俳句とからだ 97
連載俳句と“からだ” 97
愛知 三島広志
俳句甲子園
平成26年8月23・24両日、暑い松山市で第17回俳句甲子園決勝大会が行われた。私は第10回から名古屋地区大会の審査員を担当し、今年は招かれて初めて全国大会決勝戦の前日に大街道商店街で開催された予選リーグ戦・決勝トーナメント1・2戦の審査員も経験させていただいた。決勝戦は二年連続で東京代表開成高校と京都代表洛南高校の試合となり、開成高校が連覇した。開成高校は実に17回のうち8回優勝したことになる。決勝前日、私が担当した決勝トーナメント第2戦も開成対洛南で開成が勝ち、洛南は敗者復活で勝ち上がってきた。この両校の白熱した試合は今大会の白眉であろう。直接の戦いではないが兼題「夜店」で詠まれた句を見てみよう。
喧嘩して夜店の裏を帰りけり
開成 日下部太亮
偽物をまとふ少女の夜店かな
洛南 袋布惇一朗
夜店は単に露店を意味するだけではない。お盆の頃開かれる夜店にはこの世とあの世を結ぶある種の光と闇を見て取れる。日下部君の句は夜店の裏を帰るという表現で句に深い世界を描くことに成功している。袋布君の句は偽物をまとうという面白い発見があるが季語の深みという点では一歩劣る。両校の傾向の違いは決勝での直接大会、兼題「生」でも同様季語の理解の相違である。
踏切に立往生の神輿かな
開成 上川拓真
さっきまで生きていたから生トマト
洛南 下山小晴
洛南は神輿とは神が鎮座するものだから踏切で立往生するのは妙であると批評し、開成は神輿が人為的な踏切で立往生するところに面白みがあると切り返す。生トマトの句はフレッシュな発見があり高く評価されたが季語への切り込みの深さに開成が長けていた。開成は季語の本意を読み取り破綻なく上手い句を作る。対して洛南はそれに因われない鮮度を見せてくれた。新しい感覚の仄めきだ。
初めて地区大会の審査員をした第10回、互いの鑑賞がともすると貶し合いのように思えた。そこで講評の時、「俳句を読むとき二段階ある。解釈と鑑賞だ。解釈とは相手の句に敬意を払って字面から映像を読み取る。次に自分の知識、経験を通して映像を更に豊かにする、これが鑑賞だ」と説明した。すると高校生はすぐにその意を汲み見事な鑑賞を始めた。その時の愛知代表は幸田高校で、決勝で開成に負けたが第二位となり、しかも
山頂に流星触れたのだろうか
幸田高校 清家由香里
という清家さんの句が現在でも語り継がれる最優秀句に選ばれた。そして今年の最優秀句は再び幸田高校の大橋さん。
湧き水は生きてゐる水桃洗ふ
幸田高校 大橋佳歩
いずれも高校生の枠を超えた新しい俳句の息吹が伝わってくる佳句である。
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