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2013年1月14日 (月)

俳句とからだ 74

連載俳句と“からだ” 74

  

愛知 三島広志

 強さと勁さ

 105日、名古屋のしらかわホールで加藤美緒子ピアノリサイタルを拝聴した。加藤さんは愛知県立芸術大学教授。東京藝術大学附属高校同大学を卒業、日本音楽コンクールピアノ部門で優勝、西ドイツ政府給付留学生として若い時代をヨーロッパで研鑽、帰国後は演奏活動と後進指導に多忙な日を送られている。数年前、ショパンだけのリサイタルをされたが今回はシューベルトのソナタイ長調と幻想曲ハ長調“さすらい人”、そしてショパンの24の前奏曲を演奏された。

 ピアノ弾くからだの中の白夜かな 浦川聡子

 “さすらい人”は素人でも分る超絶技巧が凄かった。終わった瞬間、隣席の見知らぬお嬢さんと期せずして顔を見合わせ感嘆のため息をついたほどだ。プログラムにはシューベルト自身が上手に弾けず「この曲は悪魔に演奏させろ」と叫んだというエピソードが書かれている。確かに人間業とは思えない指の動きとそこから生まれる空間の激しいうねりだった。

 加藤さんの演奏を拝見して感心するのはその姿勢の美しさ。鍵盤と顔の距離が常に一定なのである。坐骨から頭頂へ一本の靭やかな線が伸び、肩から両腕が水を飲む白鳥の首のように鍵盤に届いている。彼女の姿勢は柔らかな勁草のようだ。脱力した上肢がピアノに触れ羽撃くようにピアノを自在に響かせる。激しく鳴らす時も繊細に爪弾く時も上体は一定に保たれる。「どうしてあんなに大きな音がそっと触れるだけで出せるのだろう」と、学生さんが不思議がるのも無理はない。

  ショパンは決してロビーのBGMとして聞く曲ではない。悲痛な望郷や結核を通して見え隠れする死の恐怖。これらを表現するには微妙なリズムの変化だけでなく音色も創出しなればならないだろう。一流の演奏家は一音一音に意味を持たせる。ショパンは湿った深い音色を多用しておられるように感じた。そこに作曲家に重ねる加藤さんの哲学があると勝手に解釈している。そのために加藤さんは指先の汗も自在に操れるのではないかと思うほど曲によって音色に表情がある。

  中国拳法に発勁という技法がある。筋力や速度、距離によって運動量を上げるのではなく、そっと触れた状態から爆発的な力を相手に伝えるものだ。加藤さんのピアノ技法はまさに発勁としか思えない。発勁を出すためには身体が固まってはいけない。勁く緩んだ体幹の力が鞭のように鍵盤に伝わることが必要となる。その域に到達するために一体どれだけの時間を費やされてきたことか。苦しまれてきたことか。来し方が人を感動させる。

  ショパン弾き了へたるままの露万朶 中村草田男

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