時はインクジェットという技術でプリンターがインクを紙に吹き付けることで字や絵を定着させている。これも筆に近い構造だろう。少し前のドットプリンターは文字を叩き付けて印字していた。これは掻くに類似した方法といえる。

 

人日やふところの手が腹を掻く

鈴木鷹夫

 

 物を書く、画くという行為はあるものを紙などに写すことだ。あるものとは眼前の物体や現象だけでなく脳裡に浮かぶ映像や思考でもある。それらを紙の上に忠実に移す、これが写生だ。俳句や絵画で基礎練習とされる写生はまさに形を見たまま画用紙や原稿用紙に移(写)し、絵や言葉で定着する技法を学ぶことだ。現象を実写する写生は後に心に生じた心象や印象を画く印象派を生み出した。俳句においても写生(子規)から客観写生(虚子)と主観写生(秋櫻子)、さらに実相観入(茂吉)、真実感合(楸邨)などを派生しつつ今日がある。今後どの様な表現がでてくるのか。楽しみである。

 

父となりしか蜥蜴とともに立ち止る

中村草田男

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俳句とからだ 97

連載俳句と“からだ” 97

 

 

愛知 三島広志

 

俳句甲子園

 平成2682324両日、暑い松山市で第17回俳句甲子園決勝大会が行われた。私は第10回から名古屋地区大会の審査員を担当し、今年は招かれて初めて全国大会決勝戦の前日に大街道商店街で開催された予選リーグ戦・決勝トーナメント1・2戦の審査員も経験させていただいた。決勝戦は二年連続で東京代表開成高校と京都代表洛南高校の試合となり、開成高校が連覇した。開成高校は実に17回のうち8回優勝したことになる。決勝前日、私が担当した決勝トーナメント第2戦も開成対洛南で開成が勝ち、洛南は敗者復活で勝ち上がってきた。この両校の白熱した試合は今大会の白眉であろう。直接の戦いではないが兼題「夜店」で詠まれた句を見てみよう。

 喧嘩して夜店の裏を帰りけり 

開成 日下部太亮

 偽物をまとふ少女の夜店かな

洛南 袋布惇一朗

夜店は単に露店を意味するだけではない。お盆の頃開かれる夜店にはこの世とあの世を結ぶある種の光と闇を見て取れる。日下部君の句は夜店の裏を帰るという表現で句に深い世界を描くことに成功している。袋布君の句は偽物をまとうという面白い発見があるが季語の深みという点では一歩劣る。両校の傾向の違いは決勝での直接大会、兼題「生」でも同様季語の理解の相違である。

踏切に立往生の神輿かな

開成 上川拓真

さっきまで生きていたから生トマト

 洛南 下山小晴

洛南は神輿とは神が鎮座するものだから踏切で立往生するのは妙であると批評し、開成は神輿が人為的な踏切で立往生するところに面白みがあると切り返す。生トマトの句はフレッシュな発見があり高く評価されたが季語への切り込みの深さに開成が長けていた。開成は季語の本意を読み取り破綻なく上手い句を作る。対して洛南はそれに因われない鮮度を見せてくれた。新しい感覚の仄めきだ。

 

初めて地区大会の審査員をした第10回、互いの鑑賞がともすると貶し合いのように思えた。そこで講評の時、「俳句を読むとき二段階ある。解釈と鑑賞だ。解釈とは相手の句に敬意を払って字面から映像を読み取る。次に自分の知識、経験を通して映像を更に豊かにする、これが鑑賞だ」と説明した。すると高校生はすぐにその意を汲み見事な鑑賞を始めた。その時の愛知代表は幸田高校で、決勝で開成に負けたが第二位となり、しかも

山頂に流星触れたのだろうか

幸田高校 清家由香里      

という清家さんの句が現在でも語り継がれる最優秀句に選ばれた。そして今年の最優秀句は再び幸田高校の大橋さん。

湧き水は生きてゐる水桃洗ふ  

幸田高校 大橋佳歩

いずれも高校生の枠を超えた新しい俳句の息吹が伝わってくる佳句である。

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俳句とからだ 96

連載俳句と“からだ” 96

 

 

愛知 三島広志

 

矛盾と統一

 私たちは矛盾の中に生きている。生まれた瞬間、死が約束されているという矛盾。成長即ち衰退を内包しているという矛盾。病は悪くなろうとする力と良くなろうとする力の鬩ぎ合いの結果が症状として表面化している。矛盾とは相反する力が相対的に作用し続ける運動構造だ。矛盾を如何に受容して生きていくか、これが人生である。

そもそも身体は約60兆個の細胞が集まって一個の生命体を形成している。細胞はそれ自体一個の生命体である。これら60兆個の生命体を一つの生命体として統一することは大変なことだ。それが私たちの生命である。驚いたことに私たちの細胞は長いもので120日の寿命しか無い。脳や骨格を除けばおよそ4ヶ月で身体は入れ替わっているのだ。じっと見る掌の皮膚はおよそ一ヶ月で入れ替わっている。つまり身体とは細胞が常に死生を繰り返している矛盾体なのだ。

 

女身仏に春剥落のつづきをり

細見綾子

 

多細胞が一生命統一体として存在する。この多を一に統一する構造は周囲に溢れている。国は12000万という個人の集合体だ。したがって国を運営するということは至難の技だ。であればこそ国内に様々な政党や団体が派生し、討議し、離合集散する。意見の統一を目指すために国粋主義や排他主義、あるいは強烈なIconの求心作用を利用する原理主義が用いられるのは歴史的必然だったのだろう。ましてや異文化、異民族、異宗教の集合体である世界がまとまることの困難さ。日本は異国からの侵襲を海によって守られ、しかも近似の言語や文化、宗教を歴史的に共有している島国である。それでも400年前までは国内で戦ばかりをしていたのだから世界平和つまり並存的統一が如何に困難な事業かが想像できる。

 

目つむりていても吾を統ぶ五月の鷹

     寺山修司

 

矛盾点を明確にし、それを乗り越えることを止揚という。これは弁証法だ。西洋哲学の基礎である。ところが東洋では矛盾を矛盾のままに抱えて善しとする場合がある。これを西田幾多郎は「絶対矛盾的自己同一」と呼んだ。これは弁証法のように矛盾からひとつの結論を導き出し思考の発展運動を目指すものではなく、矛盾を矛盾として抱え込むことが新しい思考を生むのであり、決して整然と分節できるものではないということだろう。

 

日本語は光と影、いずれもカゲという。また俳句を作り手は詠み、受け手は読む。即ちどちらも「ヨム」のである。正反対のものでありながら同じ呼び方をする。これもまた矛盾的自己同一であろう。

 

芋の露連山影を正しうす 飯田蛇笏

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俳句とからだ 95

連載俳句と“からだ” 95

 

 

愛知 三島広志

 

脳関門

 身体には不可思議な機能や構造がある。まさに神によって創造されたとしか考えられないこともある。もちろん余りに不可思議故に神の手に依らざるを得ないと考えるのであって不遜と言われるかもしれないが神が創造したのではない。

 

空は太初の青さ妻より林檎うく

中村草田男

 

 不可思議なものの一つに脳関門がある。正式には血液脳関門だ。これは血液と脳脊髄液間の物質交換を制限する機構である。この機構は脳に入ると危険な物質を毛細血管で遮断するシステムだ。脳のエネルギー源であるグルコースやケトン体は脳内に取り込まれるがその他の物質は制御するという素晴らしい機構が脳関門なのである。この働きが弱ると癌細胞や細菌が脳に入ってしまう。

 しかしその関門を簡単に通過する物質もある。アルコール、カフェイン、ニコチン、向精神剤などである。私はこの文章を書くに当り、より明確に理解するために先程まで懇意にしている飲み屋で純米酒を少しずつ七種類嗜んできたが、確かにアルコールによって酩酊という現象が起きることを実感している。残念ながらタバコや向精神剤は服用した経験がないのでアルコールで実験するしか無かったのである。脱法ハーブも脳関門をくぐり抜けるので思考や精神状態に影響を与え、社会的問題を起こしている。アルコールも一歩間違えば飲酒運転のように社会的犯罪を助長する。

 

逆に癌末期の疼痛や精神的苦痛にはオピオイド鎮痛薬(モルヒネ様物質)を用いることによって苦痛を緩和し人生終末の苦しみを解放することが可能である。

 

燭の灯を煙草火としつチエホフ忌

中村草田男

 

 脳関門があまりに強固であれば麻酔も効かず手術は猛烈な痛みを伴う。今日の全身麻酔はすぐ覚める麻酔薬を小刻みに入れることで麻酔の効果をコントロールし、術後は速やかに爽やかに目覚めることが可能となっている。医学技術の進歩は苦痛をかなり緩和できるようになった。

 

 脳関門が完全でないのは神の恩恵かもしれない。酒や麻薬による社会的問題は看過できない。しかし同時にそれによって苦しみから逃避できるのは神の大赦だ。神話や聖書に拠ればパンドラの箱を開け、知恵の実を食べた人は平穏から苦難へと移行せざるを得なかった。しかし神は僅かな隙を作ることで人に逃げ場を与えてくれた。パンドラの箱から出てきた希望のように。脳関門を思う時いつもパンドラを想起するが、決して酩酊故ではない。

 

玫瑰や今も沖には未来あり 

中村草田男

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俳句とからだ 94

連載俳句と“からだ” 94

 

 

愛知 三島広志

 

手当

 医療機器や検査が格段に発展した今日、医師が実際に手を当てることは少ない。しかし今でも医療行為を手当という。巷間「今の医者は患者の身体に手も聴診器も当てない」という不満を耳にする。医師からすると客観的検査データを重要視し、主観的行為である手当は二の次になる。もう一つは多忙の故でもある。

 

新涼や白きてのひらあしのうら

川端茅舎

 

手当はむしろ一部の宗教行為に残された技法だ。オウム真理教の事件以前、街角でしばしば手をかざす宗教勧誘に遭遇した。元々「医」は「醫」と書いた。医は箱に矢、これは膿や血を切って排出するメスを示している(異説あり)。その隣の又は手、几は道具のことで道具を用いる意味(異説あり)。投げるや殴るなどに使われている。医はメスで膿を切開するということだ。下の酉は酒壺。薬草をアルコールで抽出したもの。つまり医師とはメスと薬で治療行為を行う人のことである。ところがもう一つ酉の代わりに巫を用いた「毉」もあり、これは呪術的治療。したがって古い医療行為には呪術的要素も含まれていたと考えられる。お手当が医療行為と宗教行為に跨るのは歴史的なものであり、今日でも患者は医師に対して呪術的側面を期待しているのは苦しみの最中にある人間として当然のことだろう。

 

 手当はもう一つボーナスを意味する。夏期手当、歳末手当である。これは手を当てるという行為が弱っている処を庇い助けるように、ボーナスは弱った家計を助けるからだ。漢方では弱っている人や病状に対して「補」という治療を行う。薬でも鍼でも指圧でも同様である。補は衣編が示すように布を当て補うことであり、訓読すれば「置き縫う」となる。

 

冬薔薇や賞与劣りし一詩人

草間時彦

 

 手当とは弱っている病人や障碍のある方、高齢で命の余力が無くなりつつある人に対し寄り添い、手を当てることであり、さらに拡大延長して抱きしめる「介抱」、見守る「看護」、身の回りを助ける「介護」。いずれも身体を直接提供することで苦しみの中にある人を補い、ついには互いに満足する行為なのだ。

 

 人間関係を触れ合いという。実際に触れることが無いにも関わらずだ。これは手当と同じく行為そのものを示すのではなくその行為の深奥にある心を示している。寄り添ってその人の苦しみに深く切り込んで切々と共感することが親切であるように。

 

除夜の湯に肌触れあへり生くるべし

村越化石

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俳句とからだ 93

連載俳句と“からだ” 93

 

 

愛知 三島広志

 

身体と環境

身体は環境を素材として生成構成され、膜即ち皮膚で環境から区切ることで存在している。身体は環境から相対的に独立した存在だ。しかし、独立したままでは身体を維持することは不可能である。常に環境と交流し続けることで身体維持が可能となるのだ。即ち水や食物を摂取し、酸素と二酸化炭素を交換し、排泄物を環境へ還流させることで身体は保たれる。こうして身体は環境から区切りつつ交流するという矛盾を抱え込むことになる。

 

蝶々のもの食ふ音の静かさよ

高濱虚子

 

禅の瞑想あるいは仕事や趣味に集中して三昧にあるとき、身体は環境と同化している。その間は環境から区切る皮膚の作用を解放し、体内を開放して無の境に近づく。

 

身体が環境を必要以上に区切っている場合、身体は過緊張となり皮膚は過敏、筋肉は凝ってくる。さらに心拍数や呼吸も速くなる。俗に言うアドレナリンがギンギン出ている状態だ。身体は必要に応じて緊張したり緩んだりすることで維持されている。これが必要でないときに緊張や弛緩してしまうと自律神経失調の状態になる。ただし優れたアスリートなどは通常最も緊張する場面でやすやすとリラックスしている。これは天性の部分もあるが多くは凄まじい訓練によって創造されたものだ。

 

春の潮張りては緩む舫い綱

小島雅子

 

環境から身体に入って来るのは生命を維持するための食物や空気だけではない。様々な情報も身体に感覚器を通じて入ってくる。光や音、香や味、温度や硬さなどの触れる感覚。般若心経に眼耳鼻舌身とある通りだ。言語もまた眼や耳を通して(視覚障害者なら指で触れる点字)身体に取り込まれる情報の一つである。感覚器官を通じて取り込まれた様々な情報は脳に反映され認識される。

 

受容された情報は認識され判断決断の後、行動や表現として表出される。この一連は医療なら診察・診断・治療、会社の経営なら市場調査・評価・商品開発と言う具合にあらゆる分野に共通する。

 

俳句という言語情報は耳や眼を通して身体に取り込まれる。身体はその情報を身包みで認識し、意味を解釈することで情報を明確に理解した後、自分の体験や知識、想像力を駆使して鑑賞という創作を行う。

情報の受容・判断・表現はこうして多層的に繰り返される。

 

冬花火からだのなかに杖をつく

大石雄鬼

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俳句とからだ 92

連載俳句と“からだ” 92

 

 

愛知 三島広志

 

月の暦から徒然と

月暦を頂いた。暦に月の満ち欠けが描かれているものだ。しかも旧暦である。現在流通している太陽暦に月の満ち欠けが描かれた暦ではない。ひと月は無月から始まり無月で終わる。したがって社会生活には全く役に立たない。それでも眺めていると妙な心地よさがある。昔、人は月の満ち欠けで月日を判断してきた。月の満ち欠けで判断すれば今日が何日であるか一目瞭然、至極明瞭だからだ。

旧暦は普通太陰暦と呼ばれる。陰は月のことだ。月の満ち欠けを元に作られているから太陰暦。現行の暦は太陽の動きから作られているので太陽暦。陽はもちろん太陽のことを指す。江戸期まで使用されていた太陰暦は季節との間に齟齬が生じてくる。太陽暦は通常一ヶ月が30日だが、太陰暦ではおよそ29日になるからだ。その齟齬を補うために太陽暦の二十四節気を取り込み季節のずれを修正してきた。これが太陽太陰暦だ。

 

名月や池をめぐりて夜もすがら

芭蕉

 

先ほど月暦を観ていると心地よいと述べた。月と身体との間に何らかの関連があるのではないか、あるいは身体は月に支配されているのではないか、とは古今東西よく言われることだ。確かに月光を浴びると精神が鎮静することは感覚的に理解できる。神秘性を感じることにも共感できる。おそらくそれは周囲を覆い隠す夜の暗さと冷気や湿気のせいもあるだろう。それら総体をしずかに照らす象徴として月光があるのだ。この感覚は白日の下で感じるものとは大きく隔たる。月光は身に染み込んでくる。それに対して陽光は身を焦がす。熱量が圧倒的に異なるからだ。むしろ月光は冷たい。

 

太陽と月の性質から、古代中国では陰陽論という認識や思考の基礎が誕生した。これは現象の深奥に陰陽相反する作用がありその結果として現象が成立していると考えるものだ。現象を陰と陽に分類するのではなく現象の中に陰陽という性質を見出して現象を理解、説明しようとするものだ。これは現象の中に正反という矛盾を見出し、両者の対立的浸透によって考察する弁証法に似ている。

新生児は激しい生命力即ち陽の作用と既に老いつつある陰の作用、これら両者の勢力の結実として過渡的に現象化している。高齢者も病者も全く同じだ。生きようとする力と衰えていく命の鬩ぎ合いが人に内在する勢いなのだ。

 

月の満ち欠けの持つ神秘性。これが身体に月光と共に浸透してくると考えることは楽しいことだ。そもそも月のもつ不可思議性にはこうして徒然と短い文章を書かせる能力が内在しているのだ。

 

華麗な墓原女陰あらわに村眠り

金子兜太

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俳句とからだ 91

連載俳句と“からだ” 91

 

 

愛知 三島広志

 

雪の童話

啓蟄を過ぎた名古屋に激しく雪と霰が降った。北西から黒雲が流れ込み凍てた時雨になったのだ。暖かさに慣れつつあった皮膚が突然の寒気に驚き引き締まった。名古屋ではめったに雪が積もらない。この日も積雪はなかったが、積雪はむしろ新鮮な非日常となるので楽しくもある。申し訳ないが雪国の人のように白い悪魔という思いは殆んど無い。

 

地の涯に倖せありと来しが雪

細谷源二

 

雪を見ると子どもの頃に読んだ作者の異なる二つの童話を思い出す。何故か両者は驚くほど似た雰囲気の作品なのだ。これらの作品を貫く北国の暗さと寒さ、雪の情景や主人公の孤独な寂寥感を読むとこちらも寂しくなり、身体は寒気に凍り、あたかも雪の中に独り放り出されたように感じる。言語と身体の関連に興味を持つきっかけともなった作品達だ。

 

二つの作品とは小川未明の「角笛吹く子」と宮澤賢治の「水仙月の四日」。両作品に登場するのは老婆と少年、そして狼だ。未明の作品は町に出ておどおどしている少年が魔物の化身である老婆と一緒に町を離れ雪深い山に入った途端、角笛を吹いて狼を呼び、彼等を自由に操って嵐を呼ぶ。彼は狼と雪を自在に操る異界から来た少年だったのだ。賢治の作品はその物語を受け継ぐように雪婆んご(ゆきばんご)の命令で雪童子(ゆきわらす)が雪狼(ゆきおいぬ)に跨り吹雪を巻き起こしていく。まるで未明の角笛吹く子が雪童子になり作品を継承しているように思えるのだ。子どもの頃、これが不思議でならなかった。書かれたのは「角笛吹く子」が1921(大正10)年、「水仙月の四日」が1924(大正13)年で、未明の作が先行する。賢治が未明の作品を読んでいた可能性は高い。

 

絶滅のかの狼を連れあるく 三橋敏雄

 

未明の文体は抑制的で淡く無機質だ。それに対して賢治の文体は粘着的で饒舌である。未明は常に淡々と語り、賢治の文体は韻律で身体を抉ってくる。興味深いのはオノマトペだ。未明の作品にはオノマトペは殆んど登場しないが、賢治のそれは冒頭から頻出してくる。「猫のような耳をもち、ぼやぼやした灰いろの髪をした雪婆んごは、西の山脈の、ちぢれたぎらぎらの雲を越えて、遠くへでかけていたのです。」と畳み掛けてくる。オノマトペは言語以前の言語であり、身体に直接響いてくる。だからこそ賢治の作品を読むとまさに吹雪の中に放り込まれたように実感する。逆に淡々とした語り口で進行する未明の作品は額に収められた精緻な絵画のように整っているのだ。

 

やがて死ぬこの手に止まれ雪婆

市堀玉宗

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俳句とからだ 90

連載俳句と“からだ” 90

 

 

愛知 三島広志

 

みもこころも

ある朝、マッサージ師として関わっているナーシングホームへ行くと夜勤ナー スが小声で語りかけてきた。「先生、◯さんのお顔見て上げて」「え?亡くなったの?」ナースは答えずこくりと頷いた。訪室すると◯さんの御身体が介護士の手で綺麗に整えられていた。「お亡くなりになったばかりなの。少し前までお話されていたわ」とナースが説明してくれた。

 

もともと末期癌でストーマ(人工肛門)を着けた状態で病院から直接ナーシングホームへ入居された方だ。お看取りのための入居である。予後が短い中、職員は本人の希望する自宅外泊を実現しようと頑張った。ご自宅は三階建で寝室は三階、家庭用エレベーターで上がる。まずなんとしても◯さんを車椅子に腰掛けられるようにしなければならない。ところが長年の闘病で◯さんの両脚は膝が全く曲がらない。そこでマッサージで何とかならないかという医師からの要望だった。

 

死病得て爪美しき火桶かな

飯田蛇笏

 

気付いたことは身体の痛みより精神的な問題で曲がらないのではないかということ。理学療法士と話し合ったが彼もこの骨や筋の状況で曲がらないのは不思議だと言う。私は筋肉を揉みほぐすという一般的マッサージではなく、触れ、語りながら身体と心を解すように対応していった。やがて僅かだが膝が曲がり出した。少しずつ進歩し、ある日、娘さんが観ている前で膝が45度位まで曲がるようになった。これなら何とか車椅子に腰掛けてエレベーターに乗れる。家族が採寸して確認してきた。しかしもういのちの時間がない。医師の決断と医療スタッフや相談員、家族の活躍、何よりも本人の頑張りがあった。ついに自宅で一泊、愛犬とも再会、夢が叶ったのだ。よほど嬉しかったのか、◯さんはこれからは毎日マッサージして欲しいと言われた。そして一週間後、静かに亡くなった。

 

 私は各居室にご家族と連絡を取るためのノートを置いている。◯さんのノートの最後のページには娘さんの手によって次の文が書かれていた。

「今朝 父が亡くなりました。短い間ではありましたが、マッサージをしていただき希望を持ちながらすごすことができました。ありがとうございました。」

 

マッサージの目的は疲労回復やコリほぐし、心地よさやリラックスだけではない。今回のケースでは本人とその家族のからだをもほぐすことが出来たと自負している。みもこころも深奥からほぐしていけたらマッサージ師冥利に尽きるというものである。

 

今生の汗が消えゆくお母さん

古賀まり子

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俳句とからだ 89

連載俳句と“からだ” 89

 

 

愛知 三島広志

 

牛飼が・・

 正月に北海道の北の方で牧場を営んでおられる鈴木牛後さんから『根雪と記す』というCDサイズの瀟洒な句集が届いた。彼のFacebookによれば本日(113日)の気温が-28度だという。ちなみに名古屋の最低気温が-1度である。極寒の地で牛を飼うことの厳しさは想像を超えるだろう。しかし実際にお会いした牛後さんは飄逸とした立ち姿で「寒いですがそれが何か?」といった雰囲気を湛えた方だった。牛後さんを思う時いつも伊藤左千夫の次の歌を想起する。

 

牛飼が歌よむ時に世のなかの新しき歌大いにおこる

 

小説「野菊の墓」の作者でもある左千夫は東京都内で牛乳搾取業を営んでいたので北海道で放牧する牛後さんとは同一視は出来ないが、労働を行いながら文学を歩むという点は共通しているだろう。

 

牛後さんの集中には当然ながら牛に由来する句が多い。

 

寒明けの飛び散る乳のほの甘き

初蝶は牛舎の隅の暗きより

かげろふに濡れて仔牛の生まれ来る

乳搾る明けのオリオンやはらかく

 

「かげろふ」の句は牛後さんならではのものだ。他の句は吟行で見かけた景色から偶発的に生まれるかもしれないが、この句は景色だけではない、牛への強い想いと牛と共に生きているという直接性が無ければ出来ない句だ。また「乳搾る」の句も牛への愛情が伝わってくる。

 

牛啼いて誰も応へぬ大夏野

牛死して高く掲げる夏の月

満月や牛の数だけある怖れ

牛の目の空を湛へて牧閉す

 

渺々たる広大な地を風が過ぎる。これらの句の孤独感や怖れは牛を通して牛後さん自身を投影しているものだろう。牛の目に湛えられた空の寂寥。

 

野に出でて空気を吸ふといふ遊び

地球儀の地軸の向きにヒヤシンス

待ち人の待ち人とゐてかたつむり

みづうみに林檎の沈む透明度

人に首空に月ある寒さかな

 

牛を詠まない句にも牛後さんの詩的センスが煌めいている。「人に首」の研ぎ澄まされた感覚は「みづうみ」の句の透明度と繋がるもので舌を巻かざるを得ない。また、ヒヤシンスの句は牛後さんの敬愛する夏井いつきさんの「遺失物係の窓のヒヤシンス」の影響を想起させて微笑ましい。最後に左千夫の澄んだ歌。これもどこか牛後さんを感じさせる。

 

降り立ちて今朝の寒さに驚きぬ露しとしとと柿の落ち葉深く     左千夫

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