俳句とからだ 65
連載俳句と“からだ” 65
愛知 三島広志
ピカソを超えた男
「ピカソを超えた男」「評価額200億円の傑作」などのセンセーショナルな煽りに誘われ愛知県美術館のジャクソン・ポロック展に出かけた。ポロックは1912年に生まれ1956年、自らの飲酒運転で44年の人生を閉じている。彼の絵は前衛絵画を見慣れた現代人にとってさほど珍しいものではないが、登場したころは大変奇異な目で見られていたようだ。
絵画には具象や抽象があるが、いずれにしてもそこに作家の意図が表現されている。しかし20世紀になると無意識を表出させるシュルレアリスムが登場し、さらにピカソやミロに至って絵画は激変する。絵画は外界の模倣ではなく作家の精神が形と色で創出されドサリと鑑賞者の前に放り出される。その一つの極みがポロックだろう。彼の到達した流し込み技法は絵具を垂らしていくだけだ。あるいはペンキを缶から放り投げる。方法のみあって作為が削ぎ落とされている。
200億円の値がついたという「インディアンレッドの地の壁画(1950年作)」という大作の前に立つとどうだろう。その絵はエンジのカンバスの上に複雑な色があたかも蛍の乱舞の軌跡のように激しく描かれている。色彩が自在に踊っている。いかなるリズムも形象もなく、縺れ合った毛糸玉のように置かれている。これが絵画か?と訝しく思ってもあながち間違いではない。ところが、そこには激しいエネルギーが渦巻いている。それは作家の苦悶の人生だろうか、社会の不条理だろうか、人間の裏側にある想念がポロックという身体を通してマグマのように噴出しているようだ。
若い時の作品には明らかに牛とか人と分かる形象が描かれている。さらに成長しても意味不明の文様の中に明らかに人の顔や手足と分かるパーツが描かれている。また文様の中に踊るようなリズムがみられる作品もある。鑑賞者はそこに安堵しその世界を受け止めることができる。しかし先の「インディアンレッド」の前では立ち尽くすしかない。あらゆる肉体を剥ぎ取られた人間の本質的存在がこちらに挑むように対峙しているのだ。
ポロックはその天才性ゆえだろうか。若い時からアルコール依存で苦しみユング派の心理療法を受ける。そこで出会った絵画療法が彼の無意識を解放させたと言われている。これは彼にとって救いであると同時に治癒へ到達できないという矛盾を生じた。だが結果として彼の身体は近代美術を終焉させ、現代美術の窓をこじ開けたのだ。天才は常に時代を屈服させる代償としてその生涯を短く終えるのかもしれない。
音楽漂う岸侵しゆく蛇の飢 赤尾兜子
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