俳句とからだ 88
連載俳句と“からだ” 88
愛知 三島広志
声なきこえ
福祉業界ではノンバーバルコミュニケーションという言語によらない非言語コミュニケーションを重要視する。非言語とは表情や声の調子、仕草や服装、訪問先の室内の散らかり方などである。ワーカー達はクライアントの発する言語を真摯に傾聴すると同時に「声なきこえ」からクライアントの現状や要求を理解しようとする。もっともノンバーバルコミュニケーションは福祉に限ったことではない。教師も親も営業マンも同じことを行っている。思いは言語だけで表現できないからだ。このことは中国の古書「易経」に「書は言を尽くさず、言は意を尽くさず」と書かれているように昔から知られていたことだ。ただ、福祉業界は老いや認知機能の問題、心身の病気や障碍で語ることさえできない方たちに係る機会が多いので尚更ノンバーバルコミュニケーションを重要視するのだ。
ケアマネージャーの講習会でもノンバーバルコミュニケーションの重要性を学ぶ機会が多い。私はその時いつも夭折の歌人岸上大作の歌を思い起こす。
意思表示せまり声なきこえを背にただ掌の中にマッチ擦るのみ
岸上は昭和14年生まれ。昭和35年の安保闘争に参加し、「意思表示」で短歌研究新人賞を受けたが、同年12月自殺。理由は闘争の挫折と失恋によるとされている。
この歌は闘争の仲間からの無言の攻めを詠んでいる。その時岸上が何を考えていたのかは分からない。しかし後半の「ただ掌の中にマッチ擦るのみ」は背後にせまる者ではなく、そこにはいない寺山修司へ向けられたものだ。
マッチ擦るつかのま海に霧ふかし身捨つるほどの祖国はありや
岸上は背後からの声なきこえに対し歌の中の「マッチを擦る」という行為で寺山へ語りかけているのだ。これは時空を超えたノンバーバルコミュニケーションと言っていいだろう。戦争が終わって15年。まだ守るべき「祖国」はあるのだろうか。寺山も岸上もその答えを持っていたとは思えない。しかし両者とも父親を戦病死で亡くしている。その辺りに2人の近親感と祖国への思いが見え隠れする。ただ、後に岸上は寺山が創作だけで具体的な行動に出ないことを強く非難している。掌の中のマッチは彼の寺山に対する複雑な思いでもあるのだ。
寺山の歌は富沢赤黄男の「一本のマッチをすれば湖は霧」の優れた換骨奪胎であることは知られている。この霧は世相を覆う霧の比喩であろうことも想像に難くない。
かがまりてこんろに青き火をおこす母と二人の夢作るため 岸上大作
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