俳句とからだ 89
連載俳句と“からだ” 89
愛知 三島広志
牛飼が・・
正月に北海道の北の方で牧場を営んでおられる鈴木牛後さんから『根雪と記す』というCDサイズの瀟洒な句集が届いた。彼のFacebookによれば本日(1月13日)の気温が-28度だという。ちなみに名古屋の最低気温が-1度である。極寒の地で牛を飼うことの厳しさは想像を超えるだろう。しかし実際にお会いした牛後さんは飄逸とした立ち姿で「寒いですがそれが何か?」といった雰囲気を湛えた方だった。牛後さんを思う時いつも伊藤左千夫の次の歌を想起する。
牛飼が歌よむ時に世のなかの新しき歌大いにおこる
小説「野菊の墓」の作者でもある左千夫は東京都内で牛乳搾取業を営んでいたので北海道で放牧する牛後さんとは同一視は出来ないが、労働を行いながら文学を歩むという点は共通しているだろう。
牛後さんの集中には当然ながら牛に由来する句が多い。
寒明けの飛び散る乳のほの甘き
初蝶は牛舎の隅の暗きより
かげろふに濡れて仔牛の生まれ来る
乳搾る明けのオリオンやはらかく
「かげろふ」の句は牛後さんならではのものだ。他の句は吟行で見かけた景色から偶発的に生まれるかもしれないが、この句は景色だけではない、牛への強い想いと牛と共に生きているという直接性が無ければ出来ない句だ。また「乳搾る」の句も牛への愛情が伝わってくる。
牛啼いて誰も応へぬ大夏野
牛死して高く掲げる夏の月
満月や牛の数だけある怖れ
牛の目の空を湛へて牧閉す
渺々たる広大な地を風が過ぎる。これらの句の孤独感や怖れは牛を通して牛後さん自身を投影しているものだろう。牛の目に湛えられた空の寂寥。
野に出でて空気を吸ふといふ遊び
地球儀の地軸の向きにヒヤシンス
待ち人の待ち人とゐてかたつむり
みづうみに林檎の沈む透明度
人に首空に月ある寒さかな
牛を詠まない句にも牛後さんの詩的センスが煌めいている。「人に首」の研ぎ澄まされた感覚は「みづうみ」の句の透明度と繋がるもので舌を巻かざるを得ない。また、ヒヤシンスの句は牛後さんの敬愛する夏井いつきさんの「遺失物係の窓のヒヤシンス」の影響を想起させて微笑ましい。最後に左千夫の澄んだ歌。これもどこか牛後さんを感じさせる。
降り立ちて今朝の寒さに驚きぬ露しとしとと柿の落ち葉深く 左千夫
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