宮沢賢治とおきなぐさ
宮沢賢治とおきなぐさ
三島広志
うずのしゅげを知っていますか。
うずのしゅげは、植物学ではおきなぐさと呼ばれますが、おきなぐさという名はなんだかあのやささいい若い花をあらわさないようにおもいます。
こんな書き出しで始まる宮沢賢治の「おきなぐさ」という童話があります。
八月号の佐藤潤四郎氏の「植物誌」を読んでふと思い出しました。
賢治はおきなぐさを
まっ赤なアネモネの花の従兄、きみかげさう(スズラン・・筆者)やかたくりの花のともだち
と述べています。アネモネはおきなぐさと同じキンポウゲ科ですので従兄としたのでしょう。
おきなぐさは暗紫色の花で、年を経ると、まっ白いタンポポの種のようになるので、その姿が白髪の翁に似ているのです。
うずのしゅげというのは岩手県の方の呼び方で、「おじいさんのひげ」という意味だそうです。
おきなぐさの種は、まっ白になると風に乗ってどこか旅立ちます。賢治の世界をもう一度訪れてみましょう。ひばりと種の対話です。
「どうです。飛んでいくのはいやですか」
「なんともありません。僕たちの仕事はもう済んだんです」
「こわかありませんか」
「いいえ、飛んだってどこへ行ったって野はらはお日さんのひかりでいっぱいですよ。僕たちはばらばらになろうたって、お日さんちゃんと見てらっしゃるんですよ」
おきなぐさのこの諦観はみごとです。このあとにおきなぐさの種は飛び散り、その魂は天に昇って星になったのです。自然を深く愛した賢治は、ちっぽけな種にも同じ慈愛をもって交流します。
数年前、私が東北を旅し、賢治の世界を訪問した時の印象は、さわやかですきとおった冷たい風とゆうゆうと雲を浮かべた大空とどこまでも続く一本道でした。
賢治の実弟清六氏にお会いした時、賢治はどういう人かと質問したら
「兄は、嬉しい時は笑い、腹が立ったら怒る普通の人でした」
とおっしゃいました。
しかし、私は思います。賢治はおきなぐさのような人ではなかったかと。風が吹けばいつでもゆうゆうと飛んでいける人ではなかったかと。
皆さんも一度ぜひ、宮沢賢治の世界を旅してみませんか。
熊や星や山男や狼が、あるがままに、素直に、友達として接してくれることでしょう。
日頃の捩曲がった卑屈な精神や、怒りと憎しみと欲でパンクしそうな心が、きっとすっきりすることでしょう。さわやかにせいせいして生きるとはこういうことかと実感できるでしょう。
賢治のドリームランド=イーハトーヴは本を開けばすぐそこです。
なお、佐藤氏が、おきなぐさの学名Cernuaの点頭の意味がわからないと書かれていますが、それは「まえかがみの」「うつむきかげんの」意で、pulsatillaは「小さな鐘」の意だからおきなぐさの姿勢が前かがみの小さな鐘に似ているという発想だそうです。
※参考「宮沢賢治と植物の世界」(築地書館)
(初出:柏樹社「まみず」)
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