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2015年3月13日 (金)

俳句とからだ 92

連載俳句と“からだ” 92

 

 

愛知 三島広志

 

月の暦から徒然と

月暦を頂いた。暦に月の満ち欠けが描かれているものだ。しかも旧暦である。現在流通している太陽暦に月の満ち欠けが描かれた暦ではない。ひと月は無月から始まり無月で終わる。したがって社会生活には全く役に立たない。それでも眺めていると妙な心地よさがある。昔、人は月の満ち欠けで月日を判断してきた。月の満ち欠けで判断すれば今日が何日であるか一目瞭然、至極明瞭だからだ。

旧暦は普通太陰暦と呼ばれる。陰は月のことだ。月の満ち欠けを元に作られているから太陰暦。現行の暦は太陽の動きから作られているので太陽暦。陽はもちろん太陽のことを指す。江戸期まで使用されていた太陰暦は季節との間に齟齬が生じてくる。太陽暦は通常一ヶ月が30日だが、太陰暦ではおよそ29日になるからだ。その齟齬を補うために太陽暦の二十四節気を取り込み季節のずれを修正してきた。これが太陽太陰暦だ。

 

名月や池をめぐりて夜もすがら

芭蕉

 

先ほど月暦を観ていると心地よいと述べた。月と身体との間に何らかの関連があるのではないか、あるいは身体は月に支配されているのではないか、とは古今東西よく言われることだ。確かに月光を浴びると精神が鎮静することは感覚的に理解できる。神秘性を感じることにも共感できる。おそらくそれは周囲を覆い隠す夜の暗さと冷気や湿気のせいもあるだろう。それら総体をしずかに照らす象徴として月光があるのだ。この感覚は白日の下で感じるものとは大きく隔たる。月光は身に染み込んでくる。それに対して陽光は身を焦がす。熱量が圧倒的に異なるからだ。むしろ月光は冷たい。

 

太陽と月の性質から、古代中国では陰陽論という認識や思考の基礎が誕生した。これは現象の深奥に陰陽相反する作用がありその結果として現象が成立していると考えるものだ。現象を陰と陽に分類するのではなく現象の中に陰陽という性質を見出して現象を理解、説明しようとするものだ。これは現象の中に正反という矛盾を見出し、両者の対立的浸透によって考察する弁証法に似ている。

新生児は激しい生命力即ち陽の作用と既に老いつつある陰の作用、これら両者の勢力の結実として過渡的に現象化している。高齢者も病者も全く同じだ。生きようとする力と衰えていく命の鬩ぎ合いが人に内在する勢いなのだ。

 

月の満ち欠けの持つ神秘性。これが身体に月光と共に浸透してくると考えることは楽しいことだ。そもそも月のもつ不可思議性にはこうして徒然と短い文章を書かせる能力が内在しているのだ。

 

華麗な墓原女陰あらわに村眠り

金子兜太

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