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2015年3月13日 (金)

俳句とからだ 98

連載俳句と“からだ” 98

 

 

愛知 三島広志

 

書くと掻く

 文字を「書く」行為と痒いところを「掻く」行為。意味合いは全く異なるように思える。何故なら漢字という外来の表意文字を用いているからだ。しかし大和言葉で訓読みするとどちらも「かく」となる。「かく」に共通する漢字を探してみよう。書(筆で字を定着させる)、描(手を細かく動かす)、掻(蚤に食われたところを手でかく)、画(区切りをつける)、欠(えぐり取る)、騒(馬が地をかくこと。そこから騒ぐ意)、爬(トカゲが爪で地をかくように歩く。爬虫類に繋がる)。これらは物理的にものでものを鋭く擦る現象を示す。その結果、字を書く、絵を描く、欠いて形を変形させる、皮膚を掻くなどという意味が派生した。

 

永き日やなまけて写す壺ひとつ

水原秋櫻子

 

 古代文字は尖った石等を用いて竹簡や亀甲を掻き、表面を欠いて文字を定着させた。したがって書くことは掻くなのだ。似たような行為に彫刻がある。彫も刻も傷を付けることだ。その行為によって形や影、彩が生まれる。彡は飾りや模様のことで彦や彰や彬にも見られる。何れも形が鮮やかで整っているという意味があり、主に男の名前に用いられる。

 

 古代の文字は掻く行為と同じであったが後世、筆が発明されると掻きつけず塗りつけることで形を定着するようになる。これはさらに後世の万年筆やボールペンなど今日の筆記具にも継承されている。この文章はPCで作成している。これはキーボードを叩くという全く次元の異なる方法で書かれているが紙にプリントする時はインクジェットという技術でプリンターがインクを紙に吹き付けることで字や絵を定着させている。これも筆に近い構造だろう。少し前のドットプリンターは文字を叩き付けて印字していた。これは掻くに類似した方法といえる。

 

人日やふところの手が腹を掻く

鈴木鷹夫

 

 物を書く、画くという行為はあるものを紙などに写すことだ。あるものとは眼前の物体や現象だけでなく脳裡に浮かぶ映像や思考でもある。それらを紙の上に忠実に移す、これが写生だ。俳句や絵画で基礎練習とされる写生はまさに形を見たまま画用紙や原稿用紙に移(写)し、絵や言葉で定着する技法を学ぶことだ。現象を実写する写生は後に心に生じた心象や印象を画く印象派を生み出した。俳句においても写生(子規)から客観写生(虚子)と主観写生(秋櫻子)、さらに実相観入(茂吉)、真実感合(楸邨)などを派生しつつ今日がある。今後どの様な表現がでてくるのか。楽しみである。

 

父となりしか蜥蜴とともに立ち止る

中村草田男

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