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2014年2月12日 (水)

俳句とからだ 85

連載俳句と“からだ” 85

 

 

愛知 三島広志

 

無量

 五十嵐秀彦句集『無量』が上梓された。著者は「藍生(黒田杏子主宰)」「雪華(深谷雄大主宰)」に所属し、藍生新人賞、雪華俳句賞、さらに現代俳句評論賞を受賞している論作ともに定評のある作家である。また氏はblogFacebookを利用して積極的に表現の発信を行っている。私は未だ会ったことのない氏に対し趣のある喫茶店で音楽を聞き、珈琲を味わいながら左手に紫煙、右手に萬年筆を携え原稿用紙に向かう文人的高等遊民という印象を抱いている。

 

集中、寺山修司の影響やオマージュを垣間見ることが可能だ。これは氏の原点であろう。青春の焔は生涯身中に燃えているものだ。こうした青春のひかりとかげがこの作者の魅力と考えてよい。

 

 莨火のいつか消えたる余花の雨

 自転車に青空積んで修司の忌

 園丁になりたし薔薇の首を剪る

 博徒らの色とりどりの夏帽子

 

 この作者には追求すべき世界がある。瞽女や一遍、放哉など遊行、漂泊者への思いだ。語りや歌の原点への回帰とも言える。彼はその原点から現代や未来を見据える器の大きさを持っている。

 

 眼球の無量遊行の十三夜

 はまなすや語り部として地に翳る

 伝行基観音冥き秋時雨

 

氏の関心は物事の表層になく常に深奥へ、構造へ、過渡的変化へと向いているのだろう。そこから今を照らし返すのだ。以下の句を見てその志向の強さを感じる。

 

去年今年夢の腑分けははかどらず

解剖の詩学櫻の頌歌かな

いただきし鱈さばくともあばくとも

 

作者の季節や速度への捉え方には独特のものがある。彼の身体感覚から立ち上がるもので知的処理されたものではない。

 

街角を曲がる角度で冬に入る

夜に還る隧道を抜け冬を抜け

秒針の速度牡丹雪の速度

千年は散るに迅くて春の雪

 

彼の俳句や評論は決して単純ではない。それは現象が内包する歴史や社会、つまり時空間を抱え込んだ重層性に目を向けているからだ。彼の表現が難解なのではない、彼の見ようとする世界が難解なのだ。それが五十嵐秀彦の世界の厚みになっている。

以下の句には彼の詩人としての性向が読み取れるのではないだろうか。

 

外套をまとひちひさき闇まとふ

氷柱折るときなにものか折られけり

片蔭やわが身の洞もしづもれる

夏の蝶地下水脈を知つてゐる

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