《游氣塾》 [生きる場の解放・生きる方向の発見・生きる活力の養成]を求めて
《游氣塾》
[生きる場の解放・生きる方向の発見・生きる活力の養成]を求めて
三島広志
我々は生きていく限り<身体>の問題を看過する訳にはいかない。そしてそれは単に健康とか病気だけの問題でもない。 なぜなら、すべての情報は<身体>によって感受(認識・自覚・勘等)、処理(判断・整理・選択等)され、あらゆる創造(活動・表現・技術等)は<身体>から発せられるからだ。
即ち、我々の<身体>とは我々の<存在>そのものなのだ。
しかし、現実には我々の肉体は、社会という鋳型の中で精神の僕として隷属を強いられ、感性は鈍麻し頽廃し、心身は疲れ強ばり日常に漂流している。
日常に埋没した自分に気付いたなら、この未知で、大切で、ままならない、いつかは捨てねばならない<身体>をじっくり見直し、親しく対話してみようではないか。
否、むしろそんな<身体>に委ねきってしまうことで、もっともらしい権威やおかしな常識、偏った先入観等の束縛から解放されようではないか。
それに応えるべく、<身体>こそは完全なる世界を体現しているのだ。
そこから、活性の湧き出る身体と、自律性に富んだ生活と、共感性に包まれた環境(人と人・人と自然)を得て、健やかな個性の融合した生命共同体が築かれるのではないだろうか。
◎身体とは
ここで言う<身体>とは以下を統合した概念としての身体である。
<肉体> 解剖学的=骨格・筋肉・皮膚・神経・内臓等(構造)
生理学的=消化・循環・呼吸・運動・感覚等(機能)
<精神> 心理学的=本能・感情・葛藤・知性・欲求・学習等(ヒトとは?)
哲学的 =意志・目的・欲望・認識・創造・内省等(人間とは?)
<經絡> 身体における氣の循環路といわれるもので、肉体と精神を総括する存在
生命の流動性を示す概念
生命を12のパターンで認識し、身体調整のシステムとして応用
<氣> 森羅万象の深奥に潜む実在の力
身体に影響する内(生命力)、外(環境)の根源的なエネルギー
不可視でも感応し、強力なパワーとして現象する
理論的に説明不可能な場合に多用する便利用語
氣といわれると、なんとなく解った氣がする曖昧なコトバ
◎解放された身体とは
脱力性=リラックス、放下、可能性、ゆとり、重力に委ねる、安定性、中心が定まり強さが生じる、バランス
「をりとりてはらりとおもきすゝきかな」飯田蛇笏
柔軟性=やわらかさ、しなやかさ、適応性、多様性、広い視野、自由、自在「をみなごしめやかに語らひあゆみ」三好達治
感受性=認識、感動、みずみずしい感性、創造のモチーフ、センス
「蔓踏んで一山の露動きけり」原石鼎
流動性=うねり、波動、リズム、エネルギー、カオス(混沌)、スパイラル、体液循環、呼吸、經絡
「筋肉は隆起し消滅する」坪井香譲
方向性=目的意識、自律性、自立性、勢い、パワー、全身がまるごと一体となって向かう(動く)、表現、集中、志向、思考、コトバ、希望、コスモス(秩序)
「はまなすや今も沖には未来あり」中村草田男
共感性=人の痛みを自分の痛みとして感じる、人との調和、自己との調和、宇宙・自然との調和、生命共同体の礎、アガペ
「世界がぜんたいに幸福にならないうちは個人の幸福はありえない」宮沢賢治
◎身体調整について
身体調整はコミュニケーション(触れ合い)の一形態である。その根底にあるのは苦しみ、悩み、疲れている人に対する理解と共感であり、その行為は思わず手が出て、触れ、さすり(手当て)、じっと抱きしめる(介抱)などの形で表現される。
ここで忘れてはならないことは、それらの行為が決して一方的でなく、同時にこちらの手も触れられ、さすられ、じっと抱かれ、そこでさまざまな情報の交換がなされていることである。
本来、医療とはそうした対等の関係であったはずだが、今日では権威主義と経済関係にとって替わられてしまった。しかし一部で本能的な手当ての歴史が受け継がれ発展してきた。
それは、患者と治療者との関係性を考慮した身体観に立脚する、おおらかで風通しのよい、解放された対等関係に基づく触れ合いの手作り医療である。
◎身体調整の技術について
調整手技は武道、スポーツ、ダンス等と同じく身体で表現する体技である。したがって指一本使う時でさえ、全身の協調と意識の統一が必要となる。
<技>を学ぶためには、手、指はもちろん肘、肩、腰、膝、足、腹の隅々まで神経をいき渡らせて、身体を意識すること(内感)と平行しながら<技>を修得しなければ上達は望めないであろう。
さらにこの<技>を何の目的で、どんな場合に、どういう人に、どのように使用するのかを前提にした<術>の稽古も必要である。
そのためには、身体と意識を十分に練って心技体を統一させていくことが極めて重要になる。
◎手技の内容
1 基本(全ての手技に共通する原理)
姿勢、手の当て方、手首・肘・肩・腰・足の構えと意識、足底と床との感覚
床からのエネルギーを相手の体まで伝える流動的な身体作り
呼吸と動き、呼吸と意識
意識と技の関係、重心を活かす法、勁力の養成、腹(丹田)と腰の意識
氣の体感と伝え方、一体感(生命共感)
正中線 中心軸 骨軸 左右軸 正中面 体側面などの身体意識
経絡の体感
寝る 寝返る 座る 立つ 歩く などの基本動作の再認識
上記をさまざまな形でトレーニングする。それによって技を使いこなせる身体を作り、さらなる上達を目指す。
トレーニングは簡単で、それ自体健康法になる。
2 検査法(民間療法的手探り療法からの脱却)
生体反射検査法(BRT)、生体脉反射検査法(BPRT)、經絡診断、操体的動診、モーションパルペーション(可動性検査)、整形外科的検査
身体調整は、まず相手からの情報収集から始まる。収集した情報を整理し
現状把握の後、調整法を決定し、実行する。
現状把握は予後の判定の判断基準になる。
以上の情報収集と予後判定の方法が検査法である。同時に自らの限界を知る方法でもある。
3 各種手技(直接的手段)
カイロプラクティック、モビリゼーション、經絡指圧、操体、ストレッチング、リンパ流動法、生体反射療法等を各人の適性に応じて深める。
上記の技術を用いて全身の筋肉、骨格(頭蓋・脊椎・骨盤・股関節・四肢)の調整、内臓の活性、リラクセーション、生体エネルギー(氣)の調整と養成を目指す。
以上の技術はばらばらに存在する訳ではなく、互いに関係しあっているので、相乗的に上達していくであろう。
経絡調整塾「増永静人を読み解く会」
「増永静人」を読み解く会の発足について
先日、必要があって私の指圧の恩師であり指圧界の至宝でもあった増永静人生の本の在庫をインターネットで確認しました。すると多くの著作が絶版もしくは入手困難になっています。師の没後20年以上になりますから次第にその思想や技法が指圧界から消滅していくのは仕方のないことかもしれません。
世の変化の速さは東洋手技療法の世界においてもその流れを圧し留めることは不可能です。
しかし、増永静人の思想は単に病気治療や指圧技法に留まるものではなく、「いのちとは何か。生きるとは何か」という医療の原点から成り立っています。よってその思想の根幹は指圧を超える力を保有しているのです。増永
静人が大学で哲学を学んだ経験が指圧理論の普遍化に関与している理由でしょう。
今日、増永静人の理論や技法は本人によって設立された医王会において継承されていますし、直接の弟子や受講生、あるいは没後その著書に私淑した熱心な人たちによって命脈が保たれています。しかしどうしても年月が経つにつれ、その理論は弟子の個性によって希釈・変形されていきます。
あるいは明らかな誤解や意図的な歪曲も見受けられます。
そこで游氣塾では原典を忠実に読み解くことで改めて増永静人の業績を明らかにし、継承の礎になれたらと考えました。
当座は入門書として版を重ねている『スジとツボの健康法』(潮文社)を読み解くことにします。この本は思想と技法が最もうまくまとまっているからです。
本に書かれている内容を吟味しつつ、実技を重点的に検討していく予定です。
游氣塾
〒464-0850 名古屋市千種区今池5-3-6-303
電話:052-733-2253
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