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2012年9月 3日 (月)

俳句とからだ 67

連載俳句と“からだ” 67


愛知 三島広志


ヤマアラシのジレンマ

 ヤマアラシは針のような体毛に覆われた草食性の齧歯類である。体長は尾の先までで1メートルほどと意外に大きい。ドイツの哲学者ショーペンハウエルにこの小動物を題材とした「ヤマアラシのジレンマ」という知られた寓話がある。ヤマアラシのジレンマとは「ヤマアラシのカップルは寒さから互いを求めて近寄るが、近づき過ぎれば針が刺さって傷つき、離れると再び寒くなる。彼らはこのジレンマに対して近づいては離れ、離れては近づくことを繰り返しながら紆余曲折の果てに互いの最適な距離を把握していく」というものである。精神分析学の祖フロイトがこの寓話を元に人間関係における葛藤・アンビバレンス(同一対象に対して相反する感情を同時に抱くこと)を考察したことで広く知られるようになった。

 海よりも嘔吐ひかるは矛盾だらう 小川双々子

この寓話はティム・バートン監督原案制作、ジョニー・デップ主演の映画「シザー・ハンズ(1990年)」を思い出す。両手が鋏の人造人間エドワードは愛する少女を守ろうと思わず抱いて彼女を傷つけてしまう。助けようとすれば傷つけるというジレンマを最後は感動的なメルヘンに仕立ててある名画である。この普遍的ジレンマはメルヘンとして止揚するしか無いのかも知れないと複雑な思いで観た記憶がある。

 雪の日のそれはちひさなラシャ鋏  中岡毅雄

 一つの物事の中に相反する矛盾を見出す思考法は弁証法であるが、そこまで構えなくとも常日頃の何気ない対話の中にもこの技法は自ずと潜在している。ディベートはこうした矛盾を顕在化して議論や思考の訓練をする教育方法だ。我々は矛盾の中に生存していると言ってもいい。解答のない世界に生きている。何故なら解答は次の疑問の礎にしかならないからだ。これこそ矛盾である。もし簡単に解答を与えてくれる人がいたとしたらそれは疑うべき存在として大いに反証しなければならない。そもそも私たちの身体は生まれたということはいずれ年老いて朽ち果てるという矛盾を抱え込んでいるのだ。

 近づきたいけど近づけないというヤマアラシのジレンマは一見皮肉であるが「自立」と「共存」という二律背反の中からほど良い距離を発見するという肯定的な意味として使われることも多い。人生も生死という矛盾に包摂された有限の時間をどう生きるのかヤマアラシのように学習していかなければならない。

 あたたかな雨が降るなり枯葎  正岡子規

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