俳句とからだ 93
連載俳句と“からだ” 93
愛知 三島広志
身体と環境
身体は環境を素材として生成構成され、膜即ち皮膚で環境から区切ることで存在している。身体は環境から相対的に独立した存在だ。しかし、独立したままでは身体を維持することは不可能である。常に環境と交流し続けることで身体維持が可能となるのだ。即ち水や食物を摂取し、酸素と二酸化炭素を交換し、排泄物を環境へ還流させることで身体は保たれる。こうして身体は環境から区切りつつ交流するという矛盾を抱え込むことになる。
蝶々のもの食ふ音の静かさよ
高濱虚子
禅の瞑想あるいは仕事や趣味に集中して三昧にあるとき、身体は環境と同化している。その間は環境から区切る皮膚の作用を解放し、体内を開放して無の境に近づく。
身体が環境を必要以上に区切っている場合、身体は過緊張となり皮膚は過敏、筋肉は凝ってくる。さらに心拍数や呼吸も速くなる。俗に言うアドレナリンがギンギン出ている状態だ。身体は必要に応じて緊張したり緩んだりすることで維持されている。これが必要でないときに緊張や弛緩してしまうと自律神経失調の状態になる。ただし優れたアスリートなどは通常最も緊張する場面でやすやすとリラックスしている。これは天性の部分もあるが多くは凄まじい訓練によって創造されたものだ。
春の潮張りては緩む舫い綱
小島雅子
環境から身体に入って来るのは生命を維持するための食物や空気だけではない。様々な情報も身体に感覚器を通じて入ってくる。光や音、香や味、温度や硬さなどの触れる感覚。般若心経に眼耳鼻舌身とある通りだ。言語もまた眼や耳を通して(視覚障害者なら指で触れる点字)身体に取り込まれる情報の一つである。感覚器官を通じて取り込まれた様々な情報は脳に反映され認識される。
受容された情報は認識され判断決断の後、行動や表現として表出される。この一連は医療なら診察・診断・治療、会社の経営なら市場調査・評価・商品開発と言う具合にあらゆる分野に共通する。
俳句という言語情報は耳や眼を通して身体に取り込まれる。身体はその情報を身包みで認識し、意味を解釈することで情報を明確に理解した後、自分の体験や知識、想像力を駆使して鑑賞という創作を行う。
情報の受容・判断・表現はこうして多層的に繰り返される。
冬花火からだのなかに杖をつく
大石雄鬼
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