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2015年3月13日 (金)

俳句とからだ 91

連載俳句と“からだ” 91

 

 

愛知 三島広志

 

雪の童話

啓蟄を過ぎた名古屋に激しく雪と霰が降った。北西から黒雲が流れ込み凍てた時雨になったのだ。暖かさに慣れつつあった皮膚が突然の寒気に驚き引き締まった。名古屋ではめったに雪が積もらない。この日も積雪はなかったが、積雪はむしろ新鮮な非日常となるので楽しくもある。申し訳ないが雪国の人のように白い悪魔という思いは殆んど無い。

 

地の涯に倖せありと来しが雪

細谷源二

 

雪を見ると子どもの頃に読んだ作者の異なる二つの童話を思い出す。何故か両者は驚くほど似た雰囲気の作品なのだ。これらの作品を貫く北国の暗さと寒さ、雪の情景や主人公の孤独な寂寥感を読むとこちらも寂しくなり、身体は寒気に凍り、あたかも雪の中に独り放り出されたように感じる。言語と身体の関連に興味を持つきっかけともなった作品達だ。

 

二つの作品とは小川未明の「角笛吹く子」と宮澤賢治の「水仙月の四日」。両作品に登場するのは老婆と少年、そして狼だ。未明の作品は町に出ておどおどしている少年が魔物の化身である老婆と一緒に町を離れ雪深い山に入った途端、角笛を吹いて狼を呼び、彼等を自由に操って嵐を呼ぶ。彼は狼と雪を自在に操る異界から来た少年だったのだ。賢治の作品はその物語を受け継ぐように雪婆んご(ゆきばんご)の命令で雪童子(ゆきわらす)が雪狼(ゆきおいぬ)に跨り吹雪を巻き起こしていく。まるで未明の角笛吹く子が雪童子になり作品を継承しているように思えるのだ。子どもの頃、これが不思議でならなかった。書かれたのは「角笛吹く子」が1921(大正10)年、「水仙月の四日」が1924(大正13)年で、未明の作が先行する。賢治が未明の作品を読んでいた可能性は高い。

 

絶滅のかの狼を連れあるく 三橋敏雄

 

未明の文体は抑制的で淡く無機質だ。それに対して賢治の文体は粘着的で饒舌である。未明は常に淡々と語り、賢治の文体は韻律で身体を抉ってくる。興味深いのはオノマトペだ。未明の作品にはオノマトペは殆んど登場しないが、賢治のそれは冒頭から頻出してくる。「猫のような耳をもち、ぼやぼやした灰いろの髪をした雪婆んごは、西の山脈の、ちぢれたぎらぎらの雲を越えて、遠くへでかけていたのです。」と畳み掛けてくる。オノマトペは言語以前の言語であり、身体に直接響いてくる。だからこそ賢治の作品を読むとまさに吹雪の中に放り込まれたように実感する。逆に淡々とした語り口で進行する未明の作品は額に収められた精緻な絵画のように整っているのだ。

 

やがて死ぬこの手に止まれ雪婆

市堀玉宗

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