俳句とからだ 66
連載俳句と“からだ” 66
愛知 三島広志
口誦とからだ
ことばは身体の延長である。調子、音色、音質、ふし、リズム、イントネーションなどだけでなく言語の意味までも身体から生み出される。身体は情報を収集し、整理判別の後、何らかの表現を行う装置である。様々な情報は身体というフィルターを通過して存在する。物事を客観的に判断することが困難なのは一人一人の身体が多様性を有しているからだ。だからこそ対話や理論化が重要となる。自分が理解していると思っていることはあくまでも相互浸透的に相対化されたものであって絶対的なものではない。
ことばによる芸術も過程的身体の状況によって刻々と変化する。そこに他の芸術と同様、作品を通じて展開される鑑賞の妙味が生じてくる。
身体は対象と相互に関係し合うので詩を口誦するとき、そのことばの持つ力が逆に身体に影響を与えてくる。これもまた身体の持つ特性だ。一部しか掲載できないので心苦しいが次に紹介する幾つかの詩を口誦してみて欲しい。
母よ―/淡くかなしきもののふるなり/紫陽花いろのもののふるなり/はてしなき並樹のかげを/そうそうと風のふくなり/
「乳母車」(三好達治)
この詩の有する淡くなまめかしい語調が身体を優しく包んでくれるだろう。まさに達治ならではの世界である。
太刀は稲妻萱穂のさやぎ/獅子の星座に散る火の雨の/消えてあとない天のがはら/打つも果てるもひとつのいのち/
「原体剣舞連」(宮沢賢治)
賢治の詩は鬼剣舞の勇壮さを強い言語と畳み込むリズムで表現してあり、読む者をして力強い世界に引き込んでくれる。
さむいね/ああさむいね/虫がないてるね/ああ虫がないてるね/もうすぐ土の中だね/土の中はいやだね/
「秋の夜の会話」(草野心平)
これは心平の好んだ蛙の会話による詩である。抄出でなく全編を読むと実に切なくなる。次に石鼎の句を紹介しよう。
蔓踏んで一山の露動きけり 原石鼎
山の色釣り上げし鮎に動くかな 同
これら石鼎の句は些末なものが全体を揺り動かすという共通性を持っている。大仰な表現だ。しかし口誦したときの心地よさは誰もが実感することだろう。
詩はまず意味より音で身体を深く揺さぶる。これは言語の無い時代から身体が共感する装置だったからだろう。人間の関係性はその共感性の上に成立している。
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