俳句とからだ 63
連載俳句と“からだ” 63
愛知 三島広志
モノと身体
身体は財布やペンなど愛用のモノと一如になる。これは誰もが体験することだ。小川未明の童話「小さい針の音」はその普遍的体験を精緻な文章で表している。
「小さい針の音」は「ある田舎の小学校に、一人の青年の教師がありました。その青年は、真実に小さな子供達を教えたのであります」から始まる。青年は子ども達に慕われていたが世に出たいと学校を去る。子らは別れを悲しみながらも記念に懐中時計を贈る。青年は当初大切にしていたその時計を出世する過程でみすぼらしいと感じ古道具屋に売り払い、その時々の地位にふさわしい時計に買い換える。しかしそんな高級時計でも時間が正確ではないのが不満だった。ある時、部下から自分の時計は安物の中古だが正確だと告げられる。何とその時計は田舎の子達から贈られた懐中時計だった。懇願してその時計を譲り受けた夜、彼は夢の中で田舎教師に戻り子ども達に問いかける。「いい人間って、どんな人ですか」と。ある子が「世の中のために働く人」と答えた所で夢は覚め「ああ、おれは、いままでにほんとうに、社会のために、どんなことをしておったか」と反省する。
やや教訓めいた話だが一度売り払った時計が巡って再び掌中にあるという未明独自の幻想譚でもある。村の子どもらから贈られた懐中時計、貧しさと一緒に肌身離さずにいた時計の重さ、温度、質感、形、風合い、針の音、うっかり傷付けてしまった痛み。部下の時計を掌中にした瞬間、彼には貧しくとも夢を抱いて頃の身体感覚が即座に蘇ったに違いない。その身の記憶が噴出して昔の夢を見たのだ。
モノは自分の身体ではない。しかし親しく身近にあったモノはいつしか身体化して自分の身の内となっている。身体は環境と交響する。環境とは自然であり社会でありモノであり自分自身でもある。環境と自分は相互に浸透しているのだ。
「日本のアンデルセン」と称された未明は1882年(明治15年)に新潟に生まれ1961年(昭和36年)に79歳で亡くなった。社会主義作家だったが1926年、子どもの心を忘れないすべての人のための文学を書こうと童話宣言した。1951年(昭和26年)文化功労者、1953年(昭和28年)に芸術院会員に推挙されるが同年、鳥越信らの「少年文学宣言」が発表され、未明作品は呪術的で未熟、子ども達に夢を与えないと糾弾される。これを機に未明は過去に追いやられた。だが、未明の文章は繊細で静謐。声高でないだけに余計身に迫るものがある。それを呪術的と葬ることこそ無謀な企みだろう。
鳴り終へて時計は正午震災忌 小川匠太郎
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