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2013年7月26日 (金)

俳句とからだ 79

連載俳句と“からだ” 79

 

 

愛知 三島広志

 

民藝運動と瀬戸本業窯

 名古屋市郊外に瀬戸市という陶磁器の街がある。瀬戸焼の歴史は古墳時代まで遡行でき、しかも六古窯(瀬戸焼、常滑焼、越前焼、信楽焼、丹波立杭焼、備前焼)の中で瀬戸のみが釉薬を用いていた。その抜きん出た技術は焼き物を瀬戸物と呼ぶことからも理解できる。しかし秀吉の時代、朝鮮半島から連れて来られた李参平が肥前有田で磁石を発見し国内でも磁器の製作が始まった。これにより瀬戸の陶器は売れなくなった。瀬戸物復興のため尾張藩は有田へ職人を派遣し、門外不出の磁器技術を持ち帰えらせたとされている。その結果瀬戸は再び陶磁器産業で発展し、特に戦後は海外向けの食器や磁器の人形で栄えた。しかし今日、多くの産業と同様、安価な海外製品に押され厳しい経済状況となっている。

 

轆轤挽く春の指先躍らせて

木暮陶句郎

 

 瀬戸市内には現在でも磁器以前の伝統技術を継承している窯が残っている。これが瀬戸本業窯である。その製品は重く野暮ったい陶器だが温かみのある色調と手触りから多くの人(白洲正子など)に愛用されている。この本業窯が脚光を浴びるきっかけとなったのが大正末期、白樺派に属していた柳宗悦を中心に始まった民藝運動だ。民藝運動とは日用品の中に「用の美」を見出そうとするものだ。柳に賛同した著名人にはバーナード・リーチ、濱田庄司、河井寛次郎、棟方志功などがいる。本業窯六代目水野半次郎は柳の思想に共鳴し濱田やリーチの指導と自らの研鑽によって鎌倉以来の伝統を守る本業焼きに新しい息吹を吹き込み、現在まで本業窯の火を保つことに成功した。現在も七代目と八代目継承予定者が窯を守っている。

 

陶工は無名でありし白桔梗 

伊藤敬子

 

 この窯は昔の技法を保持して藁灰から釉薬を作っている。その乳白色は柔らかく温かい上に掌を通して優しさが伝わってくる。本来、道具とは身体の延長である。しかしよく出来た道具は逆に身体に働きかけ、身体を導いてくれる。素晴らしい真剣はそれを扱う時、剣士に正しい振り方を示してくれるという所以だ。そこに道具と身体との相互浸透が生じ、道具と身体が一体化する。一体化した身体は道具を抱く以前の身体とは異なる身体となっているのだ。茶の湯が好まれる理由の一つが手と茶碗の関係における快感だろう。茶碗は見て、手で触れて持ち上げ、口を当てるという行為の中で身体を心地よく制御してくれる。身体と道具との間にこのような浸透が起こるからこそ人は様々な道具に執着するのだろう。

 

陶工の大きてのひら冬に入る

茨木和生

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