俳句とからだ 80
連載俳句と“からだ” 80
愛知 三島広志
音楽と記憶
ある高齢者施設で入居者の医療的マッサージ施術を担当している。その中にAさんという七十代後半の男性がおられる。Aさんは脳血管障害後遺症で左半身が麻痺し、さらに認知症と統合失調症などの精神的疾患も抱えておられる。薬学部を出られたインテリで通常の会話は構音障害で聞き取り難いことを除けば可能である。しかし施術途中、絶えず天井裏や床下に住むという息子に大声で語りかけておられる。Aさんの部屋には少しでも孤独感を癒そうと家族の意向でラジオが置かれている。ラジオは幻聴を誘発するので必ずしも良いとは言えないのだが終日室内を音で満たしている。
巣燕に昼のラヂオが楽送る
中村汀女
ある日、ラジオから古い流行歌が聞こえてきた。北原謙二が歌う「ふるさとのはなしをしよう」(作曲:キダ・タロー 作詞:伊野上のぼる)という1965年(昭和40年)のヒット曲だ。東京オリンピックの翌年、まさに高度成長期でAさん若かりし頃の歌。例によってAさんは私と話をしながら天井裏に住むという息子さんに「おい、先生がいらっしゃったから挨拶に降りて来い」と何度も声をかけておられた。彼の心は現実と幻覚の中を行き来している。それら一切が彼の現実なのだ。ところが曲の終盤
きみの知らない ぼくのふるさと
ふるさとの はなしをしよう
というフレーズが流れだした途端一緒に歌い出し「懐かしい、涙が溢れる」と手で顔を覆って涙を流された。音楽がAさんの心を掴み、懐かしさを蘇らせたのだ。
葱坊主どこをふり向きても故郷
寺山修司
音楽と身体に関する研究は多くなされている。治療としても実践され日本では1960年代年から精神障害者の心理療法、障害児に対する発達療法、認知症やターミナルケアなどの現場で音楽療法として行われている。確かに音楽は身体に何らかの変容を促す。リズムに合わせて思わず身体が動くという現象面だけでなく音楽の何かが細胞一個一個に浸透、蓄積し新たな身体を展開してくるのだ。音楽は国境や言語を超えた影響能力を所有している。それは記憶に留まらない感興を身体内に巻き起こす。まさに身に染むと言える。とりわけ流行歌にはその人の生きた時代の強い思いが染みこんでおり、曲や歌詞を聞いた瞬間当時の記憶が身体の深奥から湧き上がる。それは感情として身体化し外部に迸る。それが先のAさんの涙なのだろう。
手毬唄かなしきことをうつくしく
高浜虚子
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